第1話 典雅なる戦闘服は臙脂色
文字数 1,678文字
毎朝、鏡を見て身だしなみを整えている時、必ず思うことがある。
(制服って、軍服に似ている)
セーラー服は元々海軍の軍服だったのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、わたしが感じているのは、たぶんそれとはちょっと違う意味だ。うまく言えないのだけれど。
明治の御代 からの伝統を誇る高等女学校の制服はワンピース型で、腰のところで校章付きのベルトを止める。セーラー・カラーも含めて紺一色だが、カラーに入った三本のラインと三角タイが臙 脂 色。
横浜で知らぬ人はない有名基督教女学校 ――その典雅なる戦闘服。
わたしは、鏡の中の自分に笑いかけてみた。莞爾 と笑ったつもりだったのに、なんだか人込みの中で、うっかりおならをしてしまった人のような顔に見えた。
ああ、それにしても、いくらふと心に浮かんだ比喩とは言え、わたしの品のなさはどうだろう。
(主よ、このはしたない娘をどうかお許し下さい)
わたしは鏡の中の
これで、よし。
本当に戦地に行ったら、真っ先に弾に当たって死にそうだという意味においては完璧だ。
出がけに、お父さまの書斎を覗いて、朝のご挨拶をする。
「そろそろ二週間になりますね。学校には慣れましたか」
お父さまは右手に万年筆を握ったまま、ぶ厚いの眼鏡の奥の目を瞬 かせた。
お父さまは、娘であるわたしにもこんな丁寧な言葉遣いをする。
「はい、だいぶ慣れました」
「それはよかったです」
まあ、「だいぶ」の範囲は人によってかなり異なるとは思いますが。
「もし学校で何か面白い話があったら教えて下さい。新聞連載というのは毎日書かなければいけないので、材料 がすぐ底をついてしまうんです」
かなり書きあぐんだあげく、髪の毛に八つ当たりしたと見えて、お父さまの蓬髪 の、その乱れ具合だけは文豪並みと言えるかもしれない。なんだか髪の毛が可哀相、お禿げにならなければよろしいのだけれど。
「でも、お父さまが今お書きになっているのは、時代物ではなくって?」
「なあに、いざとなれば主人公が時間旅行をして現代に来たことにしてもいいのです。空想科学小説に、そういうのがありますからね」
「まあ」
そんないい加減な、という言葉はかろうじて喉の奥に呑み込む。うちはこの新聞連載小説のおかげで、生活できているのだから、途中で打ち切りにでもなったりしたら大変だ。材料提供の協力くらいするのは、娘として当然の義務なのかもしれない。
――とは言うものの……。
「急がないと遅刻しますので。行って参ります」
わたしは軽く頭を下げて、逃げるようにお父さまの書斎を出た。
お父さまとは、仲が悪いというわけではない。
でも、お父さまとお話をする時間が、だんだん少なくなっているのは事実。特に女学校に通うようになってからは、時々お父さまと二人きりで夕 餉 の膳に向かい合っていたりすると、わけもなくいらいらしてしまうことがある。
こんなことはいけないと自分でもわかっているのだけれど、お父さまが学校のことをお尋ねになっても、ついつっけんどんな受け答えをしてしまったりする。お父さまはこういう時には決まって、怒る代わりに眼鏡の奥の眼を瞬 く。
お母さまになら、何でも話せたのに。
お母さまは、今わたしが通っている女学校の卒業生だった。だからお母さまなら、わたしが今感じている違和感――まるでサイズの合わない服を無理矢理着せられているような窮屈さについて、きっとよく理解して下さったろうし、あの優しい笑顔で適切な助言も与えて下さったに違いない。
お母さまのなつかしい俤 が瞼のうらに浮かぶと、わたしは自分の胸の穴のことを思い出す。「穴が開いたような気持ちになる」のではなく、「穴が開いているのを思い出す」のだ。
お母さまが天国に召されてから、もう一年にもなる。
わたしの胸には、一年間ずっと穴が開いたままになっている。時折、穴の存在を忘れることはあっても、穴が塞がることはない。
おそらく、永久に。
(制服って、軍服に似ている)
セーラー服は元々海軍の軍服だったのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、わたしが感じているのは、たぶんそれとはちょっと違う意味だ。うまく言えないのだけれど。
明治の
横浜で知らぬ人はない有名
わたしは、鏡の中の自分に笑いかけてみた。
ああ、それにしても、いくらふと心に浮かんだ比喩とは言え、わたしの品のなさはどうだろう。
(主よ、このはしたない娘をどうかお許し下さい)
わたしは鏡の中の
はしたない娘
を睨みながら、曲がったタイを直す。衣服の乱れは心の乱れ、心の乱れは衣服の乱れ。呪文のように口の中で呟きながら。これで、よし。
本当に戦地に行ったら、真っ先に弾に当たって死にそうだという意味においては完璧だ。
出がけに、お父さまの書斎を覗いて、朝のご挨拶をする。
「そろそろ二週間になりますね。学校には慣れましたか」
お父さまは右手に万年筆を握ったまま、ぶ厚いの眼鏡の奥の目を
お父さまは、娘であるわたしにもこんな丁寧な言葉遣いをする。
「はい、だいぶ慣れました」
「それはよかったです」
まあ、「だいぶ」の範囲は人によってかなり異なるとは思いますが。
「もし学校で何か面白い話があったら教えて下さい。新聞連載というのは毎日書かなければいけないので、
かなり書きあぐんだあげく、髪の毛に八つ当たりしたと見えて、お父さまの
「でも、お父さまが今お書きになっているのは、時代物ではなくって?」
「なあに、いざとなれば主人公が時間旅行をして現代に来たことにしてもいいのです。空想科学小説に、そういうのがありますからね」
「まあ」
そんないい加減な、という言葉はかろうじて喉の奥に呑み込む。うちはこの新聞連載小説のおかげで、生活できているのだから、途中で打ち切りにでもなったりしたら大変だ。材料提供の協力くらいするのは、娘として当然の義務なのかもしれない。
――とは言うものの……。
「急がないと遅刻しますので。行って参ります」
わたしは軽く頭を下げて、逃げるようにお父さまの書斎を出た。
お父さまとは、仲が悪いというわけではない。
でも、お父さまとお話をする時間が、だんだん少なくなっているのは事実。特に女学校に通うようになってからは、時々お父さまと二人きりで
こんなことはいけないと自分でもわかっているのだけれど、お父さまが学校のことをお尋ねになっても、ついつっけんどんな受け答えをしてしまったりする。お父さまはこういう時には決まって、怒る代わりに眼鏡の奥の眼を
お母さまになら、何でも話せたのに。
お母さまは、今わたしが通っている女学校の卒業生だった。だからお母さまなら、わたしが今感じている違和感――まるでサイズの合わない服を無理矢理着せられているような窮屈さについて、きっとよく理解して下さったろうし、あの優しい笑顔で適切な助言も与えて下さったに違いない。
お母さまのなつかしい
お母さまが天国に召されてから、もう一年にもなる。
わたしの胸には、一年間ずっと穴が開いたままになっている。時折、穴の存在を忘れることはあっても、穴が塞がることはない。
おそらく、永久に。