春の花 Ⅲ

文字数 1,438文字

 エレイン・ベルナード。そう名乗った少女は、今までガウェインが見てきたことのない容貌を持っていた。触れてはならない神秘の花。ガウェインにはそう感じられた。
「お腹、空いてないですか。食べるものを持ってきますから、待っていてくださいね」
「あ、うん、ありがとう。ごめんなさい。迷惑ばかりかけて」
「ううん、大丈夫です」
 エレインが部屋から去る前に、ガウェインに微笑みかけた。また、ガウェインの心音が大きくなる。どこか落ち着かない気持ち。こんな風になるのは初めてだった。
 ガウェインは改めて、部屋の中を見回してみた。まるでおとぎ話にでてくるような、一面白い部屋だった。寝台も長椅子も長卓も収納棚も、寝台の隣にある整理棚ですら白色だった。どれも金色の装飾を施された、高級な調度品である。ガウェインの左手には窓があり、そこからは雄大に水を湛えたユーレン湖が見える。
(ここは、一体どこなんだろうか)
 エリオット・スタークという医師が開く、傷痍兵の療養施設を目指していたが、方角が合っているのか自信はなかった。加えて、エレインの持つ瞳の色は、片方だけ赤みを帯びたものだった。あれはデルーニ族の特徴である。もしかしたら、ここはデルーニ族の領土アースガルドなのではないかという考えが、ガウェインの頭をよぎった。
 部屋の扉が開かれると、エレインが食事を持って入ってきた。
「お待たせしました」
 それは椀の中いっぱいに盛られたスープだった。エレインが市場で買ったホリンやメークン、蒸した鶏肉も入っている。
「味付けが口に合うかどうか、わからないけど」
 椅子に座ったエレインが、スプーンで椀の中をぐるぐるとかき混ぜる。スープを掬ったエレインは、息を吹きかけてガウェインに差し出した。
「はい。どうぞ」
 大きめのスプーンに盛られたスープを前にして、ガウェインは突然の出来事に赤面した。無意識の行動だったとはいえ、エレインも自分の行為の意味するところを理解したのか、頬を染めた。
「は、早く、冷めてしまいますから」
 手を引っ込める訳にもいかず、エレインはガウェインを催促した。迷いながらもガウェインは、スープを口に入れた。
 温かいスープが喉を通り、胃の中に落ちていく。体温が高まっていくのを、ガウェインは感じていた。
「ど、どうしたんですか?」
「え…?」
 ガウェインは自分の頬に手を当てる。眼から顎の先に、涙が伝っているのに気付く。
 エレインが持ってきたスープは、ガウェインの脳裏に、母の作った野菜スープを甦らせていた。
 柔らかい寝台と、温かく、心のこもった料理。それがガウェインの心の傷に、痛いほど触れてきた。
 ガウェインが殺したシャールヴィとロディ。その親子も、このようなひと時を過ごすことがあったに違いない。そんな思いも、ガウェインの心を揺り動かした。
「お、俺は、どうすれば、よかったのかな…」
 思わず口から出たガウェインの呟き。それはガウェインがずっと抱え続けてきた思いだった。
 椀を整理棚に置いたエレインが、ガウェインの頬に手を伸ばす。エレインの親指が、ガウェインの涙を拭う。
「泣きたいのなら、泣けばいいです。それで少しでも心が安らぐなら、決して恥ずかしいことじゃない」
 ガウェインの口から呻きが漏れる。それは嗚咽となって、室内に響き渡った。ガウェインがずっと押し殺していた感情。それは止まることなく溢れだしていく。
 ガウェインは哀しみと後悔の涙を流し続ける。その隣には、エレインがいつまでも寄り添っていた。
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