嵐の予感 Ⅵ

文字数 4,178文字

 ルウェーズ州国の州都アンシャル。永世中立域の都には、人間、デルーニ、混血種(ハイブリッド)、ザクフォン族など、リエージュにいる種族がごった煮状態になっていた。当然であるが、すべての種族が争い合っている訳ではない。中には戦禍を嫌い、ルウェーズに逃れてきた者もいるのだ。他にも勉学に励む学生や、研究に没頭したい魔法使いなどがルウェーズに身を寄せている。
 そのルウェーズを治めるのが、ファルディオ・ベルナード。フォルセナ戦争中に独立宣言をし、ルウェーズ州を不可侵領域にまで変えたエルネスト・ベルナードの政策を受け継ぐ。後を絶たない移民を受け入れつつも、野放図に移民を受け入れるのではなく、領民の生活とルウェーズ州の治安維持を第一としている。
 エレイン一行はファルディオとの正餐のために、アンシャルに到着していた。しばらく傭兵たちの中で生活していたガウェインにとって城郭(まち)の人々の穏やかな眼が、妙に新鮮に映った。
 ファルディオの居館は質素なものだった。公主らしい趣のある館ではあるが、特段飾り立てたところもない。館にある調度品も、高価なものではなかった。
 ガウェインはエレインやイグレーヌ、ブラギ、ラウドと共に、客間で待機していたが、陽が沈む頃になるとファルディオの配下に案内されて、食堂へ移動した。
 食堂も質素なものだった。正餐のための長卓と椅子ですら、装飾は最低限にとどめられている。強いていえば、暖炉が二つあるのが特徴であった。
「公主様の住まいとは思えないでしょう?」
 エレインに言われて、ガウェインは即座に頷いた。
「あんまり、飾ってない感じ、かな。でも、俺、こういうほうが好きかも」
「うん。私も。なんだか落ち着くんだ、ここ」
 ブラギが椅子を引いて、エレインがその椅子に腰を下ろす。ガウェインはブラギらと共に、ファルディオが来るまで直立して待機した。
 食堂の扉が開かれる。秘書官ひとりと、衛兵二人を連れたファルディオ・ベルナードが、姿を現した。
 やや面長の輪郭にある双眸は緑色で、穏やかながら、眼の奥に強い光を宿している。美しいゴールドブロンドの長髪を後ろでまとめ、やや尖った耳が眼につく。総じて知性と落ち着きを感じさせる容貌で、戦いの空気とは無縁であった。
「やあ、またせて悪かったね。エレイン」
 にこやかにファルディオが話しかけると、エレインが立ち上がって一礼をした。
「とんでもございません。また、こうして正餐のお誘いをいただき、感謝しております」
 いつもと違うエレインの言葉遣い、凛とした仕草に、ガウェインはどきりとした。いつもと違うエレインの顔が、ガウェインには興味深いものだった。
 エレインとファルディオが着席する。すると、ファルディオの眼がエレインの後ろを捉えた。そこにいるのはガウェインである。眼が合ったガウェインは、思わずぴくりと体を反応させた。
 わざわざ正餐の場にエレインが伴っている時点で、ただの衛兵ではないことは一目瞭然である。ガウェインに注がれるファルディオの視線は、好奇に満ちていた。エレインもそれに気づいたのか、ガウェインを紹介しようとした時、先にファルディオが口を開いた。
「ふむ、そちらの少年は初めてみるね。直属の警護を増やしたのかな。それとも、エレインの恋人かな?」
 もちろんファルディオの冗談であるが、真に受けたエレインが顔を真っ赤に染めた。
「え、あ、い、いいえ。ファルディオ様、違います。ガウェインは、その、新しく兵士になって、その…。え~と…」
 両手をせわしなく動かして、必死に説明しようとするも、上手く言葉が出てこない。そんなエレインを見て、ファルディオが思わず笑みを漏らした。図星を衝いた訳ではないが、あながち間違ってもないことが、エレインの慌てようから窺えたからである。
「いやいや、失礼。なかなか凛々しい顔立ちをした少年だから、つい勘違いをしてしまったよ」
「もう、ファルディオ様ったら…」
 火照った顔を冷ますように、エレインが手で顔を煽ぐ。
 また、ファルディオがガウェインを見る。一瞬、すっと眼が細くなったかと思うと、ファルディオがゆっくりと頷いた。
「私はルウェーズ州国を治めている、ファルディオ・ベルナードだ。よろしく」
 一歩前へ出たガウェインは、その場で一礼した。
「ガウェイン・シュタイナーと申します。この度はお目にかかれて光栄であります」
「ガウェイン、か。私は人と違うものが見える能力があってね」
 ガウェインは首を傾げた。ファルディオが何を言おうとしているのか、理解できなかったのだ。
「ガウェイン。ファルディオ様はね、人物鑑定眼に定評がある方なのよ」
 肩越しに振り返って、エレインが言う。
「魔法の素養なのかはわからないがね。ガウェイン。君は常人とは違う風を纏っているね。それは生来のものなのか、それともこれまでの生き方で身に付いたものなのかはわからないが、非常に興味深い」
 ファルディオが顎に手を当てる。全員の眼が一挙に向けられて、ガウェインは体を硬直させた。
「いずれその身に眠る才能が目覚めた時、君が纏う風は、英雄の気風となるかもしれない。それほどの底知れなさを感じるよ」
 呆然としたガウェインは、何も言い返せなかった。英雄。自分はそんな才能もなければ、器もない。それはガウェイン自身がよくわかっていた。
 しかしファルディオが何事もなかったかのように正餐を始めると、それ以上の追究はなかった。エレインだけでなく、イグレーヌ、ブラギ、ラウド、ガウェインにも席が用意され、それぞれに晩餐が用意された。
 時折会話を交えながら、正餐は和やかな雰囲気で進んで行く。やがて締めの紅茶が運ばれると、ファルディオが神妙な顔つきになった。
「数日前に、ウェリックス軍がイングリッドランド領内に侵入した。狙いは王国領だろうが、進軍中の村々で略奪をなすというありさまだったらしい。さらに、奴らはリオグランデ州でも暴れ回り、混血種(ハイブリッド)のコロニーにも手を出したという」
 混血種(ハイブリッド)。その言葉を聞いて、エレインの表情も一変していた。
「イングリッドランド王国とザクフォン族は長年争っているが、共に人間族。フォルセナ戦争ではザクフォン族が、故クリストフ王の求めに応じて兵を出した。その実績を以て、クリストフ王はザクフォン族に領土を割譲し、望む者には王国の民となる権利を与えると約束された。しかし、クリストフ王が戦時中に亡くなり、戦後、ローエンドルフ宰相も病に倒れた。ザクフォン族は約束の遂行を求めたが、混乱が続く王国はその約束を反故にしたのだ。以来、ザクフォン族は己の力で領土を獲得しようと、侵略の手を強めている。手始めにリオグランデ州を獲ろうと動いているが、リオグランデ州は産業の乏しい貧しい土地だ。州の端では世間から爪弾きにされた混血種(ハイブリッド)が、コロニー郡を形成して身を寄せあっている。そんなところが係争の地となれば、無用な血がいくつも流れるだろう」
「そんな…」
 沈痛な面持ちで、エレインが首を振った。無用な血、というのが、混血種(ハイブリッド)の犠牲であることが、エレインにもわかったのだ。
「王国東部の諸侯は共に争い合い、領地の争奪に躍起になっている。唯一ザクフォン族の侵入を撃退しようとしているのが、ブリタニア州のローエンドルフ卿だが、それもいつまでもつかはわからない。他の諸侯にブリタニア州を攻められれば、そちらに兵を向けるしかないからな」
「なんとか、ならないんですか。このままじゃ…」
 エレインが言いかけると、ファルディオが秘書官に合図をした。長卓の上には、ルウェーズ州国、ドムノニア州、リオグランデ州、ザクフォン族のウェリックス州が記された地図が広げられた。全員が食い入るように地図を見つめる。
「すでに戦禍に見舞われ、コロニーを追われた混血種(ハイブリッド)がいる。そうした難民のために営舎を用意して受け入れるつもりだ。風魔という、忍びの集団と契約し、手はずを整える。だがザクフォン族も貴重な人手を流出させたくないと考えるだろう。難民を追ってくるのは明らかだ。風魔の者たちの工作で、多少の足止めは可能だが、すべて防ぎきることは難しい。確実にこちらの領域に入る前に追いつかれるだろう。不戦を掲げる我らは、正規軍を派兵することが難しい。そこで、エレイン。君たちに頼みがある」
 エレインが瞬きをする。ファルディオが言い出すよりも前に、ブラギが口を開いた。
「我らの兵に、混血種(ハイブリッド)の難民を誘導せよ、ということですな。もしウェリックス軍が現れたら打ち払う、と」
 ファルディオがブラギを見て頷いた。
「しかし危険ですぞ。もし正体が明るみに出れば、責を負われるのはベルナード公でございます。このルウェーズ州国の平穏さえも、脅かされる事態となるでしょう」
「その点については心配いらない。風魔が上手くやってくれることになっている。彼らは本当に有能でね。フォルセナ戦争で活躍した実績もあるのだ。信頼していい」
 全員が一斉にエレインを見た。エレインの心ひとつで、すべてが決まる。しかし、エレインはすでに決めていたようだった。
「やります。何の罪もない民を苦しめる。それだけは許せません」
 ファルディオが眼を伏せて、申し訳なさそうな顔をする。
「すまないな。エレイン。本来ならば私がどうにかしなければいけない事態だ。イングリッドランド王国の実権を握るオズウェル・イワン・マイクロトフ卿は、混血種(ハイブリッド)の犠牲に見向きもしないだろう。人種統一化。それがマイクロトフ卿の掲げる理想、すべてをひとつの種族のもとに帰すことが、マイクロトフ卿の望みなのだ。マイクロトフ卿にとっての唯一は、人間族であり、イングリッドランド王国、そして自分自身だ」
 エレインだけでなく、イグレーヌ、ブラギ、ラウドも険しい表情になった。なんとかしたいと思っても、どうすることも出来ない状況に、皆が歯がゆさを感じていた。
 詳細は翌日話し合うことになり、正餐は終わりとなった。客間に戻る間、誰も、ひと言も発しなかった。
 ガウェインはエレインのことを気に掛けていた。これまで見たことのない、辛い表情を浮かべるエレインの姿に、心が痛くなった。
 深夜、眼が覚めたガウェインは、窓の外を眺めた。
「オズウェル・イワン・マイクロトフ…」
 夜空には、美しい形の三日月が浮かんでいた。
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