第8話『魔王、空気になる。』

文字数 2,424文字

 マリアンナと大天使長――リヒテルは、鋭い視線をぶつけ合っていた。
……。
……。
 二人から生み出される重々しい空気に、自我を捨てたはずの兵ですらも頬に汗を流す。
 ただの重い空気ではない。
 それ以外にも、何か目に見えない因縁めいたものが感じられた。
あ、あの……。
……。
……。
(……これはマズイ!)
(僕完全に空気じゃん! 存在忘れられてるパターンじゃん!)
(なんとかせねば……! アイデンティティーを見出さねば……!)
……。
……。
……それにしてもいい天気だねぇ!
天界っていつもこんだけ晴れてるの!?
……なるほど、その目つき。
別人のようになったとも思ったが、なるほど、どうやら根本は変わっていないようだね。
……そう見えるのは、あなたがそうあって欲しいと望むからなのでは?
私は、天界を離れて変わったと自負していますよ。
(うぇぇぇん……無視されたよぉ……)
いや、違うね。人は簡単には変われないものなんだよマリアンナ。
もちろん、世界も……。
何かを変えようとすることは、途方もなく時間がかかることなんだ。
……そうは思いません。
なにしろ、あなた自身がこんなにも変わってしまっているのだから。
私の知っているリヒテルならば、今この天界の様相を必ず憂いているはずです。
私は何も変わっていないさ。
あの日思い描いた世界を実現するために、私はこうして大天使長の座まで上り詰めた。
変わったことといえば、立場くらいのものだよ。
……ならば、これがあなたが思い描いた世界とでも言うつもりですか?
……いいや、まだだ。まだ足りないんだよ。
安定と秩序を世界に満たす……その大いなる目標のスタート地点でしかない。
安定と秩序とは、大きく出ましたね。
それならばなぜ魔界を敵視するのです?
魔界と天界が再び激突したのなら、戦火が外界すらも飲み込むことは分かりきっていることでしょう。
矛盾が過ぎるのでは?
何も矛盾はしていないさ。
だが、一つ勘違いをしないで欲しい。
確かに魔界は敵視しているが、何も魔界を消滅させようとしているわけじゃないんだよ。
……問題は、だ。
……鍵?
……。
そう、鍵。
それがもたらす未来に比べれば、天界と魔界の戦など取るに足らない小競り合いにしか過ぎない。
悠久の時より保たれて来た世界の理を、私は守りたいだけなのだよ。
……あなたは、何の話をしているのですか?
さあ、ね……。
それよりも、魔王。
……ふえ?
一つ教えてくれないか?
あの巨大門……どうやって吹き飛ばしたんだい?
どうやってって……。
そりゃ、攻撃魔術でどがーんと。
ははは。簡単に言ってくれるね。
しかしあの門には特殊な術を施していてね。魔術を発動させるための詠唱を感知すれば、目の前の人物を天界の外へと強制転移させる仕組みになってたんだよ。
へえー。そうなんだぁ。
後学のために教えてくれないか?
どうやって魔術を使ったんだい?
どうやってって……単純に、詠唱を唱えていないだけだよ。
……詠唱を省略したと?
そんなことが可能なのか?
可能さ。
魔術というのはマナを媒介に術を使うわけでしょ?
簡単に言えば、マナがお金で魔術が商品みたいな。マナという代価を差し出し、詠唱という契約を交わして、術という商品を使用する。
こういうことなんだよ。
もちろん基本的にはそのやり取りは毎回しなきゃならない。
でもそのやり取りをずっと繰り返したら……こちらが欲しいものが、言わずと用意出来るようになるわけだよ。
だから詠唱なんていうまどろっこしいステップが省けるってわけ。
熟年夫婦とかで旦那さんが「おいアレ」って言ったら奥さんがすかさず醤油取るじゃん。
あれだよあれ。
まさに阿吽の呼吸ですね。
そうそう。あれ凄いよねぇ。
しかしそこまでの域に達するまでに、同じ術を何度繰り返す必要がある。
何百、何千……いや、もっと多いかもしれない。
君は、どれほどの回数をこなしてきたんだい?
さぁ……忘れちゃったよ。
……なるほどね。伊達に魔王になっただけのことはある。
君は化物だよ、魔王。
その力は、天界の脅威と言わざるを得ないよ。
失敬な。
人を化物呼ばわりしないでよ。
だが事実だ。
……私としては、その力が天界に向けられる前に対処したいところだね。
 リヒテルの言葉と共に、それまで静観していた兵達が一斉に動き始める。各々が武器を構え、殺意を剥き出しにし、魔王とマリアンナを睨み付けていた。
リヒテル!
戦を始めるつもりなのですか!?
……。
……。
……いいや、やめておくよ。
 彼の言葉に、兵達は一斉に武器を下げる。そして元の位置まで戻り、再び静観を始めた。
ここで君を討とうとしても、おそらく簡単にはいかないだろう。よしんば討つことが出来たとしても、こちらの損害も計り知れない。
そんな博打染みたことはするつもりはないよ。
……僕の方としてもそうしてもらえると助かるよ。
……さて、君の用件はルルリエだったね。
彼女をどうするつもりだい?
それはこっちのセリフだよ。
ルルリエを、どうするわけ?
……もちろん、処罰を下すさ。
彼女自身も聖天使としてそれを望んでいる。
それさ、なんとかならない?
無理矢理聞き出したのは僕の方なんだし、彼女は悪くないんだけど。
ダメだね。
ここで彼女を無罪放免とすれば、他の聖天使や兵に示しがつかない。
処罰は、決定事項なんだよ。
……。
……。
……さてどうする?
魔界の王よ……。
……じゃあ、言葉を変えさせてもらうね。
 そして魔王は、それまでの表情を一変させる。鋭い視線でリヒテルを射貫き、声に力を込めた。
……聖天使ルルリエを、こちらへ渡してもらおうか。
――ッ!?
魔王さん!?
……やはりそう来たか。
あの聖天使は、こちらの領地へ侵入し、魔界の情報を収集した。許されざる咎人だ。
魔界を統治する者として、厳正に処分させてもらう。
……断れば?
知れたこと……。
魔王が力を、身をもって知ることとなる。
――ッ。
さあ。賊をこちらへ引き渡せ。
――大天使長。
……。
 魔王から放たれる覇気に、室内の空気は鋭さを増すばかりであった……。
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登場人物紹介

魔王
若くして魔界を統べた英雄的新米魔王
めちゃくちゃ強いが、苦労人
ツッコむつもりもないのにツッコまざるをえない部下を多数持つ

イシリア
魔王の城のメイドさん
意外と真面目
魔王とは幼馴染

セルフィー
幼女と見せかけて単に幼児体型なだけ
ジョセフに恋する自称乙女
一度回復魔術を使えば、超絶スパルタウーマンと化す

スレイブ
戦闘&修行マニア
なんとか魔王をこっちへ引き込もうとしている
普通に強い

マリアンナ
魔界随一の魔術使い
敵であるはずの神を崇拝
いちおう味方

ジョセフ
色々謎な優男
そしてイケメン
女好き

ダンゴ
魔王の部下
一番の理解者兼一番の被害者
本名はルドル・バルト・シュバエルとかいう長ったらしい名前らしい
見た目からダンゴと呼ばれている

勇者
選ばれし者、英雄を約束されし者
そしてヤル気も既に失われし者
布団の中をこよなく愛する者

エレナ
回復術士
女神の如き優しさと寛大さを持ち合わせる聖女
単に天然なだけという噂もちらほら
ファンクラブは星の数ほどあるという

ユーン
女戦士、豪傑豪胆
勇者一行ツッコミ担当
そして勇者一行唯一の常識人

リュー
魔術師担当
おっとりとした口調が特徴
腹黒さは魔族並

ルルリエ

天界の聖天使。マジ天使。
大天使長リヒテルの実の妹
唯一とも言える良識人
魔王一派に圧倒されているが

リヒテル

天界の大天使長
なんか色々考えてるっぽい
めちゃくちゃ強い

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