絵、雑に怖い絵の話
文字数 4,626文字
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日のテーマは、「外伝:叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼」の4章芸術家変死事件にあわせて『怖い絵』の話をしてみます。『狂気が詰まった絵画』の話というリクエストを頂いたので。引き続き雑な感じでトリビア取り混ぜていきたいと思います。思うがままに描いているのでテーマがフラフラしてますが、ご容赦下さい。まあ後述のシュルレアリスム的な書き方ということで。
でもこの絵を一枚も張り付けずに絵の説明をするという企画はある意味狂気なのではないか。自分の想定しているターゲット層がよくわからない、まあいいや。
それは多分禁忌に触れている絵で、例えば無残な死体とか、気持ち悪いものとか、悪魔とかそういうもの。一番ピンとくるのは『我が子を食らうサトゥルヌス』かなぁ。ゴヤっていうスペインの画家がかいた、黒い背景に茶色い変なポーズの巨人が頭のない白い子供の腕を齧ってる絵。なんとなく進撃の巨人っぽいな。
多分絵が好きな人だとうかぶんじゃないかと思うんだけど。
これはもともとギリシャ神話がもとで、サトゥルヌスは自分の子供に殺されると思って子どもを全部丸呑みした話なんだけど、もともとはチン〇が起ってたらしい。どう思う?
ようはさ、もともと書いてたのを上書きして消したわけさ。こういう改変ってのはルネッサンス期以降からままあるもので、バーン!と出てたアレやら尻やら胸やらを後世の画家がせっせと上から葉っぱとか布とかを描き入れて行ったのさ。
なんでこんなことになっているかというと宗教改革だ。
信じるべきは聖書のみで、ストイックにするべきだ! という主張。
ちなみにルターを推した画家にクラナッハという人がいる。この人の描く女性は極めて非肉感的で肉的な女性の魅力が皆無で一部では『貧乳の神』と崇められている。
そんな中でトリエント会議っていうのが行われる。プロテスタントと仲直りしようという意図もありつつ結構長丁場で行われた会議だが、そこで出たトリエント教令で、聖像について「淫らな興味をそそるものはすべて避け、堕落へと導くような聖像が描かれたり飾られたりすることのないように」することになった。
そんなわけで色々隠されてしまったのです。ただまあキリスト教における聖像じゃなきゃいい。ただこういうのは拡大されていって、ローマ神話のはずのサトゥルヌスの陰部も真っ黒になった。
それでルーベンスっていうのは物凄くキラキラしい宗教画を描く人で、バロック美術の大家。他にはベラスケスとかフェルメールあたりが有名かな。自分バロック美術大好き。
それまではやってたのはルネッサンス美術っていって、えーと調和と優美さを融合したような絵なのかな。ボッティチェリとかダヴィンチとかミケランジェロとか、きれいなやつです。
それに対してバロックっていうのは反宗教改革の影響を受けて重厚感に溢れる敬虔な絵っていうのが模索された。なんていうか、ふるえたつ情動? 具体的に言うと黒が多くて彩度が派手。ジャーン!ジャーン!って感じ。
この辺は宗教画に権威(迫力)をもたせようとするカトリック側の反撃だ。
そういえばルーベンスは『フランダースの犬』でネロが教会に見に行った絵を描いた人だ。フランダースの犬だとたしか『キリスト昇架』と『キリスト降架』が展示されていたはず。この絵、たしかに技量は物凄いんだが、幼い少年が見るにはちょっとグロい気がする。キリストがリアルに血を流してる。どうせなら『ヴァリチェッラの聖母』くらいにしとけばいいのに。
なお、ルーベンスの絵は結構エロい。写実だからむちむち美人が裸だったりする。
上にも描いたようにサトゥルヌスはゴヤとルーベンスの2枚がある。
多分写実的でよりグロいのはルーベンスだと思うけど、有名なのはゴヤで多分怖いのもゴヤだ。なんていうか、ゴヤのほうが狂気がぱっと見でわかりやすい。
ルーベンスの絵はパッと見、子どもを食ってるけどなんか理由があるのか聞いてみたらわかるかもと思わせるんだだけど、ゴヤのほうはもう会話成り立ちそうにない。そんな空気がある。
ルーベンスはもともとでかい工房を経営しつつ外交官としても活躍して爵位も授かっている。まさにきらきらしい。
一方、ゴヤが生きていたスペインはナポレオンが侵略した時期で、制圧したフランス軍は略奪や破壊をくり返したから、スペイン人はゲリラ活動をして反抗した。その頃の状況は悲惨で、市民は多く虐殺され、そんな風景をゴヤは結構描いている。
だから必ずしも人生の幸不幸は関係ない気もするんだけど、狂気方面では悲惨な暮らしをしてる人が多い気はするかも。
絵の話でさんざん魂を塗り込めるみたいなことを描いたけどそういう部分はあるんじゃないかな。自分が思っているだけだけど、絵や音楽っていうのは精神汚染装置だと思ってる。一定は理屈で狂気を生み出せるような気はするけど、突き抜けた狂気を感じる作品ってのは描く人の中にやはり何かがあるんじゃないかなとは思うんだ。
で、こういう自分の世界観が絵に滲んでいるのが狂気的な絵に感じる。この世界観の作り方ってのは色々あってさ、ヒエロニムス・ボッシュみたいなキャッチーでかわいいキャラクターに明るく楽しく人を食わせたりもあるけどある意味精神的なものを絵につっこんだジャンルとしてはシュルレアリスムかな。
もともとはダダイズムっていう第一次大戦で発生した虚無主義的なもの、人間の理性なんてないっていう考えからスタートして、それからフロイトが混ざって夢の中から無意識を紐解いていくっていうのが基礎だった記憶。
ブルトンっていう人が『溶ける魚』っていう本の序文に『シュルレアリスム宣言』っていうのを描いて、それが定義とされている。
それでシュルレアリスムは無意識を描く行為だから、『溶ける魚』は書く内容を決めずに次々に書くという、自分みたいなプロット描かずに思いつきでエンドを決める泡沫作家にはなかなか勇気づけられるわけで。俺氏はシュールレアリスムしてるんだぞ! ということにしとく、ちょっと虚しくなった。
なお、若い頃のダリはめっちゃイケメン。
『心の純粋な自動現象であり、この自動現象にしたがって、口述、記述、その他あらゆる手段を用いながら、思考の実際の働きを表現することを目指す。理性によっておこなわれるどんな制御もなく、美学的、道徳的な一切の懸念からも解放された、思考の書き取り』
これだけじゃよくわからないけど、人間の奥底にあるものを思うがままに書き取って、現実を超えた超現実を描くことを求めた。
だからかな、ダリの絵はなんとなく人に繋がってる気がするんだ。時間の概念とか、空間の概念とか自分の中のものを描いているような。『球体のガラテア』とか『幻覚剤的闘牛士』とかなにか無機物的な気がするけど全体的な動きが人間的な気がしてる、けどまあこれも個人の見方だからよくわからない。
そのせいなのかな、ダリは最愛の妻ガラが亡くなると筆を折った。ダリの無意識が光を失ったのかも知れない。光がないと物は見えないから。
ロシアのアントンセミョーノフっていう画家さん。基本モノクロなんだけど人間が滅んだ後の廃墟的な世界で不思議な生き物が淡々と暮らしているっていうイメージかも。なんだか広がりを感じるんだ。別所で他の方のおすすめもあるんだけど、ズジスワフ・ベクシンスキーも同じような感じ。でもベクシンスキーはどっちかっていうと、もうちょっと人っぽい。苦悩とか思考を感じる。ああ、クトゥルフ感があるのかも? 神話感とか壮大な感じというか。