絵、適当に印象派とか抽象画の話
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いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日のテーマは、「外伝:叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼」の4章芸術家変死事件にあわせて『絵』の話をしてみます。ちょっと雑すぎるけどまあ。抽象画にスポットしようと思ったけど分類とか書いてもつまらないなと思ったので。結局抽象画の話は多少すると思うけど、思うがままにアクロバティック展開してみよう~。その方が面白いに違いない。
最初はテンプレ的に、世界最古の絵というとなんでしょう。
それはそれでどうなのか……?
フランスのラスコーが一番有名だけど、一番古い洞窟壁画は4万年くらい前のものかな。結構世界各地で発見されていてね。洞窟壁画は題材は牛とか獲物のものが多いかな。すでに躍動感があって遠近法とかが使われていたり棒人間がいたりする。こういう荒々しい原始的な美術を原始美術と言って、この壁画群で一番影響を受けたのは多分ゴーギャンなのかな。ゴーギャンはタヒチで自由に暮らしながら奔放な性生活的なテーマでタヒチの女性をたくさん書いた。性生活といってもエロい感じじゃなくて明るいというか原始的な感じだけど。それでゴーギャンはゴッホともセザンヌとも一緒に絵を描いていたことがある。ゴッホは特に有名で、アルルというところで一緒に住んでた。金なかったから一緒に住もうよってノリ。ゴーギャンはもともと株屋をやってたんだけど一念発起して絵をかくことにして、儲からなかったから家族とわかれてタヒチにいったり南国で暮らしてた。それで帰国してゴッホと一緒に住むことになった。
さてゴッホというと一番有名なのは耳切事件。自分で自分の耳を切ったんだけど、これはちょうどゴーギャンとアルルで暮らしてた時だった。2人は馬が合わなかったんだよ。ゴーギャンがプンスカしてホテルに逃げ出したときにゴッホは耳を切って耳たぶを娼婦に送り付けたそうな。耳はほぼ完全に切れていたらしいな。闇い。1個前の話に書いた狂気を感じる。
さていきなりポスト印象派っていうと気持ち悪いから一応印象派の話をしてみることにしよう。印象派ってどんなイメージ?
印象派はそういう世界から飛び出したんだ。さてじゃあ、何が印象派を後押ししたと思う?
チューブタイプの絵の具ができて外で絵を描けるようになったっていうのも大きいけど、一番大きいのはカメラの発展だと思う。印象派運動が始まる少し前にダゲレオタイプのカメラが発売されたんだ。直接露光というシステムでね。それまでのカメラ・オブスキュラでは露光に8時間くらいかかってたのを30分くらいで撮影できるようになった。まあ30分じっとしてないといけないけどさ、これまでになかったリアリティのある絵、つまり写真がとれるようになったんだよ。
でさ、カメラっていうのは瞬間を切り取るんだよ。これは実に革命的だと思う。
そう、光だ。印象派の画家というのは多くはこれまでの工房と違って外の明るい光の中で絵を描く。だから明るさの方向で光の表現がとても豊かだ。暗さの方向で光の表現がとてもうまい画家というのはもともといた。ジョルジュ・ド・ラトゥールとかレンブラントとか、カラヴァッジョとか、Temppが大好きな画家。でも工房の中では多分、闇とそこを照らす光の表現を極めることはできても、明るい外でそのなかでさらに光を描くのは難しかったんじゃないかな、と思う。
外で絵をかくっていうのはその場所場所の絵が描けるってことで。モネの印象・日の出もそうだけど、その時しか切り取れないっていう風景はあるんだ。セガンティーニっていうスイスの画家がいてな。画題がアルプスとか高山なんですよ。高い山の上っていうのはそれだけで日差しが強い。その強さって多分平地の画家では想像がつかないんだよ。その平地の明るい太陽が描かれている。
今はgoogleで写真は一杯見れるけどさ、絵画っていうのはやっぱり人が見たものをその魂を通して描いているから、フィルターがかかる。写真じゃ表現できないものっていうのはたくさんあると思うんだ。その人が感じた美しさ、色彩、きらめき、安らぎ、マイナスのものもたくさんある。印象派じゃなくても同じだけど、印象派はよりそれを表現している気はする。
さて、今回の本題の抽象画に行こうか。とりあえず抽象画概論は今回で終わらせよう。
始めたのはカンディンスキーとかモンドリアンっていわれている。ああ、この二人は確かに抽象画だな。多分この2人が美術の授業でバーン!って出るからみんな抽象画が嫌いになるんだよ。
この2人の説明はちょっと後に回すけど抽象画はどこからうまれたのか。セザンヌが印象派を飛躍させたと言われている。セザンヌはさっきゴーギャンのところで出て来た人。ゴーギャンが超インスパイアしてたけど、ゴーギャンはセザンヌに「お前の絵は中国の切り絵だ」とかぼろくそにいわれてた。まあそれはそれとして。セザンヌっていうのは「1つの物を複数の角度から同時に1つの絵として描いた」。このワードで思い描く画家がいるよね、そう、ピカソだ。
この系統の絵はキュビズムっていう。キュビズムっていうのはようは1枚の絵にいろんな角度から見た同じものを詰め込んだものだ。ピカソの『泣く女』とかもそうだね。
で、抽象画はもうちょっとそれをファジーにしたんだ。ピカソも一見わけがわからないけど、一応何かを題材にして書いていたんだよ、空襲とか女の人とかね。でも抽象画はそれを取っ払った。モチーフを捨てた。
そうすると何が浮かび上がるかというと、単純図形の美。その存在自体への美しさ。うん、何言ってるかわからないだろ? わからないんだよ。だって抽象なんだから。
変な話をするよ。抽象画じゃなくてさ、具象画の話だ。山とか川とか人とかそういうの。印象派でもないやつ。一番好きな絵を思い浮かべてほしいんだ。絵を見ない人でも何か1つくらいはあるよね。あの絵綺麗だったなとか、面白かったなとかいう奴。
その絵、どこが奇麗? どこがおもしろい? そう考えてみた時に、多分この色のところが、このキュウリのヘタの部分が、とか特定できないはずなんだ。多分絵の全体、少なくとも大きな部分の印象が総合的にその感覚、インプレッションを構成している。
そんなこと言ったってこの山が奇麗なんだよとかただの四角じゃわかんないよとか、それはもわかる。でももうひと声、そのあなたの好きな具象の絵を一歩抽象化してほしい。山ならギザギザがあるよね、その稜線を頭の中で描いてみて。人なら輪郭。その印象だけでも美しいなら、それが抽象画の美しさだ、と思う。
肖像画とか目的があって書いてるものは別だけどさ、具象画の人は自分が素晴らしいと思った景色とかをみんなに見てもらって感動して欲しいと思ってその絵をかいてるとする。抽象画の人はその素晴らしいと思った景色の要素だけを抽出するんだよ。だから、その前提を共有しないと何を描いてるかすらわからない。
文章で表現するとこうかな。
具象:この富士山は少しだけ積雪が残っていて稜線が青々しくてそこから白い入道雲立ち上っていてとてもきれいだ。
抽象:超奇麗っすよ!
同じものを描くとしても抽象画家はこのくらい略すし特に説明もしないんですよ。でも印象としては「〇〇が〇〇でとても美しい」という説明よりは「超奇麗っすよ!」のほうが美しさがダイレクトに伝わるかもしれないね。そういう問題だと思ってる。
だから抽象画は人によってわけがわからないし、刺されば深く刺さるんだ。喜友名晋司の描く魂の絵のように。
カンディンスキーは〇とか線とかが淡い色でぽやぽやと描かれている。結構かわいい。でもこの人の作品の説明は投げる。この人は『芸術における精神的なもの』という著作を書いている。だから精神を現したんだと思うの。自分的にはコンポジション8とかはなんかウキウキして楽しい。カンディンスキーの絵画展にいくとたいてい絵の隣に小さな説明書きがある。タイトルと離れた解説にテーマがかかれていることはあって、それを見るとああなるほど、と思うけど、正直自分には解説を見ないとテーマは感じ取れないな。かわいいとは思うのだけど。
この区切られた区画は建築っぽくて嫌いじゃないし、なんかかっこいいと思うけどようわからん。でも正直抽象画家は純粋に好みか子のみじゃないかだと思う。好きでも何が面白いのかは自分でもよくわからない。自分はポロック(キャンバスにインクぶちまけたような絵の人)がすきだけど、何がいいのか他人に説明できないもの。多分好きな抽象画との出会いは一目惚れみたいなものじゃないかな。