第9話『魔王、少し怒る。』
文字数 2,292文字
膠着状態は続いていた。
魔王の覇気と、リヒテルの鋭い視線。二つのオーラは室内で交差し空気を引き締める。兵はおろかマリアンナすらも立ち入ることが出来ない程、両者の緊張状態は極限にまで高まっていた。
そして……。
リヒテルは徐に口を開いた。
なかなかどうして、大胆じゃないか。
自分から天界にやってきて、聖天使を引き渡せと。敵陣のど真ん中で、当然のように自らの要求を口にすると。
おまけに見るがいい。そこに並ぶ兵達は、一度も交戦していないというのに、君から放たれる覇気で既に戦意を奪われているじゃないか。
そして魔王は、ふっと緊張を解いた。
そして魔王は、出口に向かって歩き始めた。
その時、リヒテルは思い出したかのように、魔王の背中に声をかけた。
魔王は足を止める。
だがけっしてリヒテルの方を向き直そうとしない。表情を沈め、視線だけを彼に向けた。
その視線を横から目の当たりにしたマリアンナの全身に、瞬時に悪寒が走る。
彼の瞳は、どこまでも暗く鋭い。
これまで一度も見たことがないほどに、その眼には確かな闇が見えていた。そしてその常闇の奥には、不気味に揺れる激情の炎も。
怨恨、憤怒、悲哀。そのどれとも似ているが遠い……いや、おそらくそれらすべてが入り混じっているのだろうか。それらは蟲毒のように溶け合い、見る者すべてに得体の知れない恐怖を刻み込む。
それまでとは比べ物にならない重い空気を放つ魔王。
触れてはいけない逆鱗に触れたか――。リヒテルですらもそう悟るほどの魔王の圧力に、全ての兵達は無意識に震えていた。
そして魔王は、部屋を去って行った。
最後の言葉を交わしたマリアンナは、魔王を追い部屋を去って行った。
去りゆく彼女の背中を見つめるリヒテル。その目に、様々な感情が浮かんでは消える。そして彼の脳裏に、遠い日の想い出が甦る。
あの日あの場所、そこに並ぶ二つの影。
そのセピア色の情景を噛み締めながら、リヒテルは、一人静かに瞳を伏せるのだった……。