サトリ(妖怪)と仏教のあらまし

文字数 3,392文字

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今日のテーマは、「怪談7章 僕らの夏休み」にあわせて『サトリと仏教』の話を雑にしてみます。もう7章終わってるけど。7章は秋以降のデコイをたくさん蒔きながらのお気楽オムニバス集なので、なかなかテーマ設定が難しい所。とりあえずサトリの話をしてみることにする。

とはいいつつ7章に出てくるサトリは結構オリジナル設定してて、サトリはソナー撃ったり人を操ったりはしないのです。

サトリの初出はTemppの大好きな鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』なのかな。神津市の南にある石燕市(せきえんし)は石燕からとっている。たまに表記間違ってる気がするから気がついたらなおそう……。初期の頃はいしつばめにしたような記憶が……。

『今昔画図続百鬼』では岐阜の山奥に住んでいるとされている妖怪とされているけれども、心を読む妖怪というのは名前は色々だけど日本各地いるんだ。だいたいは猿とか動物の姿をしている。人を食べようとするけれども基本的に間抜けに失敗するエピソードが多い印象だ。

山の妖怪っていうと何がいる印象?

ええと、天狗とかかな。
そうだなぁ。天狗も確かに山イメージ。天狗の石つぶてもそうだけど、山の妖怪って前に『べとべとさん』の回でも書いたけど、なんとなく危険センサー的なのが多い気がする。

それでサトリに戻るんだけど、一部地域ではサトリとコダマを同視しているところもある。コダマというのはいわゆる山彦で、「山彦」という妖怪が返事をした声だとも「木霊(木の妖怪)」が答えた声だともいわれている。なんというか、日本全国名前は違っていても同じようなニュアンスの妖怪がヤッホーという言葉に返事をしているんだ。

コダマというのは現代では純粋に物理的な現象だけれども昔は姿の見えない妖怪の仕業だった。科学がまた妖怪を駆逐した。

さてサトリなんだけど、漢字では覚という音が当てられる。サトリという言葉にはいくつか意味があるけれども、悟という字もある。あわせて覚悟ではあるんだけど、これってもともとは仏教用語という話がある。釈迦が悟りを得ようと山ごもってて挫折して村におりて乳粥飲んで菩提樹の下に座ったら悟ったからその時の話で悟りを覚えるという話だとか。煩悩から覚めて真理を悟るという意味のようなんだけど、色々見ていると覚は外的な気付きで悟は内的な気付きだけど覚の方が世界の真理だとあてている話も見るからよくわからないな。

結局の所この文章が書かれているのは当時の中国の人が持ち帰った翻訳(?)された仏教経典で釈迦が話したのはサンスクリット語のはずだから覚と悟の違いは本質的に関係がない気はしている。

たまに「仏教用語」って聞くのは間違いなのか?
そうでもなくてだな。仏教も大分原点から変質してるんだよ。

インド北部で釈迦が始めた元々の仏教は小乗仏教で、簡単にいうと釈迦と同じ用に自ら覚りを会得した人が救われるという話だ。だから釈迦は人々が覚りを開くために説法して回った。東南アジアのあたりは今も小乗仏教がメインだけど、中国、中国から仏教を持ち帰った日本は大乗仏教だ。大乗仏教のベースは自分が悟るとみんなの利益になってハッピー★ だからそもそも釈迦が開祖とされている仏教とは全然違うん。

なお、釈迦と仏陀の違いでたまに混乱する人がいるけど、釈迦というのはもともとゴータマ・シッダールタという名前の釈迦族の王子だ。仏陀というのはサンスクリット語で『目覚めた人』、つま悟りを得た人だ。阿羅漢も同じ意味。仏陀は釈迦だけを指すことも多いんだけど、後で書く大乗仏教では仏陀という場合は釈迦だけじゃなくて他にもいる場合がある。阿彌陀仏とかで仏がついているのは仏陀で、阿弥陀経とか経典がある。

日本ではさらにカオスで、仏(ほとけ)は死んだ人や霊を表すことがあるけど、それは仏教伝来時に神仏習合があってその時に仏と神をごっちゃにしたからだ。

そういえば大乗小乗って聞くけど何が小さかったり大きかったりするんだ?
あーうーん。小乗はもともとの釈迦の考えをベースとした教えなんだ。けれども結局小乗っていうのは自分が悟って救われるっていう規模単位なので小舟みたいなもので、大乗は悟ってみんなを助ける大型船だっていって大乗が小乗を馬鹿にした言葉らしいからあんまり好きでもないのな。レッサーパンダは最初パンダって呼ばれてたけどジャイアントができたからレッサーって名前をつけられたみたいな。今は上座部仏教っていうのが普通なんだけど、日本だと小乗がまだ根強いから小乗って書いてみたが他意はありません。

えーと、なんでそもそも大乗仏教ができたかっていう話をする。

そもそも釈迦が亡くなったのは紀元前5世紀くらいなんだけど、経典とかは残していなくて、そもそも口伝だったんだ。それを弟子が伝えようとして仏教経典を作り出す。

基本的に仏教の教団っていうのは国が保護していてさ、そうすると坊主は寺にこもって学問論争するわけだよ。釈迦が言っていた意味はこうじゃないかとか議論が始まるんだよね。解釈がどうのとかそういう。それで釈迦が亡くなって100年くらいたったら色々な部派ができていてお互い戦い合うようになった。概念論争とかが始まって内ゲバしたりしてこのころの多数派がいわゆる上座部と呼ばれていたもの。

でどんどん権威主義になっていったりしてさ、そうすると民衆の心は離れるだろ? それで紀元後1世紀くらいに民衆の信者をまきこんで大乗仏教っていうのが生成されたんだ。

で、大乗仏教というのは一部の者が悟って他者を救済するものでさ、だから『菩薩』という概念をクリエイトした。菩薩というのは本来悟りを求める人のことなんだ。それで他者のために厳しい修行をする人を菩薩とよんで、尊いってことで菩薩信仰っていうのが生まれた。

つまり悟りに達することを決意した人けどまだ悟ってない人が菩薩。一切衆生を救済する存在で、その理想形として弥勒菩薩とか観音菩薩が生まれた。弥勒菩薩は一応釈迦の次に悟るといわれている菩薩。まだ悟ってない。それは釈迦が亡くなってから56億7000万年後の話で、釈迦が亡くなってからまだ2500年くらいだからあと56億7000万年待たないといけない。

えっと、地球の寿命はあと50億年くらいだそうです。ちょっと足りないかも。

そういう菩薩システムを組み上げたのがナーガルージュ(いわゆる龍樹)という紀元後2世紀頃の人。そういえばこの人も浄土真宗では龍樹菩薩になっている。日本でよくある般若心経とかは龍樹の考えを基礎にしている。

それでまた神仏合祀のところで書いたけどさ、日本だと本地垂迹とかやっちゃって、弥勒菩薩は天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこ)とかだったりするんだよね。それで天忍穗耳尊は1個前のくくのちと日本神話の回で須佐之男が天照大神の前で悪意がなければ男が生まれるといって生んだ5人の男神の中の1人。

本地垂迹ってなんなんだろうな、マジで。地蔵菩薩が閻魔大王で春日権現とかだったりしちゃうしさ。

お、おう。前にいってたメタモルフォーゼってやつか。

西遊記で有名だけど、玄奘三蔵が無断出国してインドに至ってインドのナーランダ僧院で仏教を学んだのがだいたい7世紀くらい。

でもその頃にはすでに仏教は民衆にはヒンドゥー教が浸透していて仏教は知識人の学問的なもので、純粋に仏教信仰はされていなかった。なお、釈迦が生まれたネパールでも2006年までヒンドゥー教が国教だったんだけど。

だから真面目に仏教の研究にいった玄奘三蔵とか鳩摩羅什はインド的には変な人だった。それで玄奘三蔵は寺院で放置されていた仏教経典を写経して持ち帰って翻訳する。

三蔵というのは仏経典を3つ収めた者という意味で結構たくさんいる。日本にも平安時代の霊仙法師は三蔵法師だ。

なんか随分話題がそれたけれども、結局仏教の目的は悟りを得ることなんだわ。

よくわからんけど悟ると救われるらしい。何から救われるのかはよくわからないけれども、きっとみんなハッピー★になることなんだろうな。

とよくわからないところで次回予告です。

もともと3~5話に1つ備忘を置いていたのだけど最近ちょっと余裕がなくてすみません。6章と7章をそのうち追加で1つづつくらい入れるかもしれないけど、引き続きお読みいただけるととても嬉しいです。

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登場人物紹介

東矢一人。新谷坂高校の寮に住む。

1年の春、新谷坂山の怪異の封印を解いてしまい、再封印のために散らばった怪異を追う。

作中ではイラストよりもう少し存在感薄いイメージ。

ナナオさん。本名は末井奈也尾。

作中では髪はアップにしている。

にぎやかしと友情担当。

ギャルっぽいなりだが人情に熱く、困った人を放っておけない。

黒猫のニヤ。

新谷坂山の怪異を封印していた。

雨谷さん。雨谷かざり。

「雨谷かざりは同じ日をくり返す。」だけ登場予定。

藤友晴希

坂崎安離

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