第15話 少女探偵団、始めませう
文字数 1,940文字
市電の「花園橋」駅の近くで、お車を止めてもらった。鏡華さんは家の前まで送ると仰って下さったのだけれど、わたしがここでいいと言ったのだ。
みすぼらしくて小さな自分の家を、鏡華さんに見られるのが恥ずかしい気がしたから。鏡華さんは、決してわたしの家を見てばかにする人ではないとわかっているけれど、だからこそ余計見られたくなかったのだ。
わたしが降りると、なぜか一緒に鏡華さんも降りた。お嬢さまが降りたからだろう、運転手の女性も降りたので、三人ともお車の周りに立つというおかしな形になってしまった。
「送って下さってありがとう。鏡華さん、はやくお戻りになって。明日また学校でお会いしましょう。ごきげんよう」
わたしは鏡華さんに御礼を言ってから、運転手の女性にも「ありがとうございました」と頭を下げた。
彼女も丁寧に頭を下げてくれたが、西洋人のように彫りの深いお顔は、やはり冷たいほど無表情だった。
「こず枝さん、あと五分くらいわたしに下さる? ちょっとお話があるの」
鏡華さんはそう言って、少しお車から離れた。仕事帰りの勤め人らしい人が忙 しなく通っていく。わたしたちはそんな人の流れを避 けるように道の端に寄った。
「ねえ、鏡華さん。わたしたちで柏木さんの行 方 を捜すって本気?」
「本気も本気。モチモチよ※」
「だって……警察の手に余るような事件を、わたしたちがどうやって……?」
鏡華さんのお話の通りなら、柏木さんが失踪してから既に二週間以上が経過している。こんなことは考えたくもないけれど、最悪の事態だってあり得るのではないだろうか。
「この事件は、警察の手には負えない種類のものかもしれないわ。だからこそ、柏木さんのお父さまも、わざわざ父を訪ねていらしたのよ」
今日一番の衝撃だった。鏡華さんは単に学校の噂を話題にして、わたしとおしゃべりしていたわけではなかったのだ。
柏木さんのお父さまが、警察でも解決できない事件のことで鏡華さんのお父さまにご相談したというのは、どういうことなのだろう。しかも、その件でお父さまではなく、鏡華さんが動き出したという意味なの? そ、それって……?!
「鏡華さん、あなたはいったい――」
「ひどいわ。人をお化けかなんか見るような眼で見て」
鏡華さんはちょっと拗 ねたような顔をした。
「わたしの見るところではね、この事件の性質はおそらく、日本で〈神隠し〉と呼ばれるものだわ」
「神、隠し……」
『急に女性がいなくなってしまうという話は、柳田国男の「遠 野 物語」などに出てくる神隠しの話とも、少し似ているようですね』
お父さまの言葉が、ふと耳に蘇った。
柏木さんは、本当に神隠しに遭 ってしまったのだろうか。そんな彼女を取り戻す手段が、鏡華さんにはあると言うのだろうか。
わたしは、鏡華さんのお部屋の書棚の一廓を占めていた、中国古代の怪異譚を集めた本を思い出していた。それから、女学生が座右に置くものとして相応 しい書物とは到底思えない『易経』。
そう言えば、あの袋に入った、細長い棒のようなものは何だったのだろう。あの時、鏡華さんに後ろから呼びかけられなかったら、わたしはあの袋を手に取っていたかもしれない。
「わたしは明日の放課後、あの空き家へ行ってみるつもりよ。こず枝さんも、御一緒にいらっしゃる?」
鏡華さんは、少し首を傾 げてわたしを見つめた。
怖くなかったと言えば、嘘になる。
このままついて行けば、自分がとんでもない事態に巻き込まれてしまう予感があった。
鏡華さんは、本当に神秘的な方だ。底が知れない。底の知れなさは、一種の懼 れに似た感情を呼び起こす。しかも、ちょっと強引。ご自分でさっさと決めてしまうところがある。でも、それでも……いや、だからこそ一層――
(わたしは、鏡華さんが、好き)
神秘のベールに包まれているせいか、鏡華さんの、その類 い稀 な美しさは余計に光を増すかと見えた。
それと、もうひとつの理由。
わたしは、サイズの合わない服を無理矢理着せられているような、窮屈で味気ない学校生活には二度と戻りたくなかった。
怖いことは怖いけれど、鏡華さんと一緒にいる自分を想像すると、わくわくする気持ちを抑えられない。血 湧 き肉 躍 る冒険の匂い。
「わたしも御一緒してよ。モチモチよ」
「Deal !」
鏡華さんは、わたしに右手を差し伸べた。
わたしはその手を、自分の右手でしっかりと握った。
「少女探偵団の結成ね!」
まるで呼吸を合わせたように、まったく同じ言葉がわたしたちの口から飛び出した。
「まあ」
この言葉も同時だった。
わたしたちは、くすくすと笑った。
掌 と同じように、わたしたちの心も、ぴったり重なりあった気がした。
※ 「もちろん」の意味の女学生言葉。昭和初期に流行した。
みすぼらしくて小さな自分の家を、鏡華さんに見られるのが恥ずかしい気がしたから。鏡華さんは、決してわたしの家を見てばかにする人ではないとわかっているけれど、だからこそ余計見られたくなかったのだ。
わたしが降りると、なぜか一緒に鏡華さんも降りた。お嬢さまが降りたからだろう、運転手の女性も降りたので、三人ともお車の周りに立つというおかしな形になってしまった。
「送って下さってありがとう。鏡華さん、はやくお戻りになって。明日また学校でお会いしましょう。ごきげんよう」
わたしは鏡華さんに御礼を言ってから、運転手の女性にも「ありがとうございました」と頭を下げた。
彼女も丁寧に頭を下げてくれたが、西洋人のように彫りの深いお顔は、やはり冷たいほど無表情だった。
「こず枝さん、あと五分くらいわたしに下さる? ちょっとお話があるの」
鏡華さんはそう言って、少しお車から離れた。仕事帰りの勤め人らしい人が
「ねえ、鏡華さん。わたしたちで柏木さんの
「本気も本気。モチモチよ※」
「だって……警察の手に余るような事件を、わたしたちがどうやって……?」
鏡華さんのお話の通りなら、柏木さんが失踪してから既に二週間以上が経過している。こんなことは考えたくもないけれど、最悪の事態だってあり得るのではないだろうか。
「この事件は、警察の手には負えない種類のものかもしれないわ。だからこそ、柏木さんのお父さまも、わざわざ父を訪ねていらしたのよ」
今日一番の衝撃だった。鏡華さんは単に学校の噂を話題にして、わたしとおしゃべりしていたわけではなかったのだ。
柏木さんのお父さまが、警察でも解決できない事件のことで鏡華さんのお父さまにご相談したというのは、どういうことなのだろう。しかも、その件でお父さまではなく、鏡華さんが動き出したという意味なの? そ、それって……?!
「鏡華さん、あなたはいったい――」
「ひどいわ。人をお化けかなんか見るような眼で見て」
鏡華さんはちょっと
「わたしの見るところではね、この事件の性質はおそらく、日本で〈神隠し〉と呼ばれるものだわ」
「神、隠し……」
『急に女性がいなくなってしまうという話は、柳田国男の「
お父さまの言葉が、ふと耳に蘇った。
柏木さんは、本当に神隠しに
わたしは、鏡華さんのお部屋の書棚の一廓を占めていた、中国古代の怪異譚を集めた本を思い出していた。それから、女学生が座右に置くものとして
そう言えば、あの袋に入った、細長い棒のようなものは何だったのだろう。あの時、鏡華さんに後ろから呼びかけられなかったら、わたしはあの袋を手に取っていたかもしれない。
「わたしは明日の放課後、あの空き家へ行ってみるつもりよ。こず枝さんも、御一緒にいらっしゃる?」
鏡華さんは、少し首を
怖くなかったと言えば、嘘になる。
このままついて行けば、自分がとんでもない事態に巻き込まれてしまう予感があった。
鏡華さんは、本当に神秘的な方だ。底が知れない。底の知れなさは、一種の
(わたしは、鏡華さんが、好き)
神秘のベールに包まれているせいか、鏡華さんの、その
それと、もうひとつの理由。
わたしは、サイズの合わない服を無理矢理着せられているような、窮屈で味気ない学校生活には二度と戻りたくなかった。
怖いことは怖いけれど、鏡華さんと一緒にいる自分を想像すると、わくわくする気持ちを抑えられない。
「わたしも御一緒してよ。モチモチよ」
「
鏡華さんは、わたしに右手を差し伸べた。
わたしはその手を、自分の右手でしっかりと握った。
「少女探偵団の結成ね!」
まるで呼吸を合わせたように、まったく同じ言葉がわたしたちの口から飛び出した。
「まあ」
この言葉も同時だった。
わたしたちは、くすくすと笑った。
※ 「もちろん」の意味の女学生言葉。昭和初期に流行した。