旅立ち Ⅰ

文字数 2,226文字

 混血種(ハイブリッド)の難民の護衛を終えてから、半月ほどが経過した。ガウェインはエリューズの政庁に足を運んでいた。
 ガウェインがいるのは、政庁内にあるブラギの居室であった。部屋の広さは二タイズ(一タイズ=六畳)ほど。寝台と丸い卓、椅子、収納棚が二つ。それ以外には何も置いてない質素な部屋であった。
「待たせたな」
 ブラギが入ってくると、ガウェインは腰をあげて一礼をした。ティーセットを持って現れたブラギは、卓に置いてお茶を淹れた。
「私に話とは、また珍しいな」
 お茶を淹れたカップが、ガウェインの手元に置かれる。香ばしい匂いがガウェインの鼻をつく。
「で、何かな?」
 ブラギが改めて問うと、ガウェインは居住まいを正した。
「教えてほしいんです。デルーニ族のこと。そして、フォルセナ戦争のことを」
 ブラギがじっとガウェインの眼を見つめた。それは測るような視線であったが、ガウェインは眼を逸らすことをしなかった。
「ふむ。知りたいというのならば、よかろう。もともとデルーニ族というのは、リエージュで栄えた魔族の血を引く末裔なのだよ。末裔、というのは、長い歳月を経ることで、魔族の力の大半は失われてしまったということだな。しかし、身体能力やアーテルに関連する能力は、人間よりもずっと優れている。ゆえに、デルーニ族には、時として規格外の武人が生まれる。ラウドなどがそうだな」
 それからブラギは、リエージュの歴史の成り立ち、人間とデルーニの対立の歴史を語っていった。ガウェインは一言一句聞き逃すまいと、身を乗り出していた。
「デルーニ族は本来部族統治社会。有力十三氏族が領地を分け合い、各族長の合議によってアースガルドを統治してきた。そのアースガルドを史上初、統一することに成功したのが、ウォーゼン様だ。ウォーゼン様はデルーニ族の未来を憂い、ジュピス・デルーニズムを掲げてイングリッドランド王国に宣戦布告した。だが、そこには知られざる訳があってな」
「知られざる訳?」
 ブラギが頷いた。腰をあげたブラギは、収納棚から地図を取り出した。イングリッドランド王国と、アースガルドの地図。その地図には、各州の人口が細かく記されていた。
「これがアースガルドの地図。そしてこちらがイングリッドランド王国の地図。どう思うかね?」
 一見すると両国の州と人口が記載されているだけだが、ガウェインはある違いに気づいた。
「アースガルドのほうが、圧倒的に人口が多い?」
 ブラギが深く頷いた。
「そう。同じ規模の州でも、人口の差が大きいのがわかるだろう。つまり、人口過密という重大な問題を抱えている。人口が多ければそれだけの働き口が必要になる。だが、部族統治により、閉鎖的な構造だった社会は産業発展に乏しく、現実には職に就けない者で溢れた。各州には貧民街が形成され、生活水準は下がる一方だったのだ。治安の悪化、デルーニ族特有の疫病の発生、部族同士による対立。そうした問題を一挙に解決するために、ウォーゼン様はアースガルドを統一された。しかし、増加を辿るデルーニを、アースガルドだけで養うことは不可能だった。イングリッドランド王国と領土割譲の交渉を行ったものの、それも決裂。そしてフォルセナ戦争が起こったのだ」
 ガウェインは沈痛な面持ちになった。これまでただ憎しみの対象でしかなかったデルーニ族が抱える深刻な社会情勢を知り、何も知らなかった自分が許せなくなった。
「大半の人間族が、それを知らないんですよね」
「だろうな。デルーニ族の社会問題になど、興味がないだろう。ザクフォン族や混血種(ハイブリッド)の現状が見て見ぬふりをされているのと同じだ」
 ガウェインは卓の上で拳を握り締めた。このリエージュに平穏をもたらすためにやるべきこと。それが少しずつ見えてきた。
「あえて言おう、ガウェイン。戦争は、終わっていない。誰もがそこにある現実から眼を背け、都合のいい事実だけを記憶しているに過ぎないのだ。いずれまた、イングリッドランド王国とアースガルドは衝突する。その時、どちらが勝つか負けるかはわからない。だが、勝敗の先に待ち受けているのは、勝者による弾圧と抑圧だけだ」
 ブラギが芝居がかった仕草でお茶を飲む。ふう、と息をついたブラギが、にこりと微笑む。
「まあ、私もそんな考えに至ったのは、エレイン様にお仕えしてからだがな。それまでは、私も人間族を憎んでいたよ。デルーニ族の社会問題を知りもしないのに、リエージュの富を独占しようとしている輩たちと思っていた。だが、エレイン様は言われた。人間に迫害された過去を持ちながらも、はっきりと言ったのだ。『誰にも、生きる権利はある。分け隔てない社会こそが、平和だ』とな。それからだ。人間族への考えを改めたのは。同時に、デルーニ族のジュピス・デルーニズムの歪な思想にも、疑問を呈するようになった」
 ブラギの言葉には、人間族への憎しみが欠片も感じられない。エレインとの出逢いが、ブラギを完全に変えていたのだ。それほどの影響力を、エレインは持っていた。
「しかし、綺羅星の如き人材を抱えながらも、ウォーゼン様は勝者となれなかった。ペレファノールの戦いで、イングリッドランド王国に完勝しておきながらだ」
「たしか、重臣の叛乱に遭ったって…。どなたなんですか?」
 ブラギの眼が、すっと細くなった。
「魔人…」
「魔人?」
 ブラギの迫力に、ガウェインは思わず息を呑んだ。
「ベルゼブール四星の一角・深紅の魔人(クリムゾン・ロード)、アレクセイ・ロキ」
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