嵐の予感 Ⅷ

文字数 2,289文字

 原野に現れた川は濁りきっており、泥水が流れに乗っていく。否、それは川ではなかった。身を寄せあい、進む人の群れ。その数は二千に達している。
 女性や子供、老人も含んだその群れの行進は、さながら葬列のようであった。皆一様俯き、顔に生気がない。足取りも遅く、わずかにいる若者が、老人の行進を手助けしていた。
 リオグランデ州の端にコロニーを築いていた混血種(ハイブリッド)たちである。ウェリックス軍の侵略によって住居があったコロニーを破壊され、わずかな希望を抱いてルウェーズ州国へ向かっていた。
 不意に馬蹄が響く。土煙をあげながら向かってくるエレインたちの軍勢は、混血種(ハイブリッド)にとっては自分たちを討ち滅ぼすための兵に見えただろう。ひとりが悲鳴をあげると、恐怖が伝染し、混乱の坩堝に陥った。
「落ち着いて、落ち着いてください」
 軍を後方で待機させたエレインが、前へ進み出ていく。横にはぴたりとイグレーヌが付いていた。
 エレインが必死に呼び掛けたことにより、混血種(ハイブリッド)の混乱も徐々に収まっていく。攻撃する意思がないことがわかったからだろう。静まり返った混血種(ハイブリッド)の民たちが、エレインの言葉に耳を傾けている。
「私たちは傭兵です。皆さんをルウェーズ州国まで送り届けるために雇われました。どうか私たちに従ってください」
 ざわめきが起こるだけで、反応らしい反応がない。囁き交わす民衆の会話からは、こんな声が聴こえてくる。
 雇われたって、誰に? 王国だろう。奴らは何もしてくれないのに。 何故、今頃。 どうせ、我々を奴隷商人に売り渡すつもりだ。
 民衆は警戒心を強め、後退りをしていく。若者のひとりが剣を抜き、エレインに切っ先を向けた。
「去れ、我々は自分たちの足でルウェーズ州国に辿り着く。王国の手先など信用できるものか!」
 エレインたちに向けられる若者の眼には、敵意がむき出しになっていた。余程イングリッドランド王国が混血種(ハイブリッド)から支持されていないということがわかる。
 しかし、エレインとしてもここでもたつく訳にはいかない。ウェリックス軍がすぐ近くまで迫っているのだ。この状況でウェリックス軍が現れれば、混血種(ハイブリッド)の犠牲がどれほどになるかわからない。
 もう一度エレインが混血種(ハイブリッド)の民たちに呼び掛けようとすると、ゆっくりと前へ進み出たジライが、書簡を広げてみせた。
「我々を雇ったのはルウェーズ州国のベルナード公である。ベルナード公は立場上、表立って動くことが難しい。しかし公は皆の行く手を案じておられる。どうかここは我々に従っていただきたい」
 ベルナード公。その言葉が彼らにとって特別なものだということがわかるように、混血種(ハイブリッド)たちの警戒心が解けていく。怯えていた眼は正気になり、いつしか希望の光を宿すようになっていた。
 しばらくすると、集団のまとめ役とである老人と、最初に剣を抜いた若者が、前へ出てきた。エレイン、イグレーヌが下馬し、老人のもとに歩み寄っていく。ラウドに促されたガウェインも、馬を下りてエレインの横についた。
「私はこの一団をまとめております、ロゼフと申します。この者は私の跡を継ぐ、ミゲイルと申します。書簡を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
 ジライが書簡を渡すと、ロゼフが書かれている文言を読み始めた。
「たしかにこれは、ベルナード公の印です。それでは、あなた方を信頼してもよい、ということですな」
 ロゼフが首領と判断したエレインの顔を見た。
「はい。ルウェーズ州国でも、難民の受け入れ準備が始まっています」
 ロゼフ、ミゲイルが混血種(ハイブリッド)たちに事情を説明すると、ようやく全員が従う意思を示した。
「それでは、よろしくお願いいたします」
 ロゼフが深々と頭を下げる。
エレインが混血種(
ハイブリッド
)
の民を見渡したのを見て、ガウェインは首を傾げた。その様子を見て、ロゼフも怪訝な表情をしていた。
「衣服がぼろぼろですね。それに、皆、痩せている」
 混血種(ハイブリッド)のコロニーがある土地は貧しいものの、作物がまったく育たないという訳ではない。加えてファルディオの息の掛かった行商が、コロニーを回って格安で商売をすることもあるので、物をまったく買えないという訳でもない。それにしては身なりが貧相で、体も衰弱していると、エレインは感じたのだ。
「いつ頃でしたか定かではありませんが、ドムノニア州の太守が我々に租税を納めよと申してきました。毎月、役人と軍が派遣されてくるのです。それによって、皆、瘦せ衰え、衣服も繕えないという有様でございます」
「そんな…!」
 エレインが悲鳴に似た声を上げた。
 イングリッドランド王国は、混血種(ハイブリッド)に国籍を与えていない。つまり、混血種(ハイブリッド)を国民として認めていないにも関わらず、税を吸い上げているのだ。リオグランデ州の太守は現在不在であり、ドムノニア州の太守と、各郡に派遣された役人が、リオグランデ州を治めている。
「私どもにはよくわかりませんが、人種統一化のため、と役人が申しておりました」
 オズウェル・イワン・マイクロトフ。その名前が、ガウェインの脳裏に浮かんだ。自然と大尖槍(グロース・ブレード・スピア)を握る力が強くなっていることを、ガウェインは感じていた。
 エレインがわずかに顔を歪めている。民の現状に心を痛めているのだ。ガウェインはそう思っていた。
 しかし、この時ガウェインはまだ気づいていなかった。
 エレインの背負う、ベルゼブールという名の業の深さを。そして、自らの混血種(ハイブリッド)という出自への負い目を。
 ガウェインの瞳に映るエレインは、いつも笑っている。だが、その笑顔に下にある苦悩を、知る由もない。
 いつも微笑んでいるということは、無表情と変わりないのだから。
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