嵐の予感 Ⅰ

文字数 1,827文字

 流れる風。その風を切る音が、規則的な間隔で響き渡る。
 エレインの住まう白い居館、その庭先でガウェインは、木の棒を振っていた。
 体の傷が完治し、心身ともに立ち直ったガウェインは、まずはかつての体力を取り戻すべく、体を動かしていた。
 体力はだいぶ戻ってきていると、ガウェインは感じていた。あとは実戦での勘である。それを磨き直すには、再び戦場に出なければいけない。だがガウェインの中である疑問が湧いてきていた。
(どうして、俺はまだ剣を捨てられないんだろう。どうして、こうやって体を鍛えているんだろう)
 ガウェインが戦う力を身に付けたのは、家族の仇を討つためだった。そして仇敵であるシャールヴィ・ギリングを倒し、ガウェインの目的は達成された。つまり、ガウェインにはもう、戦う理由がないのである。それでもガウェインは、ゲッツから渡されたカレトヴェルフを肌身離さず持ち、こうして武術の修練を積んでいる。
 自問自答しながら木の棒を振るガウェインを、エレインとイグレーヌが見つめていた。ガウェインがエルミトルに来てからおよそ一月経過した。ここにきたばかりの頃とは違うガウェインの姿に、エレインも安心していた。
「ガウェイン」
 エレインが声を掛けると、ガウェインは柔らかい笑みを見せた。まるで子犬のような人懐っこい笑みに、エレインが思わずはにかんでいた。
「だいぶ元気になったね」
 エレインを前にして照れくさくなったガウェインは、無意識に頭を掻いていた。
「いや、全部エレインのおかげだよ。ありがとう」
「ううん。そんなことないよ」
 二人のやりとりを、イグレーヌが微笑みながら見守っている。春の陽気のごとく、温かい空気が生まれていた。
「ガウェイン。私ね、月に一度、ルウェーズ州国を治めるベルナード公と、会食をすることになっているの。昨日、ファルディオ様から書簡が届いて、ルウェーズ州国の州都アンシャルに行くことになったの。それで、ガウェインも一緒に行ってみない?」
「え、お、俺も⁉ その、大丈夫なのかな…?」
 ガウェインの戸惑いも無理はなかった。ガウェインはエレインの臣下でもなければ、縁戚でもない。無関係の居候が、ルウェーズ州国を治める公主との会食に同行してもよいのか。若いといえども、さすがにガウェインはその辺を判断できた。
「大丈夫だよ。それに、私が会食に行く時、ここの家の人たちも付いてくるし、留守の人もお休みしてしまうから、だから私と一緒に来たほうがいいと思う」
 ガウェインをひとりにすることで、ガウェインがまた塞ぎ込んでしまうのではないのかという、エレインなりの気遣いであった。そこに気づいていないガウェインは、まだ思い悩んでいた。
「心配ないわ、ガウェイン君。ベルナード公は人を身分で判断するような方ではないし、エレイン様にお仕えしているのは、人間族、デルーニ族など多種に渡る。貴方が同行することに不自然なことはない」
 エレインだけでなく、イグレーヌがひと言押したことで、ガウェインもようやく自分の中で納得したようだった。少し間があったものの、最終的には首を縦に振った。
「俺、この恰好でいいのかな?」
 ガウェインは両手を広げて、自分の身なりをまじまじと見た。麻の服はやはり平民の装いである。
「うん、どうしようかな。今からブラギに言って、用意してもらおうかな」
 エレインが顎に指を当てて考えている。
「ガウェイン君、傭兵だったのよね。それなら、兵装で行ったらどうかしら。ガウェイン君と同じくらいの体躯の甲冑なら、エリューズにあると思うわ」
 エレインが眼を輝かせて、手を叩いた。善は急げとばかりに、すぐにでも出立しそうな勢いである。
「エリューズっていうと、ここより大きな城郭(まち)?」
「そう、エレイン様はエルミトルに身を置いていらっしゃるけれど、トランヴァニア郡の政庁はエリューズにあるの。政務はブラギが執り仕切っていて、軍はラウドが指揮をしているわ」
 エレインに仕える主要な臣下の三人、イグレーヌ、ラウド、ブラギ。ガウェインがエルミトルに身を置いている間、イグレーヌと親交を深めることができたが、残りの二人とはあまり接点がなかった。巨躯を誇る歴戦の戦士と、眼光鋭い初老の紳士。それがガウェインの抱くラウドとブラギの印象だった。
「そうと決まったら、準備をしなくちゃね。早めにエリューズに入ろう」
 ガウェインによぎった一抹の不安を払拭するかのように、エレインが朗らかな笑みを見せた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み