花園の少女 Ⅲ

文字数 3,220文字

 渡る風が穏やかで心地良く、青い空がどこまでも続く。鳥や蝶が舞い、草花が野を埋める。
 エレイン一行は、ルウェーズ州国の州都アンシャルからの帰路にあった。月に一度ほど、公主であるファルディオから正餐の誘いが来る。エレインにとっては意見交換をする場でもあり、リエージュの情勢を知る重要な機会でもあった。
「毎度、ベルナード公主には頭が上がらぬ。トランヴァニア郡を貸していただいているだけでなく、納める租税は三割程度。今年は豊作が見込めるので、そこで少しでも恩を返さなければならぬな」
 独り言を呟いたのは、エレインの参事官ブラギである。整えられた口髭と、白髪がわずかに混じったブロンドの髪。オペラ色の瞳と、がっしりとした体格が特徴だった。腰にはブロードソードとダガーを帯びている。手綱を握る手を見ても、剣の扱いに長じていることがわかる。普段は政務に没頭しているが、軍事にも理解のある、エレインの補佐役である。
 先頭を行くのは、ラウドの麾下である。先頭と最後尾に、ラウドは自分の麾下を置いていた。ルウェーズ州国は平穏な地域だが、それでもエレインの警護となると、細心の注意を払う必要があった。中央の集団にエレインがいて、エレインの前をラウドが進み、両脇をイグレーヌとブラギが固めていた。エレインが乗る用の馬車もあるが、ファルディオからの土産が載せられていた。エレインは馬車に乗ることをあまり好まず、馬に乗ることのほうが多い。それだけ馬術にも習熟していた。
混血種(ハイブリッド)の難民が増えていると言っていたな」
 ラウドが言うと、ブラギが頷いた。
「どうもザクフォン族の動きが活発になっているようだな。バグバート地方には混血種(ハイブリッド)のコロニーが多くあるが、そこをウェリックス軍が襲っているらしい」
 ファルディオは難民の受け入れに寛大であったが、ルウェーズ州国の土地も限りがある。難民の流入が続けば、必然的にルウェーズ州国が衰えていくのは見えていた。
「ザクフォンが暴れているのなら、イングリッドランド王国軍が討伐すべきだろ。一体なにやってんだかな。このままじゃ、王国領もかすめ取られるんじゃないか」
 ラウドの言う通り、本来ならばイングリッドランド王国軍が兵を出してザクフォン族を討つべきであったが、今回のザクフォン族の動きに、イングリッドランド王国軍は無反応だった。
「イングリッドランド王国は、今まとまりがない。地方の諸侯も自らの領地を広げることに躍起になっておる動乱の時代だ。先のウェリックス軍の国境侵犯に兵を出したのも、ブリタニア州の太守だけだと聞く。全体として事態を収拾する力がないのだろう」
 エレインは俯いた。戦いの話題が出てくる度に、胸が締め付けられるような感覚になる。誰かが苦しんでいる中で、自分の身を振り返ってみる時、罪悪感を覚えることもあるのだった。
「エレイン様、大丈夫ですか?」
 気落ちするエレインに、イグレーヌが声を掛ける。ブラギもエレインの様子に気づいたのか、咳払いをすると、あからさまに話題を変えた。
「しかし、ベルナード公の晩餐で出た牛肉の煮込み料理は美味であった。舌触りが滑らかで、口の中で溶ける。それでいてしつこくないものだった」
「エレイン様も美味しそうに食べてらっしゃいましたね」
 思わずエレインも晩餐で出た料理を回想した。牛肉の煮込み料理も美味しかったが、それよりエレインは果実の盛り合せが好きだった。エルミトルでも良質な果実が採れるが、ファルディオのもとで提供されたものは、あまり馴染みのない果実もあった。それが意外と口に合い、何度も手を伸ばしていた。
「ベルナード公のもとでは、美味い肉料理が出るからいいぜ。俺たちや兵にも振舞ってくれるからな。大したお人だ」
「ラウド、貴方は食べ過ぎよ。ベルナード公の館の方々もびっくりしていたわ」
「その通り。ラウドよ。遠慮というものを少しは学ばんとな」
「好意は素直に受ける。それが俺の礼儀というもんだろう」
 ラウドが声をあげて笑うと、エレインも思わず吹き出してしまった。自然と一行にも笑みが広がる。ただひとり、イグレーヌだけが呆れたような顔をしていた。
「あれは?」
 先頭を行く兵が声をあげた。先ほどまで大声で笑っていたラウドが前へと出る。その表情も引き締まっていた。
「誰か、いるのか?」
 エレイン一行が進む街道の先に突き出た岩があり、そこから人の足が見えていた。足の先から膝上までが伸びていて、そこから先は岩に隠れている。
「動かないな」
 一行の進行を止めたラウドが、岩とその周囲を見渡す。行き倒れのふりをして注意を引き、身を潜めていた者たちが襲撃するというのは、野盗の常套手段だ。ルウェーズ州国は治安が維持されているが、それでも警戒するにこしたことはない。
「俺がたしかめてこよう。お前たちは周りに気をつけろ。イグレーヌ、エレイン様を頼むぞ」
 愛用の特注ハルバード・ジャガナートを脇に構えたラウドが、馬腹を蹴った。興味を引かれたエレインも、首を伸ばして前方の様子を窺う。隣ではイグレーヌが得物のウォーサイス・アルマロスを握り直し、ブラギがエレインの手綱を握っていた。
 ラウドが岩に近づく。脚に向かってジャガナートを突き出す。異変は見られず、誰かが飛び出してくることもなかった。しばらくすると、ラウドが手を挙げたので、一行はゆっくりと岩に近づいていった。
「どうしたの?」
 イグレーヌが呼びかけると、ラウドが肩をすくめた。
「さあな。一体なにがあったんだか。このご時世じゃ珍しくないのかね」
 うつ伏せになって岩陰に倒れていたのは、全身に傷を負った少年だった。ブーツや身に付けているマントもぼろぼろで、ここまでの道程が壮絶なものであったことを物語っている。負傷によって瀕死なのか。それとも空腹で倒れたのか、それは判然としなかった。
「やれやれ」
 馬を降りたラウドが、少年に近づく。首筋に手を当てた後、傷の度合いを確かめている。エレインはその様子を不安そうに見つめていた。
「脈はある。外傷はあるが、応急手当もしてあるな。自分でやったのかもしれないが、おそらく衰弱して倒れたんだろう」
 軽く息を吐いたラウドが、エレインに視線を送った。イグレーヌやブラギも、エレインの様子を窺っている。この行き倒れの少年をどうするか、それは一行の主であるエレインの判断に委ねられた。
「連れて帰って、ちゃんと手当してあげなきゃいけない。このままじゃ、死んでしまうかもしれないでしょう」
 エレインの意思は力強かった。弱っている者を助けることに、一片の迷いも感じられない。何か言いたげなラウドやブラギも口を噤むと、エレインの決定に従う素振りを見せた。
「と言っても、どうやって運ぶか」
 ジャガナートの石突を地面に立てたラウドが、一行を見回して思案した。
「馬車がいいんじゃないかしら。荷物を整理すれば乗せられるでしょう」
「そうだな」
 ラウドが指示を出すと、兵がすぐに動く。その合間を見計らって、エレインは馬を降りて少年のもとへ駆け寄った。
「エレイン様」
 イグレーヌも慌てて下馬すると、エレインの側についた。普段は大人しいものの、意外に行動力のあるエレインに、イグレーヌやラウド、ブラギも、気が抜けないのである。
「…こんなに怪我しているなんて、なにがあったのかな」
 膝に手を置いたエレインは、少年の顔を覗き込んだ。擦れた後や刀傷と思えるもの、魔物の噛み痕のような箇所からは血が出ていた。
 兵が二人がかりで少年を抱えて、馬車に運んでいく。想像していたよりも重かったのか、兵の動きは鈍かった。
「行こう。急いで帰って、治療してあげないとね」
 エレインたちが馬に乗ると、再び行進が開始される。春の柔らかな風が、吹いていた。
 エレインが助けた少年の名は、ガウェイン・シュタイナー。この運命の出逢いが、時代を変えるうねりとなることを、まだ誰も知らない。

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