清風、此処にあり Ⅰ

文字数 2,082文字

 朝靄が払われて、眩しい光が大地に注ぐ。星を渡る風は混じり気のない澄んだ空気だった。
 丘の上で深呼吸をしているのは、ブリタニア州太守、アーサー・ジール・ローエンドルフである。家臣団が止めるにも関わらず、こうして野駆けに出る癖が彼にはあった。
 丘の下では親衛隊長のゲライントと、選りすぐりの親衛兵三十騎が待機していた。アーサーが野駆けに出れば、無理矢理にでもついていく。それが彼らの仕事になっていた。
 新鮮な空気を体に吸い込み、朝陽をいっぱいに浴びたアーサーは、満足して丘の下に降りていった。
「待たせたな。皆」
 朝方の陽光に負けないほどの爽やかな笑みを浮かべたアーサーは、愛馬・ベガに跨った。
「さて、帰りも頼むぞ」
 アーサーが首筋に触れると、尻尾を大きく振った。白く大きな馬で、イングリッドランド王国東部で繁殖した、魔獣の血が入ったヴェンデンという種類の馬である。白、青、黒、栗毛と、毛並みも豊富で、神速で三日三晩駆けるとも言われている。体躯も大きく、平均で五フィール(一フィール=三十センチ)以上はある。
 アーサーが馬腹を蹴ると、ベガが駆け出す。ベガが本気で駆けると、親衛隊の馬でも追い付けないので、普段は抑えて走っている。アーサーの隣には、親衛隊長のゲライントがぴたりと付いている。
 しばらく駆けていると、右手に丘陵が見えてくる。その瞬間、ゲライントの顔つきが一変し、アーサーの前へ出た。
 丘陵の向こうから馬蹄が響き、武装した集団が現れた。装備に統一性がなく、傭兵か、野盗くずれのようである。アーサーたちの進路を塞いでいる以上、その目的が何なのか、一目瞭然であった。
「アーサー様、お下がりください。このゲライントが、命に代えても切り拓いて見せます」
 ゲライントが得物のハルバードを構えると、親衛隊も前へ出てきた。アーサー自身はまるでこの明け方の空気のように、涼し気な表情で前方を見つめている。
「ブリタニア州太守、アーサー・ジール・ローエンドルフだな。軍兵も連れずにふらふらと城を出るとは、迂闊な阿呆よ。その首、ここでもらうぞ」
 首領らしき男が口上を述べると、武装兵たちも得物を構えた。互いに睨み合う緊迫した状況。ゲライントが低く息を吸い込んだその時、だった。
 一瞬、辺りが暗くなったかと思うと、武装兵の後方から、無数の虹色の光弾が飛来してきた。その光弾は弧を描いたり、あるいは直線的に、武装兵に着弾する。光弾が命中すると、武装兵の体が弾け飛び、臓物が原野に飛び散った。
 わずかの間に手下を殲滅された首領は、来た道を引き返そうとする。しかし、後方から駆けてきた一騎が、首領の首元にシミターの刃をあてがった。
「さて、どこの回し者かしら?」
 高い声音の持ち主は、アーサーの配下であるルナイール・ベルトリッチのものだ。この事態を察知していたのか、魔法衣の上にブリガンダインを装着している。
「キャメロットまで連行して、尋問してやればいいさ」
 アーサーがゲライントや親衛隊を引き連れてきた。首領には縄が掛けられ、親衛隊によって二重に取り囲まれた。観念したのか抵抗する気配もなく、諦めた顔をしていた。
「助かったぞ、ルナ。まさか襲撃を予期していたのか?」
 いつもの調子のアーサーに対して、さすがのルナも呆れたようにため息をついた。
「助かったぞ、じゃないわよ。アーサー、貴方は名門ローエンドルフ家を継いで、分断されたブリタニア州を統一し、一州の太守となったのよ。ようやく州内も落ち着いたというのに、太守が暗殺されでもしたらどうするの。そろそろ自覚を持ちなさい。いつまでも夢を持った青年ではいられないでしょう」
「わかっている。だが、男はいつまでも夢を追い続けていく生きものなのだ。たとえどのような困難が待ち受けていようとも、私はその道を進むことを恐れはしない」
「はい。話をすり替えない。今後、しばらく野駆けを禁止します。ゲライント、貴方もしっかりと監視するのよ」
 大きな体のゲライントが、すっかり小さくなってしまっていた。その様子を見たアーサーが笑い声をあげる。懲りていないようなアーサーの態度に、ルナイールがまたため息をついた。
「ウェリックス軍がリオグランデ州に侵攻。なんとか食い止めているけれど、領土切り取りは時間の問題とも言われてる。アクテーム州は隣接するプロデヴァンス州太守シーマ氏によって侵食されているし、周りの情勢も不安定になってきたわね」
「ああ。ヴォーディガンは中央のマイクロトフ卿と通じている。狙いは恐らくブリタニア州だろう。私を討てば、東部は安泰と思っているに違いない」
ヴォーディガン・シーマ。フォルセナ戦争で一軍を率いた経験もある、歴戦の太守。配下にも有能な人材を揃えているわ。強敵ね。対してうちの大将はどう戦うつもりなのかしら?」
 ルナイールがアーサーの横顔を見る。するとアーサーが、にやりと笑う。
「何度でも立ち上がるさ。私の夢を果たすまでな」
 アーサーが空を見上げる。翼を広げた大鷲が、彼方まで飛んでいく。白い陽光を放つ青い空は、どこまでも澄み渡っていた。
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