第35話 『フレイグラント・オーキッズ!』内緒話③――女学生の「身の上相談」

文字数 3,864文字

 この作品を書くにあたり、大変お世話になったのは、弥生美術館 内田静枝編『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』です。

 とりわけ興味深かったのは、当時の少女雑誌にあった名物コーナー「身の上相談」の内容をピックアップした部分で、作品の資料ということも忘れて読み耽ってしまいました。
 
 昭和初期の乙女は、いったいどんな悩みを抱えていたのでしょうか。気になりますよね? 
 その一部をここに紹介したいと思うのですが、当時の代表的な少女雑誌について、先ずは簡単に触れておきましょう。
 百合小説の元祖とも言われる川端康成の『乙女の港』が連載された『少女の友』(実業之日本社)、女学生のバイブルと称された吉屋信子の『花物語』が連載された『少女画報』(東京社~新泉社)、そして講談社がまだ大日本雄弁講談社だった時代の『少女倶楽部』、そしてもうひとつ、『令女界』(宝文館)がありました。

 これらの雑誌に、乙女たちは胸に秘めたさまざまな悩みを書き綴って送っていたわけなのです。わたしの『フレイグラント・オーキッズ!~香蘭の乙女たち~』でも主要なテーマとなっている「エス」の関係に関するものも、もちろんかなりあります。でも、少し意外(?)だったのは、当時有害だとされ、非難を浴びがちだった男女交際に関する相談も、実は少なくなかったのです。その行動を厳しく管理されがちだった時代においても、少女たちはけっこうたくましかったということなのでしょうか。

 しかも注目されるのは、男女関係の相談がほとんど『令女界』に集中していることです。『令女界』は前掲の雑誌のうち、読者の対象年齢が最も高い(女学校高学年~二十歳前後)雑誌だったのですが、そのことと関係があったかもしれません。

 では、当時の乙女の悩みを具体的にいくつか見ていきましょう。
 一つ目は、『令女界』(昭和九年四月号)に掲載された「静子」さん(おそらく偽名)の悩み。

 私は今年十七の少女です、一昨年或事からCという男と知合になりました。一ヶ月後二人は兄妹の約束をしました。そして十以上も違うCをお兄様と呼んで随分甘えていました。※1

 ちょ、ちょっと。「十以上も違う」って、お相手の方は幾つなの?

 「十以上も違う」という書き方は、ちょっと微妙ですよね。親しい相手なら、正確に年齢を知っているはずです。つまり、静子さんは回答者に「お兄様」がかなり年上であることを知られたくなくて、あえてぼかして書いたのだと思われます。
 ということは、少なく見積もっても二十八歳以上、もしかしたら三十歳くらいだった可能性もあるでしょう。当時は数え年だとは言え、三十に近い男を「お兄様と呼んで随分甘えて」いるなんて、ここまで読んだだけで、やばい匂いがぷんぷんします。
 だいたい、いい年をして十七歳の少女に自分を「お兄様」と呼ばせる男なんてキモすぎ!
 静子さん、大丈夫? あなた、騙されているのではなくって!

 ……心は(はや)りますが、ともかく続きを読んでみましょう。

 (ところ)が去年の秋ふいに私の唇を奪いました。びっくりした私を抱き(なが)ら、彼は僕は変な意味でするのではない、お母さんが赤ちゃんに対して可愛くてするように、お前が可愛いからだと申します。私も成程(なるほど)と思いましたが、或人(あるひと)からせっぷんは恋人同志の、愛のしるしだと聞きました。如何(いかが)なものでしょうか。心配でなりません。(静子)※2

 がー!!
 もう疑う余地はないわ。静子さん、あなたその男に騙されているのよ! 「成程」なんて納得してちゃだめ!

 と、わたしがひとりで鼻息荒く憤慨していても仕方がないので、ここはプロである「身の上相談」の先生にお任せすることにして、先生が悩める静子さんにどんな有益な回答をしているかを見てみることにします。

 キッスなんかということは第一衛生的によくありません、そのために結核が感染したりその他の病気がうつったりすることは随分多いことです。※3

 ???
 いやいやいや、先生、そういう問題ではないのではありませんか。

 しかし、先生はそのまま得々と「キッスの害毒」について語り続けるのでした。

 たとえ婚約者の間でもあんな非衛生な事はやってはならないと思います。活動写真やその他に影響された外国人の悪風などまねるのは猿真似にも等しい愚かな事です。断然おやめになることをおすすめします。※4

 先生、この際キッスが「非衛生」かどうかは置いておきましょうよ。問題は、いたいけな少女を、一見無害な「兄妹」ごっこで騙し、肉体の関係を持とうとしている男にこそあるのは明明白白じゃないですか。静子さんも薄々そこに気づいているからこそ相談してきているわけでしょう?
「その男はあなたの身体が目当てなだけのケダモノです。すぐ別れなさい」
 と一刀両断的にアドバイスするべきですよね、どう考えても。

 キッスの害毒を説くだけでは、「わかった、じゃあ非衛生なキッスはやめて、他のことをやろう」
 なんて、シャアシャアと言いかねませんよ、この手の男は。
 ああ、静子さんのその後が心配!

 とは言え、昭和九年の静子さんをどうすることもできないので、断腸の思いながら次の悩みに移ります。

 二つ目は、『令女界』(昭和十一年七月号)の(不明)さん。おお、わたしの『フレイグラント・オーキッズ!』の時代設定と同じ年ではありませんか。早速見てみましょう。

 先生、私は女学校四年生で、毎日バスで通学している者ですが、美男子のSという運転手に恋してしまったのです。彼が私のことをどう思っているかわからないことは悲しいけれど、私は機会あらば彼に手紙を渡そうと思って()ります内に、Sは姿を見せなくなってからもう一ヶ月余にもなります。※5

 はは、可愛い!
 女学校四年生と言えば、数えで十六歳、満年齢で十四、十五歳。そんな女の子が、毎日の通学で利用するバスの若い運転手に胸をときめかせているなんて、甘酸っぱくてたまりません。きっとわざと運転手に近い前の方の席に座って、ちらちらっと相手の方を見たりしているんでしょう。そんな場面を想像すると、つい顔がほころんでしまいます。

 でも、せっかくお手紙を渡そうと思ったのに、シフトが変わったのかSさんはその朝のバスを運転しなくなってしまったということなんですね。
 不明さん(偽名を書いたり、「匿名希望」と書いておくのを忘れちゃったんでしょう、たぶん)さぞや落ち込んだことと推察されます。毎晩、涙で枕をぐっしょり濡らしたりしていたんじゃないかしら。
 さて、相談の後半には何が書いてあるんでしょうか。世をはかなむような内容でなければよいのだけれど……。

 その間に私は、TというSにも劣らない美男の運転手に、又も恋をしてしまったのです。Tの眼はほんとにすばらしい。けれど私にはTをまともに見たり、話かけたりする勇気がないのです。(後略)※6

 あれあれあれ?
 不明さん、Sさんはもういいの?
 切り替え早っ!

 でも、まあわかりますよ、これ。
 要するに不明さんは、完全にひとり相撲の黒歴史を絶賛更新中なわけですね。(身も蓋もない?)

 満で十四、五。今で言えば中学生の女の子。謂わば「恋に恋するお年頃」。会う男の子、会う男の子をいちいち恋愛対象として意識して、勝手にどきどきしちゃう時期ってありますよね。ましてや学び舎には女の子しかいないわけですから、そもそも男子と接する機会がないわけで。
 不明さんにとっては、通学バスの運転手が彼女の生活の中に現れる唯一の若い男性だったのかもしれません。だから、きっとどれも美男子に見えてしまうんでしょう。

 清水へ祇園をよぎる桜月夜
     こよひ逢ふ人みなうつくしき 

 与謝野晶子だって、『みだれ髪』の中でそう歌っています。いいじゃないですか、味気ない通学バスの時間が、おかげでうきうきと心楽しいものになるわけですから。

 先生もきっと、「温かく見守る」系の回答を寄せていることでしょうね?

 解答は(すこぶ)る簡単明瞭、曰く「もう少し、しっかりしなさい。」と、ただこれだけです。※7

 え、えええ! 先生、ちょっとストレートにお説教すぎるんじゃ?
 こんなのは麻疹(はしか)みたいなもので、放っておけばすぐ冷めると思うんですけど。
 
 先生の回答は最初から最後まで全部お説教なのですが、最後の一行が特にすごいのです。

 どちらを――なんていっていることではありません。一日も早くその不真面目さを清算して、(だい)日本(にっぽん)帝国(ていこく)女性(じょせい)の真の姿にたちかえってほしいものです。※8

 だ、大日本帝国女性の真の姿?!

 これが時代背景というものかとも思いますが、いくらなんでも大袈裟すぎるのでは?
 昭和十一年の乙女たち、やっぱり大変だなあ……。

 それにしても、もしわたしがこの時代に生きていたら、『令女界』に身の上相談するのだけは避けたかもしれません(余計悩みが深くなること必至!)。

 他にもいろいろ面白い悩みと回答があったのですが、既にかなりの字数になってしまいましたので、今回はこれにてオジャンで御座ります。※9

※1 弥生美術館 内田静枝編『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』、河出書房新社、2005年、P96~P97。
※2 同上書、P97。
※3 同上書、P97。
※4 同上書、同頁。
※5 同上書、P99。
※6 同上書、同頁。
※7 同上書、同頁。
※8 同上書、同頁。
※9 学校で鐘が鳴ると、女学生は「オジャンで御座ります」と言った。これは女子学習院で始まり、後に他の女学校へも伝わった習慣だと言われている。
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登場人物紹介

春野こず枝(はるの・こずえ)

本作の主人公兼語り手。香蘭女学校一年生。

母も香蘭女学校の卒業生だったが、去年亡くなった。現在は、あまり売れていない文士の父親と二人暮らし。

鏡華と「少女探偵団」を結成する。

※余談だが、使用させていただいているフリーイラストが美しすぎて、小説作者(南ノ)でさえ、「こず枝さん、あんたこんな美少女じゃないよね」と密かに思っているという噂がある。

林鏡華(リン・キョウカ)

「鳳眼」の美少女で、こず枝とは腹心の友。

台湾出身だが、父親が横浜で貿易会社を経営しているため、日本育ち。

一部の生徒にしか知られていないものの、もう一つの顔を持ち、特殊な事件を解決する。

こず枝とともに「少女探偵団」を結成。

※左の耳の上あたりの髪に、小さい紫色のリボンをイメージしていただくと、より小説のイメージに近くなります。

小野寺房子(おのでら・ふさこ)

香蘭女学校の「女王」と称せられ、下級生から憧れと畏怖の視線を集める五年生。

次期首相候補とも囁かれる大物政治家の御令嬢。

特技はフートボール。


薬師寺光子(やくしじ・みつこ)

こず枝と鏡華の級友(クラスメート)。

母親も香蘭女学校の卒業生で、こず枝の母の親友だった。

父親が小野寺家の執事のため、家族で小野寺邸に住んでいる。


柏木塔子(かしわぎ・とうこ)

香蘭女学校二年生。

一見なよなよした風情の美少女だが、なぜか「剛の者」と称される。

女王房子が唯一苦手とする相手だという噂がある。

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