フーコーの狂気の取説

文字数 5,744文字

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今日のテーマは、「外伝:叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼」の3章大量不審死事件にあわせて『フーコーと狂気』の話をしてみます。正直家全体のテーマとしては認知の歪みとかそういうものがメインで、多分狂気に陥ってる人というのは最初から最後までいないような気がするんだけど、いかんせん3章はオーソドックス(?)な恐怖で展開しているのでネタがないのです。

なお、自分は哲学ニワカなので間違ってるところはご指摘頂けると嬉しいです。直すので。

それじゃ簡単にフーコーの説明から。

このミシェル・フーコーという人は20世紀の比較的最近の人。1960年代に哲学で『構造主義』っていうのが流行ってね。これはこれまで神主体・人間主体で真理を探求しようとしていたのを社会の構造から理解しようぜって考えるようになったんだ。フーコーはこのちょっと前の『ポスト構造主義』っていうカテゴリなのかな。社会のシステム自体から人間は何かを探求しようとし始めた人だ。

こうぞう?

社会っていうのは人間が作ってるわけだろ?

逆じゃないのか?

おっ珍しくナナオさんがいいこと言ってる。その意見はよくわかる。

でもフーコーは結局その人間を形作るのは社会であると考えた。特に近代においては。


若い頃は自殺未遂をくり返して医務室の常連で、クスリ飲んで騒いだり色々政治的活動をしたりと社会的にはメインストリームから外れた人だった。だからそのうちおそらく自分の立ち位置というのは社会の中でいうとどうなるのかっていうのを考えたんじゃないかな。鬱々と。だから社会の規範性とかそういう社会構造に目を向けた。

そういえば政治活動って社会がないと存在しないよな。

そのなかでフーコーは結局『絶対的な真理』っていうのはなくて、ただただ人はその時に成立した社会構造の支配下で影響を受け続けていると考えたんだ。


少し狂気から外れるけど、フーコーが言っているのは近代以前は社会は王様が牛耳っていて、これに逆らうと死が訪れた。つまり自分の外に王という『死の権力』というものがあって人に死を与えることを権力の内容としていた。別の言い方で【(王が作為的に)死なせるか、(なにもせず)生きるままにしておく】と言っている。


でも自由主義革命で王権というのは打倒されてさ、人は自由を獲得したと言われている。でもこれは別に自由っていうわけじゃなくて、今は人間同士が監視しあっているだけ。無意識に人間は社会規範や規律に従順になっていて、結局監獄にいるのと同じことだって言っている。こういうのを『死の権力』に対応して自分の中で自らを縛る『生の権力』と呼んだ。別の言い方をすると【(社会が作為的に)生きさせるか、(なにもせず)死の中に打ち返す(訳によっては『死の中に廃棄する』とか過激なのがある)】

基本的に今の人間っていうのは社会に適応するために矯正されているというのがその根底。

むー。でも自分らは楽しくやってるぞ。

王様がいてどうこうっていうよりは自由なんじゃないか。

自由ってなんだろうね。前にもリベラリズムの話あたりでちょっと描いたけど、今の社会の方向性って「最大多数個人の最大幸福」にあって、フーコー的考えだと人間は社会によってこれに沿うよう矯正されている。。


たとえばナナオさんさぁ。学校いって時間割にそって先生の話を聞いてるだろ? でもそれって個人として自由なのか? 本当は学校いかずに遊んでたいけど、そういうものだから行っている。違う?

『そういうもの』という刷り込み。こういう刷り込みはあまり意識されないけど現代の人間としては小さい頃から叩き込まれている。

遅刻は駄目、成績が悪いのは駄目、いい子にしなさい、挨拶はちゃんとすること。逸脱したら怒られる。駄目っていう刷り込み。達成スべきノルマの設定。王様が命令を出す代わりに人々が自発的に『よりよい人間』を矯正するシステムを組み上げていく。

何で駄目なのかな。このノルマは社会の歯車からポップして頂点にたったら外れるよね。そこに根本的な疑問は抱かないもの?


フーコーは社会がこういう監獄みたいなシステムを作ることによって、規律を身体に覚えさせて精神に影響させて、いつしか社会に適合する『従順な人間』が出来上がるとした。ブートキャンプみたいな?

でもこれから外れる人間はいる。規範から外れる人間。

そこでフーコーが構造的に考えたのが『狂気』の捉え方。 『狂人』ってどんな人で、どうするのがいいと思う? まあ、君らの身近にも1人いるわけでさ。

うーん、狂ってるの?

狂ってるって理解できないってことだよね。あんまりお近づきにはなりたくないかもしんない。

(……坂崎さんのことか)

狂ってるからといって悪い人というわけではないよね。楽しくていい人もいるし。

ただ考え方とか行動が理解できないから、あまり積極的に一緒になにかしようという気持ちにはなり難いというか……、困ってるときにはあまり関与してほしくなかったりします、ごめん。

フーコーは社会でもとめられる『正常』を社会の規範にして、これを逸脱したものを異常として社会が排除したと考えている。

フーコーは『大監禁時代』って呼ぶけど、市民革命が始まる17世紀前後から社会が外れた理解ができない人っていうのを監獄に押し込めるようになった。当時は『おかしなもの』はひとまとめ。病的な狂人だけじゃなくて浮浪者とか失業者とか受刑者とか浪費家とか同性愛者とか無神論者とか、そういったものをまとめて放り込んでいた。例えば働かない人間は怠惰であり道徳観念がないというレッテルを貼って、正常な人間と区別された。『働かない人は狂人』。ニートに辛い時代ですね。

雑すぎくね?

最盛期ではパリの1%の人が収監されたらしいんだけど、それはお金がものすごくかかるし労働力も減ったから、フランス革命直前くらいにはその監獄は解体された。ピネルっていう人が解放運動したんだけど、その際に狂気っていうのは精神の不調で治療できるという理屈。この時点で病的な狂人は病人になった。

監獄は解体されたけど、結局社会に還元されない狂人は保護施設で監視下で規則を守るとかの方法で行動を矯正されるようになった。簡単にいうと、身体を捕まえとくより精神的に矯正するとうい方向になったのかな。

それで近代でも学校とか工場とか、同じようなシステムで道徳を押し付けることで精神を規制して身体を支配する。毎日決まった時間に起きないといけないとか押し付けられた定型的な行動様式によって形作られた従順な身体によって精神をFIXする。

結局の所フーコー的には狂ってるかどうかっていうのは社会の権力構造が決めるものだと認識している。今って『狂ってるかどうか』っていうのは精神医学とかそういう分野じゃない?

病気っていうことにして正常から完全にはじき出す。でもそもそも精神医学っていうのは最終的には狂人を正常から『分離』して『治す』ことを目的としている。治った狂人はどうなるかっていうと社会の歯車として働くわけだ。『狂人のまま』という状況は是認されない。結局の所精神医学も正常=社会の規範を前提とした権力の支配下にあるものとみなしている。

なにがなんだかわからなくなってきたぞ。

結局狂気ってなんなんだ? 制度的なもの? それにしてはおかしなやつはいるぞ。

そこなんだよね。

そもそもフーコーの狂気っていうのはルネッサンスより後の話なんだ。それ以前の狂気感っていうのはまた随分違っていた。狂気が『悪いもの』とみなされるのは実はごく最近なんだ。それまで狂気というものは神性に繋がっていた。神様とか精霊とか。フーコーはルネッサンス期には狂人は『神に近づく者』として扱われていたと述べている。


確かに古代社会では神降ろしとか神憑りとかそういった形で神意を定める役割を担っていたりはするんだ。ただまぁ、そういう人々が『人間』として扱われていたかというとそこは若干疑義があって、自分的にはどちらかというと『呪物』として大切にされていたんじゃないかな、という気がしてる。

そもそもルネッサンス以前は『正常』と『異常』の境目がいまより曖昧だったと思うんだ。医療技術は発達していなかったから、現在よりずっと多くの今で言う異常のある人々がいた。戦争とかの四肢欠損やくる病とか脊椎カリエスとか身体が変形している人なんてたくさんいただろうし、識字率も低くて論理的な思考ができない人なんて山ほどいた。恐らく現在ではなんらかの異常として網にかかる人は溢れていたと思う。

だからことさらその人達の地位が低いわけではなくて、狂気的な戦士(バーサーカー)や異形の宮廷道化師とかは高い地位を得ていた。

おそらく『変な人』の振れはばが今では考えられないほど大きかったんだと思う。

創造の分野でも狂気は結構重視されていて今でも画家とか文豪は変なやつが多い(風評被害。

社会に容認されるレベルのそういう人らは振れ幅が大きければ神の力を現世に顕現する存在として、小さければ有用な人間として社会の中で内在されていた。容認されないレベルの人らはおそらく犯罪者として放逐されたり処刑されてたりしただけなんじゃないかと思う。

別の論者は近代の「精神病」というカテゴライズによって初めて狂人を「動物」ではなく「人」として認識されたという話もある。

ようは社会に有用な異常かどうかという問題でしかなくて、有用でも有害でもまとめて監獄に突っ込んだのが17世紀だったのではないだろうか。


昔は変なやつがいっぱいいたってこと!?
どっちかっていうと変なやつが変なやつ扱いされていなかった気がする。昔の神話とか昔話みると『こいつイカレてんじゃね?』みたいなやつ結構いるだろ?

で、なんで近代で狂気が住み分けられてきてるかっていうとやっぱり科学の光のせいだ。こいつらは常に闇を祓う諸悪の根源だ。

科学っていうのはようは事物をばらして中身を明らかにするもので、本質的に分類する。これまで『ちょっと普通と違うよね』っていう人を統合性失調症とかそういうものにラベリングして、明確に違うものにしていく仕組み。本来は人智を超えた神と繋がっていたはずの『狂気』を理性(規範化された正常)と分離してラベリングする。

以下はいつもの妄言ではあるのだけど、でもそもそもその『理性』っていうのがそこまで確定的なものかというとそうでもないわけですよ。『理性が何か』的な話を始めると終わらないからアレですが、結局の所フーコーのいう構造主義的話をするとその『理性』を定めるのはその社会なわけであって、それに対地する『狂気』というものも社会によって揺れ動く。

変な話をすると多分何百年か前はゲイは別に『普通のこと』だったけど何十年か前は西洋の価値観が入ってきて『気持ち悪い狂気の沙汰』になって最近また多様性云々で『社会に受け入れられる』ものに変化している。これからみると『狂気』という言葉はしばしば大上段に構えられるけれども、その中身は相対的なスカスカなものな気がする。

うーん、じゃあ病気とかは別として、狂気っていうのは時代によって違うのか?

そうだねぇ。じゃあ最近の話をしてみる。

結局狂気っていうのは時代によって移り変わるっていう話。

例えば『裸の大将』の認識って、テレビドラマができたときと今で大分違うと思うんだ。多分公開当時は牧歌的な特殊なちょっと変わった人的な扱いだけど、今の社会で同じ行動したら多分受け入れられない。サヴァン症候群じゃないかっていう話はあるけど多分今リメイクするならそこを何かでカバーしないと多分無理。


それで天才バカボンをはじめ、昔の漫画や映画を観ると、ちょっとおかしな大人って普通に映画とか漫画に溢れている。昼間っから博打売ったり酔っ払ってる大人は『ちょっと駄目な人』として社会に容認されていた気がする。昔の大人は普通に子ども殴ってたし。でも今は多分それを『普通にいる』と表現はできなくなっている気がするな。


それから子どもに関しても昔のアニメには変なキャラってもっとたくさんいたと思うんだ。注意力が不足して理由もなくすぐ殴るけど実はいいキャラとか。でもこれは今では多動性障害という名前がついてしまうからそのまま出すのは今は難しい。最近のジャイアンは殴るのに『むしゃくしゃしたから』とか『母ちゃんが怒るから』とか理由をつけている。

子供と言うのは本来おかしく社会から逸脱する異常なものである。子どもが自由に異常でいられない時代というのは、社会生物としてはいいのかもしれないけど、自由からは離れている気がする。強固なFIX。生き辛い。


Tempp的には最近は見えないところでフーコーがいうところの『生の権力』、自分的には同調圧力っていうのが強まってるような気がするな。なんだか変な感じだね。

でも今は個性が尊重されるようになったっていうでしょう? セクシャル・マイノリティもそうだけど。

それに昔は精神病の人は隔離病棟に閉じ込めてるっていう話は聞いたけど、今は外で一緒に暮らそうっていう流れだよね。よくなってるわけではないのかな?

今は確かに社会の中で様々な人を容認していこうっていう流れは強まっているんだけど、でもこれは分離・区別した上の話のようにも感じるんだよな。

なんとなく15世紀にあった『少しおかしい変な人』というファジーなものではなく『○○障害がある』からそれを個性として尊重して生きていく社会というか。やっぱり『〇〇という異常』の存在という区別が前提になってる感じはする。異常を前提とした許容というか。なんとなく昔のような区別のない時代には戻れない感じはしている。

多分ラベリング自体はとまらなくて、でもラベリングを極限まで進めてそれが記号でしかなくなるレベルで薄められた先の世界で新たな価値観が生まれるんじゃないかとか予感はする。今『にゃーちゃんとわたし(仮』というぶっとんだディストピアSF書いてるのでそっちに活かしたい感じ(宣伝。

次回予告~(ペフペフ。

とりあえず次は抽象画論か? でも4章は別に抽象画の話じゃないんです。

切り口が思い浮かばないけど何かかいてみる。

それじゃあまたー。

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登場人物紹介

東矢一人。新谷坂高校の寮に住む。

1年の春、新谷坂山の怪異の封印を解いてしまい、再封印のために散らばった怪異を追う。

作中ではイラストよりもう少し存在感薄いイメージ。

ナナオさん。本名は末井奈也尾。

作中では髪はアップにしている。

にぎやかしと友情担当。

ギャルっぽいなりだが人情に熱く、困った人を放っておけない。

黒猫のニヤ。

新谷坂山の怪異を封印していた。

雨谷さん。雨谷かざり。

「雨谷かざりは同じ日をくり返す。」だけ登場予定。

藤友晴希

坂崎安離

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