春の花 Ⅱ

文字数 1,744文字

 鮮明になった視界と、現世の気配。覚醒したガウェインは、自分の額が温かいことに気づいた。
 白い天井と、窓から差し込む陽光。そして自分の額に当てられた掌。状況を理解するのに、ガウェインはしばらくの時を要した。
「ここは…」
 ガウェインのかすれたような声を発する。すぐに透き通るような清廉な声音が、ガウェインの耳に届いた。
「だ、大丈夫、ですか?」
 ガウェインが横たわる寝台の隣には、小さな椅子に腰掛けたエレインがいた。心配そうな表情で、ガウェインの様子を窺っている。
 エレインの姿を見とめたガウェインは、しばらくの間静止していた。いや、見惚れていたといった方がいいだろう。片田舎で育ったガウェインは、エレインのような可憐な容貌を持つ少女と交流した機会などなかったからだ。
「あ…、え、えと…」
 無意識に上体を動かしたガウェインだったが、脇腹の辺りに痛みが走って身悶えした。すぐにエレインが、ガウェインの体を支えて寝台に寝かせる。
「起きちゃだめです。肋骨にひびが入っているって、先生が言ってました。衰弱も酷いから、法力治療も出来ないんです。だから、安静にしていないと」
 ガウェインは肋骨だけではなく、脚にも痛みを感じていた。自分の体を改めて見渡せば、包帯がいくつも巻かれているのがわかる。起き上がるのを諦めたガウェインは、寝台に沈み込むように横たわった。
「今、何か食べるものを持って来るから、待っていてください」
 立ち上がったエレインだったが、椅子に脚を引っかけ、体勢を崩してしまう。それを見たガウェインは、咄嗟に体を起こしていた。不思議なことに、その瞬間だけは、痛みをまったく感じなかった。
 ガウェインの手が、エレインの手を掴んだ。滑らかで、包み込んでくるような柔らかい感触に、ガウェインの鼓動は否が応にも高まった。転倒を免れたエレインだったが、突然の出来事に思わず赤面してしまった。
「あ、ご、ごめん!」
 エレインの頬が朱に染まるのを見たガウェインは、触れてはいけないものに触れた気分になって、反射的に謝罪してしまう。同時に、脇腹の痛みがガウェインを襲った。
「あ、痛てててっ」
「だ、大丈夫ですか。私のほうこそ、ごめんなさい」
 エレインが慌ててガウェインの体を支える。ゆっくりと寝台に寝かせられたガウェインだが、まだ痺れるような感覚が体に残っていた。
「大丈夫」
 エレインが今にも泣き出してしまいそうな困り顔をしていたので、ガウェインは精一杯の強がった笑みをしてみせた。
「それなら、よかった」
 安息を漏らしたエレインが、優しく笑った。思わずガウェインは、その笑顔に魅入られてしまった。心音がいつもより早くなっているのを感じている。
「あ、あの…」
 ガウェインにはどうしても確認しておきたいことがあった。今の時点では確信が持てないことだが、そうとしか考えられないことだ。首を傾げたエレインの仕草があまりにも愛らしく、ガウェインの耳が少し熱を帯びた。
「君が、助けてくれたのか?」
 キャラバン隊を襲ったオークを撃退したガウェインだったが、谷を抜けて森林地帯に入ったところで、バーゲスト(ワーグの上位種)の襲撃に遭い、キャラバンの隊員たちとはぐれてしまった。さらにひとりになったところでトロルと戦い、深手を負った。助けてくれた冒険者(レンジャー)がいたが、金目のものを奪われ、ただ放浪するしかなかったのだ。
「は、はい。見つけたのは、私じゃないんだけど。とても傷ついていたから。助けることに、理由はいらないでしょう?」
 ガウェインは薄々感づいていた。眼前にいるこの少女が、自分と同じ人間族ではないということを。人間とデルーニは憎しみ合う関係。今までも、これからも、ガウェインにとってはそういうものなのだと思っていた。だからこそ、この少女が自分を介抱してくれたことに驚いていた。
「ありがとう。本当に。俺は、ガウェイン。ガウェイン・シュタイナー。元傭兵だ」
「私はエレイン。えっと…、エレイン・ベルナードです」
 エレインが髪を掻き上げて、耳に掛ける。ふわりと、花の香りがガウェインの鼻腔をくすぐる。
 ガウェインの無事を心から喜ぶ、エレインの慈愛に満ちた笑顔。心が洗われるようなその微笑みを、ガウェインはいつまでも見ていたいと思った。
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