灯火

文字数 2,548文字

 がたがたと音を立てて、荷車が揺れる。車輪が時折悪路にとられそうになるが、護衛につく冒険者(レンジャー)が後ろから押して、なんとか進んでいた。
 青みを帯びた灰色の岩山に囲まれた谷は、どこまでも続いているようだった。豪商リットンが中心となって編成されたキャラバンは、品物をルウェーズ州国に輸送する道を進んでいた。リットンの下で働くピコを隊長として、キャラバンの行程は今のところ順調である。
 このキャラバンの荷車に、ガウェイン・シュタイナーの姿があった。ヘイムダル傭兵団を離れたガウェインは、ゲッツの計らいでルウェーズ州国を目指すことになった。ゲッツの知り人であるピコに頼み込み、キャラバンに同行させてもらえることになったのだ。
 仇敵シャールヴィ・ギリングとの戦いを終えたガウェインは、心に深い傷を負い、生きる目的を見失っていた。自分自身を見つめ直し、心の静養をするため、ルウェーズ州国にある傷痍兵の療養施設に身を寄せることになった。
 ガウェインのことを心配したピコや冒険者(レンジャー)たちが声を掛けてきたが、ガウェインは短い返事をするだけだった。
 本当に、何かも失くしてしまった。ガウェインはそう思っていた。復讐という目的を持っていた時は、わき目を振らずにがむしゃらになっていた。シャールヴィを討つことができたものの、それは家族のためではなく、生きがいを喪失した自分のための行いだったのだと、今にしてわかる。
 何よりも、ガウェインの脳裏に焼き付いて離れないのは、シャールヴィの息子、ロディの瞳だった。眼前で実父を殺されたロディが、ガウェインに対して向けた憎悪の念。あの姿は、シャールヴィによって大切なものを奪われたガウェイン自身だった。
(俺は、最低な人間だ。生きる価値すらもない。どうして、どうして生きているのか…。母さんたちの代わりに、俺が死ぬべきだったんだ)
 空を覆う鈍色の雲のように、ガウェインの心はどんよりと沈んでいた。膝を抱えて顔を伏せれば、視界は闇に覆われる。このままどこまでも落ちていきたい。そんな感情がガウェインを支配していた。
 どれくらいの時をそうしていただろうか。不意に奇妙な臭いがガウェインの鼻をついた。煙の臭いでも、血の臭いでもない。かといって、獣の臭いとも違う。いや、獣の臭いに近いものがあったが、それにしては魔獣特有の獣気を感じない。
 闇に溶けていたガウェインも、さすがに顔をあげた。首を回し、周囲に眼を光らせる。キャラバン護衛の指揮を執る副隊長も異様な気配を感じ取り、ピコのもとへと駆け寄った。
「隊長、これは…!」
 ピコが首を傾げたその時だった。鋭い風切り音と共に飛来した矢が、副隊長の首を貫いた。ピコの甲高い悲鳴があがり、キャラバンに緊張が走る。
 さらに矢が飛んできたかと思うと、獰猛な雄叫びが谷に響き渡る。谷あいの隙間から姿を現したのは、暗い灰色の肌と、猪のような牙を持つ豚面の亜人種、オークだった。かつては大陸を支配し、猛威を振るった鬼族の一種だが、人が魔法を修得すると共に勢力を減退させていった歴史がある。
「オークだ! なんでこんなところに⁉」
 武装しているオークたちは、手に持つショートソードやハンドアックスで、キャラバンを襲いはじめた。その数は三十人ほどで、戦闘経験を積んでいる冒険者(レンジャー)の数を上回っている。さらに戦闘の指揮を執るはずの副隊長はすでに倒れ、指揮系統が混乱していた。
「た、隊長、どうしましょうか⁉」
 キャラバン隊員にしてみれば、ピコに判断を仰ぐのは当然といえた。しかし、当のピコは迷っていた。すでに交戦が得策ではないことは火を見るよりも明らかである。逃亡を優先するか、それとも少しでも積荷を守ることを優先するか、立場ある者の責に揺れていた。
 ガウェインはオークの襲撃をただ眺めていた。交戦する冒険者(レンジャー)、逃げ出すキャラバン隊員、右往左往する者。その様相はさまざまだが、それらを見るガウェインの心には、なんの感情も宿っていなかった。
 一人のオークがガウェインに近づいてきた。手にハンドアックスと、盾を持っている。身につけている甲冑は補修されてはいるが、お世辞にも強固とはいえなかった。
 オークがハンドアックスを振り上げる。その刃を見て、ガウェインはゆっくりと眼を閉じた。
(ここで死ねば、きっと楽になれる。この苦しみからも解放されて、みんなのもとへいけるんだ)
 命を差し出すようにして、ガウェインは首を垂れた。口もとに笑みを浮かべたオークが、力まかせにハンドアックスを振るった。
『お前はいずれ自分の中で答を見つけ、いつか必ず、もう一度立ち上がる時がくる』
 一閃。青く、淡い光を放つ刃が、オークのハンドアックスを防ぐ。それはガウェインがゲッツから託されたブロードソード、カレトヴェルフである。驚愕するオークがそのまなこに刻んだのは、ゆっくりと顔を上げた、ひとりの戦士の相貌だった。いくらオークが力を入れようとも、ハンドアックスはびくとも動かない。
 左手のガントレットを刃に当てたガウェインは、オークのハンドアックスを押し返した。よろめいたオークに蹴りを放つと、カレトヴェルフを横に薙ぎ払った。オークの首が飛び、赤黒い血が噴き出す。
 両手でカレトヴェルフを掲げたガウェインは、荷車から跳躍した。下にいたオークの脳天目掛けて、カレトヴェルフを振り下ろす。頭蓋を断ち割られたオークが音を立てて地に臥した。
 次にガウェインは、横に立つオークに狙いを定めた。突き出したカレトヴェルフを、即座に横一閃。オークの上半身が、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。
 殺気を感じたガウェインは、背後から仕掛けてきたメイスを持つオークの殴打を躱した。舌打ちをしたメイスのオークが、ガウェインに向かって踏み込む。
 ガウェインはかっと眼を見開き、下から斬り上げ、メイスのオークの腕を斬り飛ばすと、胸元にカレトヴェルフを一突きした。
『心の炎を、絶やすなよ』
 ガウェインはカレトヴェルフを引き抜くと、メイスのオークの首を刎ね飛ばした。その瞬間から、修羅場と化したこの一帯の空気が変わる。
 返り血を浴びたガウェインは、オークたちにカレトヴェルフの切っ先を向ける。
 厚く垂れ込めていた雲は、いつしか風に吹かれて払われていった。
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