旅立ち Ⅲ

文字数 2,136文字

 ガウェインがルウェーズ州国にやってきてからおよそ半年。暑さの和らぐ季節は、収穫によって多忙になる時期でもある。
 エルミトルの郊外でも、麦の収穫が行われていた。混血種(ハイブリッド)の民に紛れて、ガウェインとエレインが収穫を手伝っていた。
「大丈夫、エレイン?」
 前が見えなくなるほど麦を持ったエレインが、覚束ない足取りで歩いている。
「う、うん。なんとか、大丈夫…!」
 農作業はお手の物であるガウェインにとって、これくらいの作業はまったく苦にならなかった。エレインが毎年収穫を手伝っているというから、どれほどのものかと見ていたが、ガウェインからすれば手際は悪かった。
「ガウェイン、すごいね。あっという間に終わらせちゃうんだもの」
 思わずガウェインは吹き出した。エレインとは作業における経験の差があり過ぎる。ガウェイン自身は自分の手際が良いとは思っていなかった。デュウェインのほうがよっぽど要領がよかったのだ。
 麦を荷車まで運ぶと、エレインが大きく息をついた。その様子を見て、ガウェインは自然と笑みをこぼしていた。
「明日はこっちの畑」
 エレインが指差した。ガウェインの腰辺りまである麦は、風に吹かれてさわさわと音を立てている。
 ガウェインはエレインと共に、水袋を持って畑の傍で座り込んだ。エレインが水を口に運び、美味しそうに喉を鳴らす。
「ガウェイン、ラウドと遅くまで稽古したり、ブラギのところで勉強してるんだってね。イグレーヌが言ってた」
 ここ二ヶ月ほど、ガウェインはラウドのもとで用兵を学び、ラウドと一対一で修練も積んでいる。さらに時間を見つけては、ブラギのもとで学問に励んだ。
「なにかあったの?」
 エレインが顔を覗き込んでくる。エレインとしては、ここ二ヶ月のガウェインの行動力が異様に映ったのだろう。だが、ガウェイン自身は決して無理をしている訳ではなかった。そこには、確固たる理由があったのだ。
「強くなりたいんだ。すべてにおいて。…エレインのために」
「え…?」
 風が二人の頬を撫でる。吹き抜けた風は、また麦を揺らして、さわさわと音を立てる。
 眼を丸くしたエレインが、じっとガウェインを見つめている。その先にあるのは、曇りのない深い緑色をした、ガウェインの瞳だった。
「ここにいれば、戦いに巻き込まれることはない。傷つくこともない。人らしい営みを送れて、穏やかな日々を過ごせる。それは、わかってるんだ。たくさん考えた。たくさん悩んだ。そして思ったんだ。ここにいたら、駄目なんだって。俺は家族を、故郷を奪われて、復讐のために闘った。そして人の命を奪って、ひとりの少年の大切な人と、その少年の未来までも奪ってしまった。憎しみを繰り返してしまったんだ。ここに来てエレインと出逢って、エレインに救われた。エレイン。言ったよね。絶対に生きるって、約束だって。あの言葉、本当に嬉しかったんだ。生きる力が湧いてきて、俺も生きていていいんだって思った。エレインと過ごして、ずっとここにいようかとも思った。けれど、混血種(ハイブリッド)の難民を見て、思ったことがある。それだけじゃなくて、混血種(ハイブリッド)の難民に接するエレインが、胸のうちで苦しんでいることもわかったんだ」
 水袋を両手に持ったまま、エレインが動かなくなった。先ほどよりも真剣な顔つきで、ガウェインを見つめている。
「もうこれ以上、見て見ぬふりは出来ない。憎しみの連鎖を、この悲劇を、これ以上繰り返してはいけない。そしてなによりも、エレインが心から笑って暮らせるようになるために。俺は、決めた」
 空。ガウェインが見上げた先は、陽によって鮮やかに染まっていた。エレインの視線を横に感じながら、ガウェインは言い切った。
「人間族とデルーニ族が、共存できる世の中を創る。混血種(ハイブリッド)やザクフォン族の人たちが、まっとうに生きていける世の中にする。そのために、俺は行くよ」
 エレインがうつむいた。その横顔には、寂しさが浮かんでいる。ガウェインにもわかっている。戦いに赴くことを、エレインが望んでいないということを。それでも、このままではいけない、と思い定めたのだ。
「俺の思い上がりかもしれない。エレインのためにだなんて。でも、でも俺は…」
「そんなことないよ」
 水袋が地面に落ちる。いつかの星空の下のように、二人の手がまた重なる。
「ガウェインがそう思ってくれて、嬉しいよ。私のため。傷ついた人たちのため。そして、自分自身のために行くんだよね。ガウェインが決めたことだから、絶対間違ってないと思う。ガウェインの生きる道だから。何があっても、私はガウェインを応援するよ」
 重なり合った手に力がこもる。ぎゅっと、お互いの想いを確かめ合う。お互いを大切に想う気持ちに、嘘も偽りもなかった。
「俺、エレインと出逢えてよかった。エレインと出逢わなかったら、俺は変われなかった。だからエレインがこの世に生まれてきてくれたことに、ありがとうって思うよ」
 一瞬、驚いた表情をしたエレインが、顔を少し歪める。溢れた涙が陽に照らされて、光の糸のように流れる。手を差し伸べたガウェインは、エレインの涙を拭った。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
 夕陽。二人を照らす。麦畑が陽に照らされ、それは金色(こんじき)の花のように美しかった。
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