第6話 その髪を飾らむと花ぞ舞い散る

文字数 2,143文字

 枝に散り残った最後の花びらが、ちらちらと震えるように舞い散って、鏡華さんの髪の上に()まる。
 取って差し上げようかと、伸ばしかけたわたしの手が、ふと躊躇(ためら)う。
 花びらまで鏡華さんの美しさに酔い、その髪を飾ろうと舞い降りてきたみたい。
 桜の、髪飾り。
 
 昼休み。運動場の隅に、人目につかない一廓(いっかく)がある。頭上には桜の大樹が見事な枝を伸ばしていて、その青葉越しの光がわたしたちの上で揺れている。

 鏡華さんは、今日も紫のリボンで髪を結んでいらっしゃる。
 きっと紫がお好きなのだ。
 鏡華さんの髪が微かに揺れる度に、抜けるように白いお顔にリボンの紫が映えて、得も言われぬ可愛らしさ。

 ああ、それから、この鳳凰のようなお眼。
 まるで人跡(じんせき)まれな()(やま)の湖みたい。見ていると、自分の魂が吸い込まれそうで切ない。なんだか、泣きたいような気さえする。
 この方を、御自分だけの〈妹〉にしてしまいたい。
 そうお思いになった房子さまの気持ちも、わかるような気がするのだ。

 鏡華さんが房子さまの〈妹〉になるのをお断りになってから、二日が過ぎた。
 学校中、この噂で持ち切り。噂は収束に向かうどころか、ますます大きくなっている。
 昼休みに教室にいると、他の(クラス)だけでなく、上級生の方たちまで、この「小生意気な一年生」を一目見ようとやってくる。廊下に面した教室の窓に、そうした野次馬たちが鈴なりになるほどになってしまったので、鏡華さんはやむなく、こうして外へ避難することにしたのだ。

 正直、生きた心地がしない。
 いや、わたしは直接関係はないはずなのだが、鏡華さんに向けられる周囲の視線が怖すぎて、鏡華さんと一緒に廊下を歩いている時など、顔も上げられない気分なのだ。
 逆に鏡華さんはすくっと背筋を伸ばし、まっすぐ前を見て堂々と歩いていく。
 噂なんて何処(どこ)吹く風、といった涼やかな表情。
 すごい。本当に、すごい。わたしなんかとは、人間のできが違う。いや、なんだか同じ人間とは思えない。

(だめよ、こず枝! これじゃあ、鏡華さんをお守りすることなんてできないじゃない!)

 思わず固く拳を握って、自らを叱咤する。

 房子さまは今、とんでもない(はずかし)めを受けた気持ちでいらっしゃるに違いない。
 俗に、可愛さ余って憎さ百倍と言う。
 房子さまが怒りと屈辱に震えていらっしゃる姿を想像すると身の毛がよだつ。
 今まで何もないのが、かえって不気味。嵐の前の静けさとしか思えない。

「ねえ、鏡華さん。わたし、本当に誰にも話していないのよ。信じて下さるわね?」
「もちろん。こず枝さんのことは信じているわ。わたしはこれでも、人を見る眼はあるつもりよ」
 わたしたちはお互い、姓ではなく名で呼び合うようになっていた。本当に〈お友達〉になれたんだなあという気がして、しみじみ嬉しい。
「よかった」
 穏やかな鏡華さんの笑顔に、とりあえずわたしはほっとしたけれど、それはそれとして不思議なのは、なぜこんなにはやく学校中に噂が広まってしまったのかということ。
「犯人はわかっているの。噂を広めたのは、房子さまご本人よ」
「そんな――」
〈エス〉の関係になる誘いを断られたなんて、房子さまにとっては絶対に他人(ひと)に知られたくない出来事ではないのだろうか。
 あの現場を目撃した部外者は、たぶんわたし一人。
 そのわたしが口外していない以上、残るは当事者のお二人。
 鏡華さんがそんなことをするはずがないし……消去法的に考えれば、房子さましかいないことになってしまう。
 でも、いったい何のために? 
 それが、どうにも解せない。
 わたしがしきりに首を捻っていた時である。
 
「あら、こんなところにいらしたの。ずいぶん、探してしまったわ」

 わたしは文字通り跳び上がった。
 噂をすれば影が差すの言葉通り、桜の樹に片手をかけて立っているのは、紛れもない房子さまであった。

 房子さまは、ちらっとわたしの方へ瞳を動かした。わたしは、反射的に両手で口を覆った。跳び上がった時、どうやら「ひえっ!」というような奇声を発してしまったらしい。
 房子さまの視線がわたしの上に(とど)まったのは一瞬で、すぐに離れた。なんとなく、「下々(しもじも)の者」という札が自分の首に掛けられているような気がした。

(房子さま、やっぱりお美しい……)

 こんな場合なのに、しかも()(ぼう)の石のような一瞥(いちべつ)を与えられた直後だというのに、ついそんなことを考えてしまうわたしだった。

 房子さまには、きっと御自分の〈美学〉というものがおありなのだ。
 桜の樹に片手をかけたそのお姿。僅かに(かし)げた首の角度まできっちり計算されていて、同時に御自身はその計算をお忘れになっている。
 意識的な自然体。
 矛盾しているようで、矛盾していない。少なくとも、この方の中では。
 登場しただけで、その場の空気を支配してしまう天性の女王。

「小野寺さま、わたくしに何か御用でしょうか」
 すくっと鏡華さんが立ち上がる。
 鏡華さんのお顔に浮かぶ微笑はなんの(たくら)みも曇りもなく、正に天使の天真爛漫さ。
 でも、あの眼尻のこころもち釣り上がった瞳は、ひたと房子さまに据えられている。
 房子さまも優美な笑顔はそのままで、決して鏡華さんから眼を()らさない。

 激しく火花の散る音が、わたしの耳に聞こえたような気がした。
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登場人物紹介

春野こず枝(はるの・こずえ)

本作の主人公兼語り手。香蘭女学校一年生。

母も香蘭女学校の卒業生だったが、去年亡くなった。現在は、あまり売れていない文士の父親と二人暮らし。

鏡華と「少女探偵団」を結成する。

※余談だが、使用させていただいているフリーイラストが美しすぎて、小説作者(南ノ)でさえ、「こず枝さん、あんたこんな美少女じゃないよね」と密かに思っているという噂がある。

林鏡華(リン・キョウカ)

「鳳眼」の美少女で、こず枝とは腹心の友。

台湾出身だが、父親が横浜で貿易会社を経営しているため、日本育ち。

一部の生徒にしか知られていないものの、もう一つの顔を持ち、特殊な事件を解決する。

こず枝とともに「少女探偵団」を結成。

※左の耳の上あたりの髪に、小さい紫色のリボンをイメージしていただくと、より小説のイメージに近くなります。

小野寺房子(おのでら・ふさこ)

香蘭女学校の「女王」と称せられ、下級生から憧れと畏怖の視線を集める五年生。

次期首相候補とも囁かれる大物政治家の御令嬢。

特技はフートボール。


薬師寺光子(やくしじ・みつこ)

こず枝と鏡華の級友(クラスメート)。

母親も香蘭女学校の卒業生で、こず枝の母の親友だった。

父親が小野寺家の執事のため、家族で小野寺邸に住んでいる。


柏木塔子(かしわぎ・とうこ)

香蘭女学校二年生。

一見なよなよした風情の美少女だが、なぜか「剛の者」と称される。

女王房子が唯一苦手とする相手だという噂がある。

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