神社合祀と伝承の断絶
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一方、三重とか和歌山は合祀が多かった。三重は9割くらいなくなったそうだ。
【去年12月19日と今年1月20日の『読売新聞』によれば、在来の19万400社の内より、すでに府県社5、郷社15、村社5652、無格社51566、計57238社を合併しおわり、目下合併準備中のもの、府県社1、郷社12、村社3500、無格社18900、計22413社あり。残れる11万ばかりの神社もなお減ずべき見込み多】い。
和歌山にある南方熊楠記念館にいったことあるけど、そこは鉱石とか粘菌とかの博物学的なものがメインだったような記憶があるな。小高い山の上にあって景色が結構よかった。
多分魅力的な人物だと思うんだが、変り者でもあったようだ。酔っぱらって人の家に押し入って逮捕されて刑務所で粘菌みつけて発表するとかしてる。
明治政府は国家神道をとってたからね。名目的にはいっぱいあるよりまとめて豪華にして威厳を保ちましょうみたいな(意訳)のと、後でも少し書くけど、仏教が管理してた檀家を神社にうつしてまとめようとしてたっぽい。
ただ、なんとなくだが近代化の流れのようにも感じる。文明開化の流れで、宗教も合理化したかったんじゃないか。神道は民間伝承色も強くて怪しげなのも多かったからな。
あわせて鎮守の森や御神木とかもずいぶん伐採しててて、南方熊楠はこの点も反対している。
神仏習合って知ってるかな。奈良時代に入ってきた仏教だけど、その後、護国のために広く仏教寺院が建てられるようになった。聖徳太子のころからかな。
そういえば聖徳太子は聖人君主なイメージだが、この人すごいアグレッシブな人で、若い頃は戦争ばっかしてる。蘇我氏と物部氏が仏教布教をめぐって争ったと学校で習うが、多分実態としては信心の話じゃ全然なくて、軍事とか外交とかの方面の争いな気がするな。
その頃から神社と仏閣はどんどん混ざってく。
今でも結構残っていて、日光東照宮の中にはお寺があるし、奈良の宝生寺には鳥居がある。少なくとも国学が起こる江戸中期くらいまではこれが普通。
同じものに祈ってるって考える。「神様仏様」っていうでしょ?
この辺がさっきの『仏教と神道は何が違うの』っていうとこにもどる。
神様って違う宗教でも同時並行で存在することはわりとよくある。他の神を下に置くんだ。これはアジアだけじゃなくてキリスト教でもそうだけど、征服して行った地の神様を悪魔に落として恐れさせるのはよくあること。オリエントの慈雨の神のバアルセブルが蝿の王ベルゼブブになったり。
イスラム教も似てるところがあって、アダム、ノア、エイブラハム、モーゼ、イエスの5人の予言を完成させたのが最後の預言者ムハンマドのコーラン、という定義で優位性を主張している。
反本地垂迹説っていう魔法少女のほうがかっこいい(誤)という考え方もあるけど、もとの仏教を否定したりはしないんだよな。
対応を見てると色々面白くて、千手観音が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)になってたりする。どういう共通点なんだろ。
正直、昔の神道は地域の氏神を中心としていたし、自由度が高すぎる。調べたら面白そうなんだけどきりがなさそう。
とりあえずそんな神仏習合は、戦国時代になって儒教を交えて天道思想に至る。簡単にいうと、すべての宗教は一つにつながり、人の行いは天道様が見ていて最終的には自分に返ってくる、ってもの。まぁ、昔でいうところの「お天道(てんとう)様がみている」ってやつ。
天命、とかなんとなく厨二っぽい言葉が流行る。
この時の統治者が豊臣秀吉ってのも大きかったんだろうな。この当時は日本でも人身売買自体は普通にあったし、ポルトガルにおける奴隷制度も日本の人身売買とさほど変わらなかったようだ。でも労働力確保の観点から豊臣秀吉は人身売買禁止を何本も出していて、ポルトガル本国とも掛け合って最終的には本国でも日本人奴隷が禁止になった。この辺の書簡とかやりとりを見てると、キリスト教の奴隷感が興味深い。
まあ実は江戸時代にはちょっと雰囲気はかわってて、まじりあいながらもだんだん仏教が強くなっていった。これは教えとか信仰とかじゃなくて生臭い権力的な話。徳川幕府が民衆の管理のために寺請制度をとった。お寺が寺請証文っていってキリシタンじゃないっていう証明をする。これがのちには戸籍みたいになって、転居とかにも証文が必要になる。檀家にならないと葬式もできない。これによって仏教僧侶の権力が強くなったんだ。
そこで神仏分離と廃仏毀釈の流れ。
ナナオさんは「ええじゃないか」っていうのを聞いたことがあるかな。
なんとなく平田派の仕込み感があるけど、とりあえず妄想ということで。
そのどさくさに紛れてか、神社のご神体が入れ替わり、お祀りする神様も変わった。つまり、今の神社は明治以前と違うものを祀ってるってことは普通に多い。
その被害は文化的には文革レベルだと思う。貴重な経典や資料はかなり失われただろう。
この流れで、日本の仏寺は半分まで減った。
神官と平田派がタッグを組んで煽りに煽ったっていう話だし。この平田派というのは江戸中期に起こった国学という日本の根っこを見直そうという学派。有名なのは本居宣長・平田篤胤で、古い神道を復活させようとしていた。ちなみに古神道という名前でも呼ばれますが、幕末にできた新興宗教です。
そんなわけで作中の新谷坂神社も神社合祀で廃された後、復活はしたけどいわれは失われています。今は神津市の神職が片手間管理しています。
作中でナナオさんがいってたもっと昔のトンネル工事って神社合祀の際の自然破壊なのかも。
【以下は政治的な話を含むのでつまらないかも】
国家神道が何か、ってのは実は難しい。国家神道という言葉自体は大戦後にGHQが使用したのが初出だ。ざっくりいうと明治にできた新興宗教。天皇陛下御一家を現人神として、わかりやすく王権神授説に則っている。なお、日本には人を神とする考えは昔からあるんだ。菅原道真は天神様だし徳川家康は東照大権現で、それぞれ太宰府天満宮と日光東照宮に祀られている。
そして、国家神道は宗教ではない。明治時代の「大日本帝国憲法」にも「信教の自由」はある。
当時は強大な欧米列強に対抗する必要があって、国を一致団結して引っ張っていく、という目的には必要だったのかもしれない。この辺は「擬洋風建築」のあたりでもちょっと書いたかも。
で、平田派が強プッシュして神仏分離をやったんだけど、平田派は理論派であって実践派じゃなかった。古典復興しか言わない平田派じゃ新しい時代でうまくいかない。
なお、教部省が教えを広めるために作った大教院っていうのが増上寺に作られたんだが、放火されて本堂が全焼した。増上寺は東京タワーの真下にあって、結構きれいなお寺です。
国家神道は「国家の宗祀」であるとした。「宗祀」をweblioで調べると、「最も大切なものとしてまつること。」と出る。ようするに、国で一番大切なことだから、他の宗教とは違うよっていう。神道ってもともと民間信仰で、固定の教義とかも特にないから宗教じゃないっていう理屈もつけて。
で、神(現人神)を敬うことを国民の義務として、明治憲法発布の翌年に教育勅語を道徳の基本として発布する。
実際「国家神道」が何かって、Temppもよくわからない。宗教というよりは組織を作るための制度っぽい気がするな。