第29話 フートボールで決着をつけませう(前)

文字数 4,317文字

「よろしくお願いします!」

 放課後の運動場。
 体操服姿で整列したわたしたちは、一斉に頭を下げた。
 目の前には、同じように五年生のお姉さまチームが整列している。
 向かい合うと、体格差が歴然としていて、試合を始める前から気圧(けお)されてしまう。しかも――

「房子さま、頑張って下さいませ!」
「なんという凛々しいお姿でしょう!」
 にぎやかな房子さま応援団の方々。
 五年生である房子さまの(クラス)のお姉さま方が、盛んに声援を送っているのだ。
 お姉さま方にしてみれば、生意気な下級生を懲らしめてやろうというつもりなのだろう。一方、わたしたちの級はと言えば、見知った顔が少なからずあるものの、お姉さま方が怖いのか表立ってわたしたちに声援を送ってくれる(かた)はひとりもない。
 それから、どちらの応援でもない野次馬的な人がかなりの数いる。

 礼の後、五年生チームは房子さまを中心に円陣を組んだ。
「相手が下級生だからと見くびってはいけないことよ。油断は大敵、よくって!」
 房子さまの声が聞こえてくる。いや、むしろ見くびってほしい。それでこそ、こちらにもつけ入る隙があるというものなのに、どうやら房子さまは、(にわとり)(さく)くのにわざわざ(ぎゅう)(とう)を用いる人のようだ。

 なぜかふらふらと房子さまチームの方へ行こうする柏木さんを引き戻し、わたしたちも円陣を組んだ。
 わたしの右手が鏡華さんの肩に載り、鏡華さんの左手がわたしの肩に載っている。五年生と向かい合って整列した時から、わたしの両足はずっと小刻みに震えていたのだが、鏡華さんと肩を組み、あたたかな体温に触れた途端、震えはぴたりとおさまった。わたしの足も現金なものだと思う。

 作戦はとっくに決めてあったのだが、確認のために鏡華さんの口から改めて伝えられた。
 それを要約すると、以下の通りになる。
 鏡華さんが前の方で主に攻撃を担当し、薬師寺さんが後ろの方で主に守備を担当する。わたしはその中間あたりを《うろうろ》して、薬師寺さんからパスを受け、更に鏡華さんにパスを出す係り。
 そして、練習中一度も足にボールが当たらなかった柏木さんは、ゴールを守る係りだ。

 わたしも当初、転がってくるボールをそのまま蹴り返そうとして思いっきり尻餅をついたくらいだから、運動神経にはまったく自信がない。でも、そんなわたしの眼から見ても柏木さんの運動音痴ぶりは常軌を逸していた。
 足元に静止しているボールを、何度やっても蹴れないというのは、逆にすごいと思う。しかも御本人は頬をぷくっとふくらませて、
『どうしてわたしがひとりでゴールを守らなければいけませんの。なんだかつまらないですわ』
 と(のたま)って、わたしたち全員を絶句させたものだ。
 
 先攻は、五年生チーム。
 フートボールは本来、十一人対十一人でやるものらしい。しかし、今回は四人対四人ということで、コートも正式なものより小さくしてあるし、時間も前半と後半それぞれ二十分ずつで延長戦はなし。合計四十分戦って点数が同じ場合は、そのまま引き分けというルールになっていた。

 コートの真ん中で、先ず房子さまがボールを軽く後ろに蹴る。これはまあ、試合開始のご挨拶のようなもので、そのパスを受けた方がすぐにまた房子さまにボールを蹴り返す。
 パスを受けた房子さまは巧みな足さばきでボールを(あやつ)りつつ、こちらの陣営に攻めてくる。それに合わせ、最初に房子さまのパスを受けた方もこちらへ走ってくる。
 鏡華さんがわたしに目配せする。わたしは頷くと、房子さまを追うのではなく、こちらに走ってきた方にぴたりと張りついた。

 わたしの役目は、房子さまとこの方――お名前がわからないので、仮にAさんとしておこう――を結ぶ線を遮断することだ。
 Aさんはなんとかわたしをかわして前に出ようとするのだが、わたしがそうはさせない。しまいに、
「しつこい方ですこと」
 舌打ちとともに囁く声が聞こえ、わたしは内心ほくそ笑んだ。

(秘密の特訓の成果だわ)

 わたしは鏡華さんのお家で、小黑(シャオ・ヘイ)と一緒にお庭を走り回って特訓したのだ。
 Aさんも()()る五年生の中から選ばれるほどだから、もちろん大変敏捷な方だったけれど、小黑の変幻自在の動きに比べれば、二本足のAさんの動きについていくのは、それほど難しいことではなかったのだ。
 小黑、ありがとう。

 Aさんになかなかパスが出せないでいる房子さまに鏡華さんが迫った。今にも鏡華さんの足がボールに届きそうになって、房子さまは明らかに焦った。でも、さすがは亀の甲より年の甲(失礼?)、くるりとゴールの方へ向き直ると、直接シュートを放ってきたのだ。

 それが見事なシュートであることは(魔神仔(モォ・シィ・ナー)には効かなかったとは言え)、何人(なんぴと)たりとも否定できぬ事実ではあった。
 しかも、ゴールを守っているのは、これまでの人生でおそらくお箸より重い物を持ったことがない柏木さんである。

(主よ、あのボールを消し去って下さい)

 思わず心の中で無理な祈りを捧げた時――
 ばんっ、と鋭い音が響いた。

「や、薬師寺さん!」
 薬師寺さんが、そのひょろりと細い足で、房子さんの鋭いシュートをしっかりと止めていたのだ。
 勢いを遮られたボールは急に元気がなくなって、ころころと柏木さんの足元に転がってゆく。
「柏木さん、ボールを拾って」
 薬師寺さんが、落ち着いた声で言う。
 すごい。あんな強いシュートにも(おく)することなく、ドンピシャのタイミングで足を出して受け止め、ボールの勢いを殺した。そのボールが柏木さんの真正面に転がっていったのも、おそらく偶然ではない。
 全て計算通り、と言わんばかりに眼鏡を直す薬師寺さんの仕草が、何とも言えずかっこいい。

 柏木さんはボールを拾い上げると、鬼の首でも取ったように頭上にかざした。
「わたくし、取りましたわ!」
 そのままの姿勢で得意満面、わたしたちの顔から顔へ、順に視線を移していく。何か待っているように見えるのだが、何を待っているのかよくわからない。
「柏木さん!」
 わたしは(たま)らず叫んだ。「ボールを薬師寺さんに投げて、はやく!」
「あら」
 いかにも心外だというふうに柏木さんは言った。「チームメイトの皆さまは、わたくしを褒めて下さるのが先ではなくって」

 がー! か・し・わ・ぎ・さ・ん。

「柏木さま、お見事です」
 鏡華さんの涼やかな声が響いた。「そのボールを、更に薬師寺さんの足元にお投げになれれば、香蘭広しと(いえど)も、もはや柏木さんの右に出る者はおりません」
 さすが太閤秀吉並みの人たらし鏡華さん。忽ち機嫌を直した柏木さんは、片手を口に当てて「おほほほ」と笑った。
 え、でも……?
 柏木さんは両手でフートボールを、頭上に(かか)げるように持っていたのではなかったかしら。で、今片手をお上品にお口に当てているということは――

 フートボールは、二本あった支えのうちの一方を失くして、ころりと地面に落ちた。
「柏木さん、ボール、ボール!」
 それほどでもありませんことよ、とか言っている柏木さんの耳に、わたしの声は届かない。
 薬師寺さんがすごいはやさでゴールの方へ走る。しかし、それを(あざ)(わら)うように、ボールは柏木さんの後方へ転がり、あっさりゴールの線を割ってしまった。

 ミセス・ハーパーの右手が上がり、妙に間延びした日本語が響き渡る。
「とくてーん!」
 五年生のお姉さま方を中心に湧き起こる歓声――というより失笑の中で、何が起こったかわからないでいる柏木さん以外、わたしたちは全員固まっていた。

「わたくしはちゃんと取りましたわ! 取った後で、ボールがちょっと後ろに転がったからって、どうして相手チームの得点になりますの? しかも自殺点ですって? なんという品のない言葉でしょう。わたくし、不愉快ですわ」
 ゴールの前でふくれている柏木さんはとりあえず放っておくことにし、わたしたち三人は額を寄せて打ち合わせをした。

「大丈夫。点を取られたら、すぐ取り返すだけよ」
 と鏡華さん。
「後ろは任せて。わたしが何とかするから」
 薬師寺さんの声は静かだが、すごく頼りになる感じがする。
「こず枝さん、練習通りにやればいいのよ。落ち着いてね」
「うん、わかった」
 鏡華さんの言葉に、わたしは大きく頷く。

 試合が、再開された。
 今度は鏡華さんとわたしがコートの真ん中に移動して、反撃に出るのだ。
 最初に鏡華さんが軽く後ろに蹴る。ボールを受けたわたしは、すぐにまた鏡華さんにパスを出す。
 再びボールを得た鏡華さんが、素早い足さばきで敵陣に攻め込む。Aさんが走ってきて、わたしに張りつく。ここでも小黑との特訓の成果が発揮された。右に出ると見せかけて、素早く左に動き、わたしはAさんをかわして身体を前に出すことに成功したのだ。間髪(かんぱつ)を入れず鏡華さんがわたしにパスを送る。受けたわたしは長くボールを持たない。すぐ後ろにAさんが迫っているのを知っているから。

 Aさんの足がわたしのボールに触れるよりはやく、わたしはボールを斜め前に、少し長く蹴り出す。そこにさっと鏡華さんが走り込む。

(やった! 練習通り!)

 ボールが鏡華さんの足に吸い寄せられたように見えた。そのまま鏡華さんは走る。その時、後ろを守っていたもう一人の五年生の方――やはりお名前がわからないのでBさんとしておこう――が、鏡華さんの進行方向に立ち塞がった。しかし、鏡華さんは慌てない。まるで足に透明な糸でもついているみたいに、右に左に、ぽんぽんとボールを動かす。Bさんが足を踏ん張ってきょろきょろしていると、その足の間をすっとボールが抜けた。鏡華さんはBさんを置き去りにして、既に回り込むように前方に走り出ている。

(なんてきれいな動きなの!)

 試合の真っ最中だというのに、ついうっとり鏡華さんの華麗な姿に見惚(みと)れてしまうわたしだった。
 鏡華さんの前にあるのは、あとはもうゴールだけ。すらりとした右足が鋭く振られた。

(決まった!)

 わたしは思わず握った拳を上げかけた。ところが――

 ばしぃーー!!

 重い音が響いた。
 
「房子さま、明子はやりましたぁあっ」

 (ともえ)()(ぜん)もかくやと思われる立派な体格と、肉厚の顔に埋もれかけた小さい眼に見覚えがあった。フートボールの練習をしようと運動場へ行った時、いじわるなことを言ってきた五年生だ。

「よく取ったわ、お見事よ」
 房子さまのお褒めの言葉に、
「ありがとうございます」
 と大きな身体で律儀なおじぎを返す。同級生というより、忠実な家臣だ。

「わたしから点を取ろうなんて、十年早いことよ!」
 巴御前――明子さんは、しっかりとボールを抱えた胸を誇らしげに()らし、コートを睥睨(へいげい)する。

 鏡華さんとわたしは、思わず顔を見合わせた。
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登場人物紹介

春野こず枝(はるの・こずえ)

本作の主人公兼語り手。香蘭女学校一年生。

母も香蘭女学校の卒業生だったが、去年亡くなった。現在は、あまり売れていない文士の父親と二人暮らし。

鏡華と「少女探偵団」を結成する。

※余談だが、使用させていただいているフリーイラストが美しすぎて、小説作者(南ノ)でさえ、「こず枝さん、あんたこんな美少女じゃないよね」と密かに思っているという噂がある。

林鏡華(リン・キョウカ)

「鳳眼」の美少女で、こず枝とは腹心の友。

台湾出身だが、父親が横浜で貿易会社を経営しているため、日本育ち。

一部の生徒にしか知られていないものの、もう一つの顔を持ち、特殊な事件を解決する。

こず枝とともに「少女探偵団」を結成。

※左の耳の上あたりの髪に、小さい紫色のリボンをイメージしていただくと、より小説のイメージに近くなります。

小野寺房子(おのでら・ふさこ)

香蘭女学校の「女王」と称せられ、下級生から憧れと畏怖の視線を集める五年生。

次期首相候補とも囁かれる大物政治家の御令嬢。

特技はフートボール。


薬師寺光子(やくしじ・みつこ)

こず枝と鏡華の級友(クラスメート)。

母親も香蘭女学校の卒業生で、こず枝の母の親友だった。

父親が小野寺家の執事のため、家族で小野寺邸に住んでいる。


柏木塔子(かしわぎ・とうこ)

香蘭女学校二年生。

一見なよなよした風情の美少女だが、なぜか「剛の者」と称される。

女王房子が唯一苦手とする相手だという噂がある。

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