嵐の予感 Ⅱ

文字数 2,491文字

 穏やかな陽光が降り注ぎ、温かい風が新緑の香りを運んでくる。エレイン一行はエルミトルを出発し、郡都であるエリューズを目指していた。
 エルミトルにいた小隊と、エレインに仕える侍女、イグレーヌの親衛隊。中央にエレインがいて、その両脇にガウェインとイグレーヌという配置である。ガウェインはエレインから借りた馬に乗り、麻の服の上にレザーメイルを着用していた。腰に帯びているのは、カレトヴェルフ。副装としてショートソードを一振りと、ダガーも装備していた。
 行軍には絶好の陽気である。だが、春の暖かな気候は、恵みをもたらすだけではない。時には予期せぬ災難を巻き起こす。それがこの世界(エデン)の春であった。
 遠くから甲高い鳴き声が聴こえたかと思うと、風を切る大きな音が響く。先頭を往く兵が辺りを見回すと、エレイン一行を照らしていた陽の光が突如遮られた。
 はっとしたガウェインは、上に視線を送った。そこには体長四トール(一トール=九十センチ)ほどの翼を持つ巨人がいた。
「上だ!」
 ガウェインが叫ぶと同時に、翼を持った巨人が空中で停止した。翼の風切り音と、旋風が地上に吹き、思わず眼を瞑る者が続出した。
 イグレーヌはすぐにエレインの傍に付き、得物のウォーサイス・アルマロスを構えた。
「ハルピュイアだわ」
 イグレーヌがつぶやくように言う。吹き付ける風に身を硬くしているエレインが、わずかに顔をあげた。
「ハルピュイア?」
 ガウェインがイグレーヌに訊くと、イグレーヌが頷いた。
「女面鳥身の怪物よ。本来ならば山嶺や峠を棲み処とするのだけれど、春先は行動が活発になって、平地に現れることもあるの。それでも、こんな街道筋に出てくるなんて聞いたことがないわ」
 老婆のような顔面、禿鷲の翼と爪を持つ、巨体の魔物は、ガウェインたちの往くてを塞ぐように、地面に降り立った。
 息を吸ったハルピュイアが口を大きく開けて、咆哮をあげた。それは硝子を引っ掻いたような高い音で、多くの者たちが耳を塞いでしまうものだった。咆哮で身動きを封じたハルピュイアが、先頭にいた兵に襲い掛かる。
 跳躍したハルピュイアが、両脚を揃えて突進する。鉤のような鋭い爪が、兵を捉える。顔面を潰された兵は悲鳴を上げることも許されず、無残に引き裂かれた。
「くそう!」
 騎兵が槍を構える。馬腹を蹴ろうとした時に、またハルピュイアが咆哮を発する。嘶きをあげた馬が棹立ちになり、騎兵は馬から落ちてしまう。その隙を衝いたハルピュイアが、上空から襲い掛かった。今度は悲鳴が辺りに響き渡った。
 味方が殺されたことに闘志を燃やした大柄の兵が、果敢にもハルピュイアに突撃していった。しかし、無策である。上空へ舞い上がったハルピュイアが、下降すると同時に大柄の兵を押し潰してしまった。
 イグレーヌが歯噛みをした。自分が前へ出ていければ、という思いが顔に出ている。しかし、エレインに万が一のことがあってはいけない。例えエレインが命じたとしても、イグレーヌはエレインの安全を第一に考えなければならないのだ。
 ハルピュイアがさらに兵を襲おうと、前進してくる。その時、エレイン一行の中で、一筋の光が発せられた。
 陽射しに照らされたそれは、中天に向けて掲げられたカレトヴェルフだった。ガウェインの体から、陽炎が立ち昇る。それは体内で練られたアーテルフォルスであった。精悍であり、威圧するようなガウェインの顔つきに、イグレーヌですら肌を粟立てた。
「道を空けろ‼」
 大喝一声。そのたったひと言で、兵たちが機械的に動いた。馬腹を蹴ったガウェインは、開かれた街道を疾駆する。ハルピュイアの脇をすり抜けると同時に、カレトヴェルフを思い切り振り抜いた。
 また甲高い咆哮、いや、それは呻きとも言おうか。ハルピュイアの右脚が、見事に切断されている。恐るべき一撃であった。
「弓を!」
 手を掲げたガウェインに対して、イグレーヌが兵に指示を出す。
「前衛、弓を構えよ。合図と共に、一斉に矢を放て!」
 さすがに訓練されている兵は、一度命令が下れば動きが違った。迷う事なくハルピュイアの前に並び、矢をつがえた。
 馬を返したガウェインは、またハルピュイアに突撃する。今度はハルピュイアの左脚を斬りつけた。
「斉射‼」
 ガウェインが戻ると同時に、イグレーヌが合図をする。放たれた矢が、ハルピュイアに雨あられのごとくぶつけられる。そのうちのいくつかが、ハルピュイアの脳天に命中し、奇声をあげたハルピュイアがのたうち回る。やがて動かなくなったハルピュイアが、ゆっくり地面に倒れ込んだ。
 ハルピュイアに馬を寄せたガウェインは、その様子を窺った。完全に息の根を止めたことを確認すると、笑みを見せてカレトヴェルフを掲げた。
 歓声が拡がる。思わぬ窮地に陥ったが、なんとか危地を脱した。全員の表情に安堵していたが、エレインだけは違った。
 エレインの眼が、職務を遂行して死んだ兵に注がれていた。イグレーヌがエレインの肩を抱いた時、ガウェインがひとりの屍体を持ちあげた。
「主人のために戦い、散った命です。エリューズで、丁重に葬りましょう」
 喜びも束の間、すぐに兵たちは、死んだ仲間たちの屍体を荷車に収容した。
 カレトヴェルフを鞘に収めたガウェインは、エレインの隣に戻った。
「エレイン、怪我はなかった?」
 ガウェインの戦う姿を初めて見たエレインは、その闘志溢れる様に少し驚いていたが、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「うん。大丈夫。ありがとう、ガウェイン」
 やっと緊張が解けたのか、エレインも安息を漏らした。その様子に、ガウェインとイグレーヌも安心していた。
(出発時点での全員の装備を覚えている記憶力、兵を鼓舞する胆力、動きを止めてからの一斉攻撃という、危地での正確な判断。ガウェイン君、貴方、戦士というよりは、指揮官に向いているかもしれないわね)
 イグレーヌが感心したように、ガウェインを見つめた。
 危難を振り切ったエレイン一行は、再び街道を進んでエリューズを目指す。
 しかし、その行軍を見つめる黒い影の存在に気づいている者は、ひとりもいなかった。
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