第17話 山雨来らんと欲して風楼に満つ
文字数 2,765文字
山の方から雨が降り出そうとする時、先ず風が楼閣の中へ、さぁっと吹きつけてくる。お父さまの話によると、唐の詩人
霧社の日本人は
冒頭の一行を読んだ時、わたしは一瞬、霧社事件のことが書かれているような錯覚に陥ったのだが、すぐお父さまの言葉を思い出した。「佐藤先生」が台湾旅行をなさったのは大正九年、霧社事件の10年前。雑誌の奥付を見ると、大正十四年三月となっていた。台湾旅行の後、なぜか5年も経ってから書かれた作品ということになる。
お父さまの
その夜、わたしは翌日の授業の下読みも忘れて、佐藤春夫の「霧社」を読み耽った。
この作品から、大正九年にも霧社で、7人の日本人が殺害されるという事件が起きていたことがわかる。「蕃人」という言葉に、どきりとした。これもお父さまから聞いたのだけれど、台湾にいる日本人は「内地人」と呼ばれ、台湾に住む漢族は「本島人」と呼ばれるのだそうだ。台湾には他にも、主に山地に住む原住民※2の
台湾ではこうしたルーツの問題が複雑で、例えば鏡華さんは17世紀から19世紀にかけて福建省から台湾に移ってこられた漢族の子孫。一方、日本名を夏子さんと仰るあの方は、それ以前から台湾に住んでいた高砂族の子孫ということになる。確かに、夏子さんの彫りの深い容貌には、鏡華さんのお顔とは異質の美しさがある。
それにしても、いくら当時の習慣だからって、「蕃人」と平気で書く佐藤春夫に、最初はお父さまの先生であることも忘れて激しい怒りを覚えた。なんという厭な、無神経でひどい言葉だろう! だが、読み進めるうちに、この作品は寧ろ内地人を批判的な眼で見ていることがわかってきた。
予がこの噂を耳にした當初から、「日本人は皆殺」といふ言葉が使用されてゐる。理知的に厳密に言へば「内地人が皆殺」でなければならない。さう呼ぶやうに統治者も教えてはゐるのである。※1
わたしたちも、学校で台湾の方々は同胞であると習っている。ところが、事件が起こったとたん、「日本人が殺された」に変わってしまう。この作品は、こうした嘘をひとつひとつ暴いていくのだ。
霧社に赴任した日本人巡査が一人の高砂族の女性を妻に迎える。この巡査は他の地方へ転任する時、彼女を捨てて逃げてしまう。他の種族の男に
おそらく佐藤春夫の分身である「予」は、霧社公学校の授業を参観する。
臺灣で一番大きな町は臺北、日本で一番大きな町は東京。日本で一番えらいお方は天皇陛下、台湾で一番えらい人は総督閣下。※1
「予」は、「彼等は彼等の世界では想像することの出来ない種類の概念を與へられつつある」と思って、「妙な不快」を覚える。わたしも思わず、頁が凹んで跡がつくほど指に力を入れてしまった。これではまるで白雪姫に出てくる悪い王妃と同じではないか。鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?
この作品に描かれている内地人は、厭な人ばかりだった。反対に、高砂族の方々に無垢な美しさと強さがある。例えば、女性たちを描写したこんな一節――
女たちはみな堂々たる姿勢で、相當な重さらしいものを事もなげに背負つてゐた。背が高く反身で胸を張つてゐるのは彼女等の自然の姿勢で、共通なもので、勞働の結果と思へる。聞けば、一般に蕃人は決して前こごみに歩く者はなく、たといすり鉢のやうな坂を攀じ上る時にも、彼等は平地を行く人の如く、天を指して生えた杉の樹のやうに真直ぐな姿勢を崩さない。※1
読んでいると、夏子さんの精悍とも言える御容姿が眼前に彷彿とした。
今日の午後、お車を降りて玄関へ行く途中、夏子さんから敵意のような強い視線を向けられたと感じたものだが、今思い返してみると、あれは敵意とは異なるものであった気がする。御自分の妹さんと同じ年頃の娘に向けられた、一瞬の視線。あの視線の中に
お蒲団に入ってからも頭がかっかと
わたしは、お母さまとお話をしたくなるとアルバムを眺める。アルバムには、お母さまの香蘭女学校時代の写真が何枚かある。今のわたしと同じ制服を身につけた、わたしと同じ年頃のお母さま。なんだか不思議。
アルバムの頁を
お母さまが、もう一人の
(あら、これってもしかして……?)
今まで何度も見ていたのに、気づかなかった。二人の足元に一個のボールがあることを。そのボールは、紛れもなくフートボールだった。
(お母さまも、フートボールをなさっていたんだ)
気づいた
お母さまにも、今日のわたしと同じようにフートボールを蹴って、運動場を走り回る日々があったのだ。
この時、わたしは奇妙な
発見
をした。(この方、どこかで……?)
お母さまと一緒に写っている、もうひとりの少女。髪はお下げで、眼鏡をかけているお顔が
誰かに似ている
ような気がしたのだ。写真を睨みながら暫く首を捻っていたが、とうとう思い出せなかった。
※1 本文中、佐藤春夫の「霧社」を引用した箇所は、『佐藤春夫台湾小説集 女誡扇綺譚』(中央公論新社、2020年、P131~P176)を参照し、筆者自身が適宜、旧漢字・旧仮名遣いに改めた。
※2 「原住民」という言葉は現在、一種の差別用語とみなされ、「先住民」という語を用いるのが妥当ですが、「昭和十一年」という時代背景に鑑み、「原住民」の表記のままとしました。ちなみに現代の台湾においては、「