第13話 柏木さんは事件の匂ひ
文字数 2,211文字
「柏 木 さん?」
わたしが思わず訊き返すと、鏡華さんは黙って頷いて、こう言った。
「実はわたし、柏木さんをフートボールのメンバーに加えたいと思っているの」
私は、スプーンを口に入れたまま固まったしまうほど驚いた。
「柏木さんって、あの柏木塔子 さん? 二年生だけど、ずっと学校を休んでいる方でしょう」
「そう」
「だってあの方、噂では――」
その後を言うのは躊躇 われた。
噂では、柏木さんは房子さまのご機嫌を損ねたことが原因で、学校に来られなくなったと言われている。
『柏 木 さまが、小野寺さまのご機嫌を損ねたために学校にこられなくなったという噂は本当でしょうか』
鏡華さんだって、房子さまに正面切ってそうお訊きしていたではないか。
「その『房子さまのご機嫌を損ねた』って話だけど、具体的な内容について、こず枝さんは何か聞いてらっしゃる?」
「それは……」
もちろん、はっきりした事情はわからない。噂というのは、いかにまことしやかに語られていても、所詮 憶測の域を出ないものだ。
そもそも柏木さんは二年生、房子さまは五年生。普通に考えれば学校において接点はないはず。
ただ、柏木さんは去年の一年生の中で最も人目を引く美少女だったと言われている。そこで考えられる最も有力な可能性は――そう、〈エス〉の関係だ。
柏木さんは房子さまの〈妹〉で、そのお付き合いの中で何らかのトラブルが発生したのではないか――というのが、大方 の見 方 なのだ。
ところが、鏡華さんはその前提そのものを疑うようなことを言った。
「房子さまと柏木さんは、本当に〈姉妹〉の契 りを結んでいたのかしら?」
わたしは、あっと声を上げた。「柏木さんが房子さまのお誘いを断った可能性もあるということね?」
鏡華さんと同じように。
房子さまはプライドが高く、支配欲の強い方だ。もしご自分の誘いが断られた場合、何らかの報復をするのは火を見るより明らか。実際、鏡華さんは決闘を申し込まれてしまっている。柏木さんが房子さまの報復を恐れるあまり、学校に来られなくなったという可能性は十分にあるだろう。
ところが、鏡華さんの言葉はまたわたしの意表を突いた。
「いいえ。わたしは、柏木さんが房子さまのエスの誘いをお断りになったわけではないと思っているの」
「どうしてそうわかるの?」
「もし柏木さんが房子さまの〈妹〉になるのを拒否したのだとすれば、学校に噂が広まっていなければおかしいわ」
「あ、そうか」
鏡華さんの名が既に学校中に知れ渡っているように、もし柏木さんがお断りになったのなら、そういう噂が全く出てこないのは確かに不自然だ。
「そう言えば、鏡華さんが房子さまのお申し出をお断りになったという噂を広めたのは、房子さまご自身だと仰っていたわよね」
「あの方は自信家で、そして政治的手腕に長 けていらっしゃるのよ。自ら噂を広め、輿論 でわたしを追いつめる作戦に違いないわ」
そういうことだったのか。実際、鏡華さんの評判は「あろうことか房子さまのお申し出を拒絶した身の程知らずの一年生」ということになっている。房子さまの思う壺というわけか。これでフートボールの試合に負けでもしたら、鏡華さんの立場は圧倒的に不利なものとなってしまうだろう。しかも、立ち合い人兼審判は厳正さで知られるミセス・ハーパー。言い訳の余地はない。
わたしは腋 の下にじわりと厭な汗が滲 むのを感じた。房子さまは既に水も漏らさぬ布石 を打っているのだ。
「じゃあ、さっき鏡華さんが仰った『本当に〈姉妹〉の契りを結んでいたのかしら』って、いったいどういう意味なの?」
「噂と真相は、もしかしたら全く異なる可能性もあるってこと。わたしが聞いたところではね、新学期が始まって以来、柏木さんがずっと学校に来ていないというのは正確ではないんですって。新学期の最初の日、柏木さんはかなり早い時間にお家の車を出させて学校へ向かっているの。でも、学校に着く前にある場所で車を降り、そこへ入って行かれた。そして――」
「そして?」
「柏木さんは、
「消えた?」
わたしはまじまじと鏡華さんを見つめた。冗談を言っている人の顔ではなかった。
「文字通りの意味よ」
鏡華さんは淡々と続けた。「柏木さんは一人で中に入り、二度と出てこなかった」
「ちょ、ちょっと、それって……誘拐されたってこと?!」
「真っ蒼 になった運転手の報告を受けて、柏木家ではすぐに警察に塔子さんの捜索願いを出した。でも、彼女の行 方 は未 だに杳 として知れず、身代金の要求もない。警察も途方に暮れているし、心労のあまりお母さまがお倒れになったとか……」
「いったい、どういうことなの?」
「それを、これから調べるのよ」
「だ、誰が」
「わたしたち」
ふへっ。そんな声――というより音が、わたしの口から洩れた。人間はあまりびっくりすると、ずいぶん間の抜けた状態になるらしい。
「あの方には、わたしたちのフートボールチームのメンバーになっていただくつもりだって言ったの、わたし本気よ。チームメイトの危難を救うのは、仲間として当然だわ。そうお思いにならなくて? こず枝さん」
鏡華さんは、莞爾 と微笑んだ。
がちゃん。
わたしはスプーンを咥 えていたのも忘れ、ぽかん口を開けてしまった。その拍子に、指の間からスプーンが滑り落ち、お皿の上で派手な音を立てたのだ。
シャオ・ヘイが首を傾 げて、そんなわたしと鏡華さんを交互に眺めていた。
わたしが思わず訊き返すと、鏡華さんは黙って頷いて、こう言った。
「実はわたし、柏木さんをフートボールのメンバーに加えたいと思っているの」
私は、スプーンを口に入れたまま固まったしまうほど驚いた。
「柏木さんって、あの柏木
「そう」
「だってあの方、噂では――」
その後を言うのは
噂では、柏木さんは房子さまのご機嫌を損ねたことが原因で、学校に来られなくなったと言われている。
『
鏡華さんだって、房子さまに正面切ってそうお訊きしていたではないか。
「その『房子さまのご機嫌を損ねた』って話だけど、具体的な内容について、こず枝さんは何か聞いてらっしゃる?」
「それは……」
もちろん、はっきりした事情はわからない。噂というのは、いかにまことしやかに語られていても、
そもそも柏木さんは二年生、房子さまは五年生。普通に考えれば学校において接点はないはず。
ただ、柏木さんは去年の一年生の中で最も人目を引く美少女だったと言われている。そこで考えられる最も有力な可能性は――そう、〈エス〉の関係だ。
柏木さんは房子さまの〈妹〉で、そのお付き合いの中で何らかのトラブルが発生したのではないか――というのが、
ところが、鏡華さんはその前提そのものを疑うようなことを言った。
「房子さまと柏木さんは、本当に〈姉妹〉の
わたしは、あっと声を上げた。「柏木さんが房子さまのお誘いを断った可能性もあるということね?」
鏡華さんと同じように。
房子さまはプライドが高く、支配欲の強い方だ。もしご自分の誘いが断られた場合、何らかの報復をするのは火を見るより明らか。実際、鏡華さんは決闘を申し込まれてしまっている。柏木さんが房子さまの報復を恐れるあまり、学校に来られなくなったという可能性は十分にあるだろう。
ところが、鏡華さんの言葉はまたわたしの意表を突いた。
「いいえ。わたしは、柏木さんが房子さまのエスの誘いをお断りになったわけではないと思っているの」
「どうしてそうわかるの?」
「もし柏木さんが房子さまの〈妹〉になるのを拒否したのだとすれば、学校に噂が広まっていなければおかしいわ」
「あ、そうか」
鏡華さんの名が既に学校中に知れ渡っているように、もし柏木さんがお断りになったのなら、そういう噂が全く出てこないのは確かに不自然だ。
「そう言えば、鏡華さんが房子さまのお申し出をお断りになったという噂を広めたのは、房子さまご自身だと仰っていたわよね」
「あの方は自信家で、そして政治的手腕に
そういうことだったのか。実際、鏡華さんの評判は「あろうことか房子さまのお申し出を拒絶した身の程知らずの一年生」ということになっている。房子さまの思う壺というわけか。これでフートボールの試合に負けでもしたら、鏡華さんの立場は圧倒的に不利なものとなってしまうだろう。しかも、立ち合い人兼審判は厳正さで知られるミセス・ハーパー。言い訳の余地はない。
わたしは
「じゃあ、さっき鏡華さんが仰った『本当に〈姉妹〉の契りを結んでいたのかしら』って、いったいどういう意味なの?」
「噂と真相は、もしかしたら全く異なる可能性もあるってこと。わたしが聞いたところではね、新学期が始まって以来、柏木さんがずっと学校に来ていないというのは正確ではないんですって。新学期の最初の日、柏木さんはかなり早い時間にお家の車を出させて学校へ向かっているの。でも、学校に着く前にある場所で車を降り、そこへ入って行かれた。そして――」
「そして?」
「柏木さんは、
消えてしまった
の」「消えた?」
わたしはまじまじと鏡華さんを見つめた。冗談を言っている人の顔ではなかった。
「文字通りの意味よ」
鏡華さんは淡々と続けた。「柏木さんは一人で中に入り、二度と出てこなかった」
「ちょ、ちょっと、それって……誘拐されたってこと?!」
「真っ
「いったい、どういうことなの?」
「それを、これから調べるのよ」
「だ、誰が」
「わたしたち」
ふへっ。そんな声――というより音が、わたしの口から洩れた。人間はあまりびっくりすると、ずいぶん間の抜けた状態になるらしい。
「あの方には、わたしたちのフートボールチームのメンバーになっていただくつもりだって言ったの、わたし本気よ。チームメイトの危難を救うのは、仲間として当然だわ。そうお思いにならなくて? こず枝さん」
鏡華さんは、
がちゃん。
わたしはスプーンを
シャオ・ヘイが首を