嵐の予感 Ⅺ

文字数 3,761文字

 ガウェインは騎兵三百と共に、森林地帯を迂回した。先頭で駆けていくと、次第に喊声が聴こえてきた。そして、ウェリックス軍が丘陵の下から移動したことで、上手く森林の陰に隠れ、後方強襲を容易にすることができた。それがすべてラウドの策であること、ガウェインは確信していた。
(ラウドさん、やっぱり凄いな)
 腹の底から雄叫びをあげたガウェインは、大尖槍(グロース・ブレード・スピア)を構えて突撃を開始した。
「敵襲、後方から敵襲‼」
 ウェリックス軍の陣中から声があがる。トランヴァニア兵を押し潰しにかかっていたウェリックス軍は、前線に兵を集中させていた。そのために、後方の守りは手薄になっていた。
 勢いそのままに突っ込んだガウェインは、顔が見えた一騎を馬上から突き落とした。腕に痺れるような感触が伝わってきた。これが、騎馬突撃。ガウェインはラウドに言われた通り、馬を止めることなく駆けさせ続けた。
「おのれ!」
 後方強襲を防ごうと、ザクフォン兵が一騎、ガウェインに向かってきた。ガウェインと同じく、大尖槍(グロース・ブレード・スピア)を得物にしている兵だった。
「グリフレット・ブランシュヴァイク、参る!」
 まだ若いザクフォン兵だった。自分と同じくらいかもしれない、とガウェインは思った。大尖槍(グロース・ブレード・スピア)が火花を散らす。
 グリフレットと名乗ったザクフォン兵が、また大尖槍(グロース・ブレード・スピア)を繰り出してきた時、ウェリックス軍の退却の合図が響いた。歩兵が駆け出し、騎兵が退却を掩護する。グリフレットがガウェインを睨み付ける。自分は負けてはいない。という意思が、その眼に込められていた。
 ラウドはウェリックス軍に追撃をかけなかった。首を獲る戦いではないし、殲滅を目的としている訳ではない。エレインと混血種(ハイブリッド)の護衛が第一であった。
「ガウェイン」
 見事に後方強襲を遂行したラウドが、ガウェインに声を掛けた。
「よくやった、と言いたいところだが、兵を率いる指揮官が、安易に一騎討ちに応じるべきじゃないな。そこだけは気をつけるんだ」
「は、はい!」
 ラウドがガウェインの頭をぽんぽんと、叩いた。
「よし、エレイン様のもとへ戻る!」
 ラウドが兵をまとめる。ガウェインは後ろを振り返ると、そこには戦死したザクフォン兵、トランヴァニア兵の屍体が転がっていた。エレインがいなくてよかった、とガウェインは咄嗟に思った。
 ジライも合流し、スペイ川へ到達する。すでにエレインとイグレーヌの親衛隊、一千の兵、混血種(ハイブリッド)は、すでに渡渉を終えている。
 ガウェイン、ラウドたちが渡渉を終えると、すでに陽が傾きかけていた。忍びから報告を受けたジライが、ラウドのもとにやってきた。
「ラウド殿、ウェリックス軍は追撃を諦めたようです。難民の捕捉であれだけの損害を出したのです。新手を出すこともないでしょう」
「まあそうだろうな。よし、場所を探して野営の準備だ。みんな疲れているだろう」
 小高い丘の麓に、幕舎が広がった。竈が作られ、夕食の支度が始まる。エレインが混血種(ハイブリッド)たちに声を掛けながら、食事を配っていく、その姿を見た兵たちも、皆同じように振る舞った。
 夕食が終わると、それぞれが休息に入った。混血種(ハイブリッド)たちも、皆、安堵の表情を浮かべている。幕舎はエレインと混血種(ハイブリッド)に優先され、兵たちは土の上に身を横たえた。
 ガウェインとエレインは、野営地と反対側の麓に足を運んだ。
 丘の上では歩哨が周囲に眼を光らせている。エレインとガウェインを見つけて声を掛けようとしたところ、距離を置いて二人の後をつけていたイグレーヌが、それを止めた。
「ごめんね、ガウェイン。心配かけて」
 気丈に自分を保っていたはずが、胸の内の苦しみがガウェインに伝わってしまっていた。エレインはそれを申し訳なく思ったのだ。
「いや、いいんだ。ただ、エレインがあまりにも辛そうだったから」
 エレインが力なく笑う。胸が締め付けられるような思いになったガウェインは、拳をぎゅっと握り締めた。
「あのね、ガウェイン。私の本当の名前は、エレイン・ベルナードではないの。私の、本当の名前。それは…」
 エレインの唇が震えている。”それ”を口にすることが、彼女にとってどれだけ勇気のいることか、覚悟が必要なことか、ガウェインは身に沁みてわかった。
「私の名前は、エレイン・ローゼ・ベルゼブール。私の父は、ウォーゼン・デュール・ベルゼブール。母の名は、ヴィヴィアン・リトレ。私は、デルーニ族の父と人間族の母の間に産まれた、混血種(ハイブリッド)なの」
 ガウェインは背筋が震えるのを感じた。ウォーゼン・デュール・ベルゼブール。その名前から発せられる言霊が、ガウェインに与える衝撃は、想像以上に大きなものであった。同時に、エレインが混血種(ハイブリッド)であるという事実が、ガウェインの胸を衝いた。エレインが抱えていた苦しみ。それが、瞬間的に垣間見えた気がしたのだ。
「父と、お母さんの間に何があったのか、私にはわからない。でも、お母さんから、父の話を聞いたことは一度もないの。お母さんはね、いつも笑っていた。笑っていれば、辛いことも乗り越えていけるよって、いつも言ってた。私は混血種(ハイブリッド)だから、友達ができなくて、近くに住んでいた同じ混血種(ハイブリッド)の男の子が、唯一の友達だった。でもある日、お母さんが…」
 当時のことを思い出したのか、エレインがそこまで言って地面に眼を落とした。
「お母さんは私を孤児院の修道女(シスター)さんに私を預けて、マラカナンっていう街に用事で出かけていった。そしてお母さんは、帰って来なかった。マラカナンの惨劇に巻き込まれたって、修道女(シスター)さんに聞いた。私、お母さんに、さようならも言えなかった」
 ぽろぽろとエレインの双眸から涙が零れ落ちる。笑顔の裏に隠された哀しみ、苦しみ。どうしてエレインが自分に優しくしてくれたのか。その意味を理解したガウェインは、自然と手が動いていた。
 だが、ガウェインの手が止まる。内なる声が、ガウェイン自身に問いかける。その手を繋ぐ資格はあるのか。傷みを分かち合う覚悟があるのか。エレインがそれを望んでいるのか。指先が怯えたように震えていることに、ガウェインは気づいた。
「それから、私はひとりぼっち。孤児院に引き取られたけど、混じり物(ハイブリッドに対する蔑称)だって、魔族の眼だって他の子から言われてきた。そんな私をいつも庇ってくれた混血種(ハイブリッド)の友達だけが、私の支えだった。でも、その子もいなくなって、私は本当に一人になっちゃった。それからは辛い毎日、いつもいじめられて、本当に、なんで私は生まれたんだろうって、ずっと思ってた。でもある日、私を迎えにきてくれた人がいたの」
「それは、誰?」
「シュルト・オーズ・ディートリッヒ。ベルゼブール軍の副将で、父の親友。初めて会った時、私を抱きしめてくれた。遅くなってごめんなって言ってくれた。温かかった。父がいたら、こんな感じなのかなって思って、すごく泣いた。そこで私が知ったのは、父の死と、私の身柄をルウェーズ州国に移すっていう話だった。そこから、イグレーヌが私のもとに来て、ずっと私の傍にいてくれた。ルウェーズに移ってからは、幸せだった。シュルト叔父さんはマメに手紙をくれるし、イグレーヌがいてくれて、ラウドやブラギも付いてくれている。だから、寂しくなかった。でも、私はたくさんの人を不幸にした戦争を起こした人の娘で、こんな風に苦しんでいる混血種(ハイブリッド)の人たちがたくさんいるのに、今、私はこんなに恵まれていていいのかなって思うの」
 今、難民となっている混血種(ハイブリッド)たち。エレインもその一人になっていたかもしれない。ガウェインはそう思った。
「本当はもっと、いろんなところに自由に行けたらいいなあって思う時があるの。でも、私は混血種(ハイブリッド)だし、こんな生まれじゃ、どこに行っても歓迎されないから…」
 不意にエレインがはっとした表情になった。エレインが手元に視線を移す。そこには、エレインの左手をしっかりと握る。ガウェインの右手があった。
「大丈夫だよ。エレイン」
 ガウェインは精一杯の優しい笑みを浮かべた。エレインは驚いた表情をしたままだったが、右手で涙を拭うと、微笑みながら強く頷いた。
「見て、エレイン。ほら」
 ガウェインが空を見上げる。
「わあ、綺麗…」
 エレインが感嘆の声を漏らす。
 満天の星々が煌いて、空を埋め尽くしている。きらきらと輝く光景は、まるでこの世のものではないように思えた。
 世界はこんなにも美しい。かつてエレインが言った言葉を、ガウェインは伝えようとしていた。
(ルウェーズは平穏だ。けれど、その影で傷ついている人、泣いている人、苦しんでいる人がいる。それを見て見ぬふりをするのか。エレインが苦しんでいる姿を見て、慰めるだけで、励ますだけで、終わってしまうのか。戦いは拡大していく。その時、ルウェーズがルウェーズである保障はどこにもない。戦いとは無縁の土地に行けばいいかもしれない。でも、それじゃ駄目なんだ。それはただ、逃げるだけだ)
 ぎゅっと、ガウェインはエレインの手を握る。握り返してくるエレインの手。それが、信じている証だと感じられて、ガウェインは嬉しかった。
(この世界が本当に綺麗になるように。エレインが、自由に生きていける世界になるように。俺は……)
 夜空の宝石を眺めながら、少年と少女は強く手を結んで、いつまでも離さなかった。
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