旅立ち Ⅴ

文字数 2,756文字

 花の香りが漂う。新緑の息吹を感じた虫たちも、地面から顔を出していた。
 エルミトルの町に、春が訪れようとしていた。
 エレインの居館には、普段エリューズにいるラウドとブラギが駆けつけていた。理由はひとつ。ガウェインの旅立ちの日だからだ。
 旅立ちの日が刻一刻と近づくたび、エレインが神妙な面持ちになっていくのを、ガウェインは感じていた。ガウェイン自身も、エレインと離れがたいという気持ちが、日を増すごとに強くなっていった。
 一緒にいること。それが幸せなことだというのはわかっている。だが、それは戦火の上で成り立つ危ういものだ。そう自分に言い聞かせ、ガウェインは日々研鑽を積んだ。
 ラウドからは武術と用兵術を学んだ。騎馬隊、歩兵の動かし方。実戦の極意。そして大尖槍(グロース・ブレード・スピア)の扱い方である、ブラギからは学問と、貴族たちに接する際の礼儀作法、言葉遣いを教わった。
 魔法を教えてくれたのはイグレーヌである。十二神将のひとり、死告天使(ダーク・セラフィム)、ペルセフォネ・オズワルド・プラーナを姉に持つイグレーヌは、姉と同じく魔法を得てとしていた。そして、読み書きを教えてくれたのが、エレインである。
 旅立ちの朝、そして昨日。エレインとはひと言も交わさなかった。本当は行ってほしくないと思っているんだろうか。それはそれで、ガウェインの気持ちは嬉しくもあり、複雑であった。
 居館の前にガウェイン、エレイン、イグレーヌ、ラウド、ブラギが集まった。ガウェインはエレインが用立ててくれた甲冑を身に付け、カレトヴェルフを帯びていた。
「これまで、本当にお世話になりました。ここで会った方々のことは、生涯忘れることはありません。いつか必ず、必ず御恩をお返ししたいと思います」
 ガウェインは深々と頭を下げた。顔を上げるのが辛くなるほどの、名残惜しさだった。
 ガウェインの前には、無表情のエレインがいた。いつもの明るさがない。何か言わなくてはいけないと思っていても、どうしても言葉が出てこない。ただ見つめ合い、次第に気まずい空気が漂っていく。
 断ちがたい思いを振り切るように、ガウェインはエレインに背を向けた。約束した。必ず生きると。生きていれば、エレインにまた会える。馬に乗ろうと、ガウェインは一歩を踏み出した。
「待って、ガウェイン」
 耳に心地よく届く声。それは、紛れもなくエレインの声だった。色の違う二つのまなこが、きらきらと輝いている。
「イグレーヌ。あれを」
「承知いたしました」
 エレインに命じられたイグレーヌが、居館へ姿を消す。事態が飲み込めないブラギとラウドが、顔を見合わせていた。
「ガウェインに贈りたいものがあるの。どうしても、受け取ってほしい」
「え、でも…」
 ガウェインは甲冑を仕立ててもらっただけでなく、当面の資金と馬も手当してもらった。これ以上なにか貰うのは気が引ける。しかし、エレインの態度は有無を言わさぬものだった。
 再び姿を現したイグレーヌは、手に槍を持っていた。遠目からでも、それが大尖槍(グロース・ブレード・スピア)だと、ガウェインにはわかった。
「おお、それは…⁉」
「え、おい。いいのかよ⁉」
 突然ブラギとラウドが、狼狽しはじめた。エレインが二人をきっとすごむ。何も言わせないという意思を示したのだろう。さすがにウォーゼンの血を引くその気迫に、ラウドもブラギも口を閉じるしかなかった。
 意味が分からず呆然と立っているガウェインの前にエレイン、その横にイグレーヌが立った。
「私にはお姉さまがいて、父が亡くなった時に遺産を分け合ったの。お姉さまは父の所領や軍を継いだから、財宝はほとんど私の手元に渡ったの」
 エレインがイグレーヌの持つ大尖槍(グロース・ブレード・スピア)に触れる。
「これは、そのうちのひとつ。父が若い頃に遣っていた槍なの」
 きらきらと輝き、刃の付け根に美しい意匠が施されており、海のように青い宝珠が埋め込まれていた。
「これは銀のような輝きと、鋼を凌ぐ強さ、そして羽毛のような軽さを併せ持つ、ドワーフたちの金属・ミュスタリルで出来た槍。刃の付け根に埋め込まれた宝珠は古代魔法で加工された輝皇石(輝石の先高級品)よ。魔法による攻撃を軽減し、自身のアーテルフォルスや魔法を増幅してくれるわ。銘は、ガングティーン」
 イグレーヌがガウェインにガングティーンを差し出す。見とれていたガウェインは、我に返ったようにはっとした。
「これを、俺に…⁉」
 伝説の英雄、ウォーゼン・デュール・ベルゼブールが遣っていた大尖槍(グロース・ブレード・スピア)。それはベルゼブール家、ひいてはアースガルドにとっての宝といえるものだろう。そんなものは受け取れない。そう思ったガウェインは、無意識に首を横に振っていた。
「ガングティーンは、

。投げても持ち主のもとに必ず戻ってくる。そしてね、父はこの槍を持って戦場に出ると、どんな窮地でも必ず生きて帰ってきたんだって。ガウェインが帰ってこれるように、いっぱいいっぱい祈りをこめたから。だから、受け取ってほしい」
 エレインの手が、ガウェインの頬に触れる。ガウェインの好きなエレインの微笑みが眼前にあった。

。それがエレインの想いであり、自分の誓い。そう思い定めたガウェインは、応えるようにエレインの手の甲に掌を当てた。
 互いの想いを確かめ合い、ガウェインはイグレーヌが差し出した槍を握った。すると、輝皇石が淡い光を放ちはじめた。
「すごい、光っているの、初めて見た」
 眼を丸くしたエレインが言う。
 ガウェインは違和感を覚え、自分の腰に眼をやった。すると、カレトヴェルフの鍔に埋め込まれた紅い宝珠も、淡い光を放っている。それはガングティーンとカレトヴェルフが共鳴しているようであった。
「な、なんなんだろう」
 戸惑っていると、エレインがガウェインの肩を叩いた。
「きっと、認めてくれたんだよ」
 にこりと笑うエレインを前にして、ガウェインは何も言えなくなった。
 ガングティーンは驚くほど軽い槍だった。木の棒を持っているとそれほど変わらない。これならば馬上でも自在に扱えるのは間違いなかった。
 もう一度全員にお礼を述べたガウェインは、黒鹿毛の馬に跨った。
「行きます。皆、元気で」
 ラウドが笑いながら拳を握る。ブラギが深く頷く。イグレーヌが手を振る。両手を握ったエレインが、祈るようにガウェインを見つめていた。
 馬腹を蹴る。駆け出す。風が頬を打っている。それが、たまらなく切ない。
 人間族のイングリッドランド王国軍を率いた、ウーゼル・ジール・ローエンドルフ。デルーニ族のアースガルドを率いたウォーゼン・デュール・ベルゼブール。ウーゼルの遣ったカレトヴェルフと、ウォーゼンの遣ったガングティーン。二つの思いが込められた武器が、一人の少年の手に渡った。
 サーガ二十四年、春。ガウェインはルウェーズ州国を旅立った。

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