清風、此処にあり Ⅱ

文字数 2,853文字

 イングリッドランド王国ブリタニア州は、王国東部にある。東部でも中心に位置するために、古来より交易が盛んであった。
 ブリタニア州を治めているのは、ローエンドルフ家。フォルセナ戦争で指揮を執った名
宰相、ウーゼル・ジール・ローエンドルフを輩出した名門である。ウーゼル自身は皇都ログレスで国政を担っていたが、妻子はブリタニア州に残していた。やがてウーゼルが亡くなると、嫡子であるアーサーが後を継ぐことになった。しかし、ウーゼルの弟にして、アーサーの叔父アルトリウス・ルキウス・ローエンドルフが叛旗を翻したことで、ブリタニア州は二つに割れた。
 もともとウーゼルは娘婿であり、サーレス・ジール・ローエンドルフの娘、イグレインと結婚し、サーレスに見出されてローエンドルフ家の当主となった。これを快く思わなかった側室の子アルトリウスは、自らこそがブリタニア州の主に相応しいと宣言したのだ。
 州内の豪族も二つに割れ、戦いは長期に渡った。しかし、ウーゼルの子飼いであった部将、アーサーの友人らが集結し、アルトリウスを打倒。ついにブリタニア州はひとつとなったのだ。
 ブリタニア州テュンダーベル郡キャメロット。アーサーの居城であり、ブリタニア州の州都である。帰還したアーサーは、すぐに居館へと戻った。
「なんとか間に合ったわね。また貴方が野駆けに出かけていたことは黙っておいてあげる。今日は皆集まってきているんだから、早くしなさいよ」
「ああ」
 今日は州内に配置されている主将たちも集めての軍議がある。勢威を増してきたザクフォン族への対応をどうするのか。まず議題はそこであった。
 アーサーは身支度を整えるために、一度部屋に戻った。すると、自分の部屋だというのに、ひとりの男が本を読みながら長椅子に座っている。
「マーリン。部屋の主がいないというのに、どうやって入ったのかな?」
 マーリン・シーヴァー・コーラント。かつてウーゼル・ジール・ローエンドルフの秘書官を務めていた、アーサーの軍師である。ウーゼルの死後、腐敗していく中央の政事に見切りをつけ、役職を辞して故郷に帰ったところ、アーサーと出逢い、その幕僚となった。
 本を閉じたマーリンは、アーサーの机の上へ眼をやった。
「書類が山積しておるな。机周りは常に綺麗にしておいたほうがよい。と言ってきたが、どうもお前はその辺りが苦手なようだな」
 マーリンの小言に何も言い返せなくなったアーサーは、身支度を整えると、マーリンと向かい合う長椅子に腰を下ろした。
 アーサーの側近中の側近。それがマーリンである。アーサーの考えた戦略、戦術に助言を与える。支配領地であるブリタニア州の内政を統轄する。軍事行動が起こった場合は物資を調達して、兵站を確保する。マーリンの役割は多岐に渡り、そのどれも外すことが出来ないものだった。
「ビフレスト州の争乱は一旦収まったようだな。イングリッドランド王国とアースガルド中央議会で和議が結ばれ、領土の割譲が行われた」
「オズウェル。馬鹿なやつめ。ゲルニカの位置的重要性を見抜けなかったか。あそこを整備されれば、オラデアの喉元に突き付けられた剣となる。今後はオラデアが何らかの形で脅威に晒されるというのは、容易に想像がつくはずだ」
 アーサーが吐き捨てるように言う。従者が茶を用意して、二人の間にある長卓にカップを置いた。
「マーリン。ゲルニカ争奪を主導したのは、デルーニの強硬派だと私は考えている。過激派はアースガルド中央議会も頭を痛ませている存在だが、少数派でそこまで影響力は強くない。だが、過激派の思想のもとを辿れば、それは強硬派の考えだ。強硬派が過激派を指嗾し、ゲルニカ争奪を裏から操った。これが真相のはずだ」
「恐らく間違いないであろう。武器や兵糧の援助もしているはずだ。ただ、直接支援すれば大事になる。ギルドなどを介して、物資を供出するくらいは平気でやるだろう。問題はウォーゼン・デュール・ベルゼブールの子、ギネヴィア・ローゼ・ベルゼブールがどう出るか。穏健派の巨頭シュルト・オーズ・ディートリッヒは、ギネヴィアの後見人であったという関係から、ギネヴィアも表立って強硬派を支持するとは考えにくい。アースガルド中央議会の対立はまだ先だろうな」
 マーリンが茶を口に含むと、アーサーもカップに手を伸ばした。
「ドムノニア州を獲る」
 いきなりの宣言を前にしても、マーリンは動じなかった。まるでアーサーがそう言うであろうということをわかっていたようだ。
「ブリタニア州も安定してきた。そろそろ余力もできているからな。お前がそう言うことは察していたよ。だが、その後をどうするかが大事だぞ。プロデヴァンス州のヴォーディガン・シーマが脅威だ。もっとも、器ではお前が遥かに上回っているがな」
「ブリタニア州は豊かだ。内乱で疲弊しても、まだ力がある。マーリンの手腕によるものだが、ここを地盤としてさらに力を伸ばせば、オズウェルと渡り合う勢力を築ける」
 カップを置いたマーリンが、アーサーをじっと見つめた。時折母のような慈愛を感じるその瞳に見つめられると、アーサーは身が引き締まる思いになるのだった。
「お前の追いかける理想は果てしないものであり、志あるものならば、誰もが抱くものだ。しかし未だに誰も成し得ていないことでもある。フォルセナ戦争には数多くの英雄がいた。先代ウーゼル様、ユリアン・ロンメル参事長、ディグラム・ハイゼンベルク将軍、総務大臣マークス・フェルナンド・ボレロ卿、そしてクリストフ王。デルーニ族には、ウォーゼン・デュール・ベルゼブールを筆頭に、シュルト・オーズ・ディートリッヒ、ユーミル・マーリィ・クローセル、アレクセイ・ロキ、ルーフェイ・ファータ・モルガン。そして十二神将たち。しかし誰ひとりとして勝者となりえなかった。志を遂げた者もいなかった。心せよアーサー。その道は容易くはない。道半ばで果てることなど、珍しくないのだ。どのような英雄であろうとな」
 アーサーは立ち上がり、バルコニーへと続く窓へと移動した。少し扉を開けると、柔らかい風が肌を撫でる。
「たしかに果たせなければ、何のためにもならない志だな。だが人間族とデルーニ族。両種族の共存。そして混血種(ハイブリッド)と、ザクフォン族の救済。この理想のためならば、私は自分の命など惜しくはない」
 熱い思いが自分の中で燃えているのを、アーサーは感じていた。それが、哀しみから生まれたものであることもわかる。それでも、自分を突き動かす原動力に他ならなかった。
「お前の理想も、信念も、お前だけのものだ。改めて忠告するまでもなかったな。思うがまま、自分の進む道を往くといい。お前がどのような道に進もうとも、揺らぐことのない勢力を築くのは、私の役目だ」
 これほどまでの頼もしい言葉が他にあるだろうか。アーサーの内に燃える炎が、ますます燃えていくようであった。
 熱く激しく燃える炎。その瞳に宿す情熱。それが未来の灯火となる日は、果たして訪れるのか。
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