花園の少女 Ⅱ

文字数 1,877文字

 ルウェーズ州国トランヴァニア郡は、穀物の生産が盛んな穀倉地帯である。地下茎が芋の一種として食用されるメークンや、豊富な蜜を蓄えた果実パウラムが特に有名である。
 トランヴァニア郡の統治を行う政庁はエリューズ県にあり、ファルディオの縁戚として迎えられている、エレインが領地の経営を行っている。しかしエレインの居館はエリューズ城より四セイブ(一セイブ=一キロと三百メートル)離れたところにある、エルミトルという町にあった。
 エルミトルの町はユーレン湖に接しており、湖の水脈を利用した農耕や栽培によって成り立つ町である。穏やかな雰囲気の町であり、町の奥地にある高台にエレインの居館がある。広大な屋敷であり、エレインお気に入りの花園や親衛隊の詰所、厩も備えている。
 庭園から階段を上がると、そこがエレインの居館の正面玄関であった。居館の前でエレインは足を止めた。正面玄関前の広場で、男がひとり立っている。
 黒髪の短髪に、揉み上げから繋がる顎鬚を蓄えている。筋骨隆々の肉体は鋼のようであり、甲冑の上からでもその頑強な体格が窺える。顔の左側に、額から頬骨にかけての刀傷があり、それが野性的な印象を強くしている。眼は黒の中に紅緋が混じったデルーニの瞳。容貌や装備からして、軍人だというのは一目瞭然であった。
 男の名はラウド・デリング・ベルトラム。エレインに仕える軍人にして、かつてフォルセナ戦争でも勇名を馳せた猛将であり、絶戦竜騎(デュアル・ドラグナー)の二つ名を持つ、ベルゼブール十二神将のひとりである。ドラゴン族の鱗を使った鎧アイギスを身にまとい、特注ハルバード・ジャガナートを操る。今はエレインを慕うデルーニ兵やハイブリッド兵を統轄し、トランヴァニア兵の総指揮に当たっている。
「これはエレイン様、そちらにおられましたか!」
 よく通る大きな声を発しながら、ラウドが近づいてくる。エレインも小走りにラウドに駆け寄る。ラウドの体躯はゆうに七フィール(一フィール=三十センチ)はある。エレイン五フィール二バンチ(一バンチ=五センチ)ほどのエレインと比べると、その光景が異様に映る。
「ラウド、一体どうしたの?」
 エレインの後ろに控えているイグレーヌが訊いた。普段ラウドは政庁のあるエリューズ城にいることが多い。
「ベルナード公主よりの書簡を、ブラギ殿から預かった」
「ファルディオ様からの書簡ってことは、いつもの正餐のお誘いかな」
 ブラギ・モーゼ・エーゲルトは、エレイン代わってトランヴァニア郡の政務を取り仕切る、エレインの政務官である。才知にすぐれ、広い見識を備えている。初老だが矍鑠としており、デルーニならではの頑強な肉体を持っている。
 エレインがルウェーズ州国に身を寄せたのは、ファルディオ・ベルナードとシュルト・オーズ・ディートリッヒの密約によるものだった。エレインの存在を利用されることを恐れたシュルトは、ルウェーズへの支援を約束した上で、エレインの身柄をルウェーズ州国に移したのだ。その際に、エレインを支える役目を担う三人を遣わせた。それが、ラウド、イグレーヌ、ブラギの三名である。
 軍人としても戦士としてもすぐれるラウドは、軍兵を組織し統轄。ブラギは政略、折衝を担い、エレインがもっとも心寄せるイグレーヌは、エレインの相談役兼親衛隊長を務めている。今では三者がそれぞれエレイン自身に忠誠を誓い、エレインのために働く日々を送っている。
「ラウド。貴方、これからエリューズ城に戻るの?」
 イグレーヌが訊くと、ラウドが即座に頷いた。
「明日は行軍の教練があるからな。エレイン様が書簡の内容を確認次第、エリューズへ戻るつもりだ」
「それは危ないと思うよ。そろそろ陽も落ちるから、今日は泊まっていったほうがいい」
 エレインは咄嗟に口に出していた。主の言葉に、ラウドも困惑するばかりである。そんな様子を見て、イグレーヌが小さく笑っている。
「う、うむ。エレイン様がそう仰るならば、今宵はこちらでゆっくりさせてもらおうか。エリューズ城の守りも、部下に任せているから、問題はないだろうし…」
 ラウドが頭の後ろを掻きながら言った。するとエレインは後ろ手を組んで、先に居館へと歩き出した。
「じゃあ、今日は私がシチューを作ります」
「エ、エレイン様が⁉」
 ラウドだけでなく、イグレーヌや使用人たちも、一様に驚いた顔をした。そんな面々に対し、エレインは振り向いて柔らかく微笑んだ。
「私、シチュー得意だから、大丈夫。みんなのために頑張るから」
 ユーレン湖の水面が、夕暮れに染まる。
 冷たい風が、エルミトルの町に吹いていた。
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