旅立ち Ⅳ
文字数 2,374文字
街路に冷たい風が吹いていく。秋風が冬の訪れを告げようとしていた。
教練から戻ったガウェインは、ラウド共にエリューズの政庁を訪れた。すでに陽が暮れていて、自分の家へ帰ろうとしている役人もいた。
「そうか、ついに決意したか」
ガウェインとラウドはブラギの執務室にいた。そこでガウェインは、ブラギにルウェーズ州国を出ることを伝えた。
「俺は以前からちょいちょい聞いていたがな。それより、エレイン様によく言えたな。反対されたんじゃないのか?」
「うむ。私もそれが気掛かりだったのだ」
机の椅子に座るブラギに対し、ガウェインとラウドは机の前に立ったままである。すでに寒い。室内には火が入れられていた。
ガウェイン自身もエレインに言うことは勇気のいることだった。それでも、エレインならばわかってくれるという思いもあったのだ。
「俺もそう思っていました。でも、俺の生きる道だから、応援するって言ってくれました」
エレインの意思を知り、ラウドとブラギが何度も頷いていた。
「それよりガウェイン。ルウェーズ州国を出て、このリエージュを変えるってのはいいんだが、具体的にお前、どうするつもりなんだい?」
「え? えと…」
それ以上何も出てこないガウェインを見て、ブラギがため息をついて首を横に振った。
「やれやれ。この戦乱の時代に無策で飛び出そうという者がいたとは。いや、これも若さか」
「無謀と勇気は違うぞ。ガウェイン」
二人からの刺すような視線を受けて、ガウェインは小さくなった。決断した時は、心に燃えているものだけで何とかなると思っていたのだ。
「とはいえ、兵がある訳でも、根拠地がある訳でも、財がある訳でもない。ましては名声とは無縁。裸一貫で戦乱の時代に飛び出していくのは間違いないな。掲げる志は立派だが、よく考えて行動しなければ犬死になる。それこそ、エレイン様を悲しませるものになるだろう」
「考え直してみりゃ、ハナっから無謀そのものって訳か。ブラギよ。なんか妙案はないかね」
顎に手を当てたブラギは、しばらく考えてると、書棚から地図を取り出した。机に広げられた地図は、イングリッドランド王国の地理が書かれていた。
「ルウェーズ州国を北西に進めば、ドムノニア州がある。ここはガウェインの故郷であったな。ドムノニア州を治めるのはマグナス卿。ドムノニア州から北に進むと、ブリタニア州がある。ここには、ブリタニア州太守ローエンドルフ卿がいる。ドムノニア州からずっと西に進めば、プロデヴァンス州がある。プロデヴァンス州を治めるのは、ヴォーディガン・シーマ卿。実はイングリッドランド王国広しと言えど、一州を領している領主は少ない。東部ではこの三人が一州を領し、尚且つその威勢も知れ渡っている」
ブラギがガウェインの顔を見た。ガウェインは瞼をしばたたかせた。
「イングリッドランド王国にも人は多い。何も持たぬ状態で始めるのであれば、志を同じくする主君、或いは同志を見つけるべきだな。まずはこの三人の人となりを見極めてみてはどうだ?」
ブラギの提言に同意するように、ラウドが頷いた。
「それがいいな。ってか、それしかないともいえる。兵を集めるのは簡単だ。名分や大義があればいい。だがその兵を養うのは至難の業だ。何よりもマイクロトフ卿を倒すんだろう? 一州やせめて一郡を領するくらいでないと無理だろう」
ガウェインはじっと地図を見つめた。広い、と素直に思った。サリー村から隣町のデーニスまでも広いと思っていたが、その距離を鼻で笑ってしまうくらいだった。
「しかし、ローエンドルフか」
腕を組んだラウドが、感慨深げに言った。
「どうかしたんですか? ラウドさん」
首を傾げたガウェインに応えるように、ブラギが小さく首を振った。
「フォルセナ戦争を生きた我らからすれば、ローエンドルフという名は特別な意味があってな。ブリタニア州を治めているのは、フォルセナ戦争でイングリッドランド王国軍を率いた、宰相ウーゼル・ジール・ローエンドルフの子だ。親は親。子は子。わかってはいても、思うところがあるのだよ」
「あの野郎がいなきゃ、俺たちベルゼブール軍は圧勝していただろうな。それほどの男だ。ウォーゼン様も何度煮え湯を飲まされたかわかりゃしねぇ」
「そんなに凄い人だったんですか…」
ブラギが深く頷いた。
「人格はわからんがな。深謀遠慮、機略縦横。軍略はウォーゼン様のほうが勝っていたが、知略を尽くして我らに立ちはだかった。また、人の起用も上手かった。無名の軍人を取り立てて前線に配置したかと思えば、その軍人が驚くべき力を発揮したりな。ディグラム・ハイゼンベルクなど、その典型であろう」
実際にフォルセナ戦争を生きた者にしかわからないものがあるのだろう。ラウドも同調するように、何度も首を縦に振った。
「その宰相ウーゼル様の子の名は、なんというのですか?」
「アーサーだ。アーサー・ジール・ローエンドルフ」
アーサー・ジール・ローエンドルフ、とガウェインも口に出して呟いた。
「ま、とにかくこれで最初の目標は決まった訳だ。よかったじゃねえか。あのまま出発してたら、途方に暮れて、あてもなく彷徨う羽目になってたぜ」
「まったく、その通りよな」
ラウドとブラギが声をあげて笑った。返す言葉もなく、ガウェインはただ頭の後ろを掻くしかなかった。
「出発は暖かくなってからのほうがよかろう。それまではここでしっかり研鑽に励むがよいぞ。私にできることなら、いくらでも手を貸そう」
「おう、俺もみっちり鍛えてやるからな」
二人の気遣いが、心に深く身に沁みてくる。ありったけの感謝を込めて、ガウェインは大きく一礼した。
「はい。それまでよろしくお願いします」
旅立ちを控えるガウェインを見守るラウドとブラギの眼が、いつまでもガウェインを優しく包んでいた。
教練から戻ったガウェインは、ラウド共にエリューズの政庁を訪れた。すでに陽が暮れていて、自分の家へ帰ろうとしている役人もいた。
「そうか、ついに決意したか」
ガウェインとラウドはブラギの執務室にいた。そこでガウェインは、ブラギにルウェーズ州国を出ることを伝えた。
「俺は以前からちょいちょい聞いていたがな。それより、エレイン様によく言えたな。反対されたんじゃないのか?」
「うむ。私もそれが気掛かりだったのだ」
机の椅子に座るブラギに対し、ガウェインとラウドは机の前に立ったままである。すでに寒い。室内には火が入れられていた。
ガウェイン自身もエレインに言うことは勇気のいることだった。それでも、エレインならばわかってくれるという思いもあったのだ。
「俺もそう思っていました。でも、俺の生きる道だから、応援するって言ってくれました」
エレインの意思を知り、ラウドとブラギが何度も頷いていた。
「それよりガウェイン。ルウェーズ州国を出て、このリエージュを変えるってのはいいんだが、具体的にお前、どうするつもりなんだい?」
「え? えと…」
それ以上何も出てこないガウェインを見て、ブラギがため息をついて首を横に振った。
「やれやれ。この戦乱の時代に無策で飛び出そうという者がいたとは。いや、これも若さか」
「無謀と勇気は違うぞ。ガウェイン」
二人からの刺すような視線を受けて、ガウェインは小さくなった。決断した時は、心に燃えているものだけで何とかなると思っていたのだ。
「とはいえ、兵がある訳でも、根拠地がある訳でも、財がある訳でもない。ましては名声とは無縁。裸一貫で戦乱の時代に飛び出していくのは間違いないな。掲げる志は立派だが、よく考えて行動しなければ犬死になる。それこそ、エレイン様を悲しませるものになるだろう」
「考え直してみりゃ、ハナっから無謀そのものって訳か。ブラギよ。なんか妙案はないかね」
顎に手を当てたブラギは、しばらく考えてると、書棚から地図を取り出した。机に広げられた地図は、イングリッドランド王国の地理が書かれていた。
「ルウェーズ州国を北西に進めば、ドムノニア州がある。ここはガウェインの故郷であったな。ドムノニア州を治めるのはマグナス卿。ドムノニア州から北に進むと、ブリタニア州がある。ここには、ブリタニア州太守ローエンドルフ卿がいる。ドムノニア州からずっと西に進めば、プロデヴァンス州がある。プロデヴァンス州を治めるのは、ヴォーディガン・シーマ卿。実はイングリッドランド王国広しと言えど、一州を領している領主は少ない。東部ではこの三人が一州を領し、尚且つその威勢も知れ渡っている」
ブラギがガウェインの顔を見た。ガウェインは瞼をしばたたかせた。
「イングリッドランド王国にも人は多い。何も持たぬ状態で始めるのであれば、志を同じくする主君、或いは同志を見つけるべきだな。まずはこの三人の人となりを見極めてみてはどうだ?」
ブラギの提言に同意するように、ラウドが頷いた。
「それがいいな。ってか、それしかないともいえる。兵を集めるのは簡単だ。名分や大義があればいい。だがその兵を養うのは至難の業だ。何よりもマイクロトフ卿を倒すんだろう? 一州やせめて一郡を領するくらいでないと無理だろう」
ガウェインはじっと地図を見つめた。広い、と素直に思った。サリー村から隣町のデーニスまでも広いと思っていたが、その距離を鼻で笑ってしまうくらいだった。
「しかし、ローエンドルフか」
腕を組んだラウドが、感慨深げに言った。
「どうかしたんですか? ラウドさん」
首を傾げたガウェインに応えるように、ブラギが小さく首を振った。
「フォルセナ戦争を生きた我らからすれば、ローエンドルフという名は特別な意味があってな。ブリタニア州を治めているのは、フォルセナ戦争でイングリッドランド王国軍を率いた、宰相ウーゼル・ジール・ローエンドルフの子だ。親は親。子は子。わかってはいても、思うところがあるのだよ」
「あの野郎がいなきゃ、俺たちベルゼブール軍は圧勝していただろうな。それほどの男だ。ウォーゼン様も何度煮え湯を飲まされたかわかりゃしねぇ」
「そんなに凄い人だったんですか…」
ブラギが深く頷いた。
「人格はわからんがな。深謀遠慮、機略縦横。軍略はウォーゼン様のほうが勝っていたが、知略を尽くして我らに立ちはだかった。また、人の起用も上手かった。無名の軍人を取り立てて前線に配置したかと思えば、その軍人が驚くべき力を発揮したりな。ディグラム・ハイゼンベルクなど、その典型であろう」
実際にフォルセナ戦争を生きた者にしかわからないものがあるのだろう。ラウドも同調するように、何度も首を縦に振った。
「その宰相ウーゼル様の子の名は、なんというのですか?」
「アーサーだ。アーサー・ジール・ローエンドルフ」
アーサー・ジール・ローエンドルフ、とガウェインも口に出して呟いた。
「ま、とにかくこれで最初の目標は決まった訳だ。よかったじゃねえか。あのまま出発してたら、途方に暮れて、あてもなく彷徨う羽目になってたぜ」
「まったく、その通りよな」
ラウドとブラギが声をあげて笑った。返す言葉もなく、ガウェインはただ頭の後ろを掻くしかなかった。
「出発は暖かくなってからのほうがよかろう。それまではここでしっかり研鑽に励むがよいぞ。私にできることなら、いくらでも手を貸そう」
「おう、俺もみっちり鍛えてやるからな」
二人の気遣いが、心に深く身に沁みてくる。ありったけの感謝を込めて、ガウェインは大きく一礼した。
「はい。それまでよろしくお願いします」
旅立ちを控えるガウェインを見守るラウドとブラギの眼が、いつまでもガウェインを優しく包んでいた。