第3話 千年の眠りを覚ます鳳眼(フォン・イェン)
文字数 1,445文字
鏡華さんのお眼を見る度に、わたしたちは紫式部や和泉式部の子孫だということを思い知らされる。
『少女の友』に載っている、中原淳一の描く少女たちはまるで鈴を張ったような大きな目をしているけれど、現実のこの国の少女たちの大部分は、笑うと糸のようになってしまう眼をしている。千年の歴史の重みである。
そう言えば、わたしがまだ小さい頃のこと、お家に遊びにいらした室井さんがお父さまに、
『君のお嬢さんは、なかなかの平安美人だね』
仰るのを聞いたことがあった。今思えば明らかに皮肉だったが、幼いわたしは〈美人〉という部分にだけ反応して喜んでいた。
ああ、可哀相なわたし。
室井さんというのは、お父さまと同じく文士で、以前はよく家に遊びにみえていた方だ。いらっしゃる度に、お父さまと文壇の現状について悲 憤 慷慨 なさっていたが、お父さまが新聞連載小説を書くことに決まった時、速達の絶交状が届いた。君がそんな俗物とは思わなかった、と書かれてあった由 。
『これはまあ、平 たく言うと、男の嫉妬ですね』
お父さまはおどけたような仕草で、届いた速達をひらひら振りながら言った。だが、その笑顔はちょっと寂しそうだった。室井さんはやはり、お父さまの数少ない友人のお一人であったのだろう。
話がちょっと脱線してしまったが、とにかく鏡華さんのお眼は、わたしたち〈平安美人〉の末 裔 のそれとは違うのだ。
まるで鋭利な小刀で、瞼をすぱっと切ったように大きく、しかも、眼尻が少し釣り上がっている。何かに似ていると思ったら、絵で見る鳳凰 だった。
中国語には本当に、女性の美しい眼を形容する「鳳眼 」という言葉があるのだそうだ。わたしはそれを、後 に鏡華さん本人から直接教えていただくことになる。
車から降りて、運転手に軽く手を振った鏡華さんが、こちらを振り返った。首だけ曲げるのではなく、身体ごと向きを変える。それが、この学び舎で叩きこまれる行儀作法 。
「ごきげんよう」
涼やかな声が、朝の空気を震わせる。
わたしは不審者のように、思わずきょときょとと辺りを見回す。
おかしい。わたしという点と鏡華さまという点を結ぶ線上に、他のお方はいらっしゃらないようだが……。
「ごきげんよう、春 野 さん」
春野さん。どこかで聞いたような名――えっ、もしかしてわたしの名字では?
「ご、ごきげんよう」
思わず舌を噛みそうになった自分が情けない。
いくら同じ級 とは言え、鏡華さんにとってはわたしなんて空気のようなものに過ぎないと思っていた。だから、親しく名を呼んでいただけるとは、完全に想定外だったのだ。
そう、思い出した。わたしの名前は、春野こず枝 だ。
間近で見ると、改めてそのお美しさに陶然としてしまう。神さまが丹念に丹念に、たっぷり時間をかけてお創 りになられたか、あるいは思いっきり気まぐれにお創りになられたかのどちらかに違いない。それほど鏡華さんのご容姿は俗界を超越していらっしゃるのだ。
鏡華さんは軽くわたしに会釈すると、私の傍 らをすたすたと歩き去ってしまわれた。
まあ、そうよね。
わたしは溜息と共に苦笑を洩らした。鏡華さんと肩を並べて仲良く教室へ。そんな身の程知らずな空想を、一瞬でもした自分が馬鹿らしい。
(主よ、この夢見がちで愚かな娘を、どうかお許し下さい)
わたしは頭を振って鞄を持ち直すと、校門を潜った。
だが、それはわたしの誤解だったのだ。
鏡華さんには、
それを、わたしはこの後すぐ知ることになる。
『少女の友』に載っている、中原淳一の描く少女たちはまるで鈴を張ったような大きな目をしているけれど、現実のこの国の少女たちの大部分は、笑うと糸のようになってしまう眼をしている。千年の歴史の重みである。
そう言えば、わたしがまだ小さい頃のこと、お家に遊びにいらした室井さんがお父さまに、
『君のお嬢さんは、なかなかの平安美人だね』
仰るのを聞いたことがあった。今思えば明らかに皮肉だったが、幼いわたしは〈美人〉という部分にだけ反応して喜んでいた。
ああ、可哀相なわたし。
室井さんというのは、お父さまと同じく文士で、以前はよく家に遊びにみえていた方だ。いらっしゃる度に、お父さまと文壇の現状について
『これはまあ、
お父さまはおどけたような仕草で、届いた速達をひらひら振りながら言った。だが、その笑顔はちょっと寂しそうだった。室井さんはやはり、お父さまの数少ない友人のお一人であったのだろう。
話がちょっと脱線してしまったが、とにかく鏡華さんのお眼は、わたしたち〈平安美人〉の
まるで鋭利な小刀で、瞼をすぱっと切ったように大きく、しかも、眼尻が少し釣り上がっている。何かに似ていると思ったら、絵で見る
中国語には本当に、女性の美しい眼を形容する「
車から降りて、運転手に軽く手を振った鏡華さんが、こちらを振り返った。首だけ曲げるのではなく、身体ごと向きを変える。それが、この学び舎で叩きこまれる
「ごきげんよう」
涼やかな声が、朝の空気を震わせる。
わたしは不審者のように、思わずきょときょとと辺りを見回す。
おかしい。わたしという点と鏡華さまという点を結ぶ線上に、他のお方はいらっしゃらないようだが……。
「ごきげんよう、
春野さん。どこかで聞いたような名――えっ、もしかしてわたしの名字では?
「ご、ごきげんよう」
思わず舌を噛みそうになった自分が情けない。
いくら同じ
そう、思い出した。わたしの名前は、春野こず
間近で見ると、改めてそのお美しさに陶然としてしまう。神さまが丹念に丹念に、たっぷり時間をかけてお
鏡華さんは軽くわたしに会釈すると、私の
まあ、そうよね。
わたしは溜息と共に苦笑を洩らした。鏡華さんと肩を並べて仲良く教室へ。そんな身の程知らずな空想を、一瞬でもした自分が馬鹿らしい。
(主よ、この夢見がちで愚かな娘を、どうかお許し下さい)
わたしは頭を振って鞄を持ち直すと、校門を潜った。
だが、それはわたしの誤解だったのだ。
鏡華さんには、
一人で行かねばならぬ
理由があったのである。それを、わたしはこの後すぐ知ることになる。