第9話『魔王、少し怒る。』

文字数 2,292文字

……。
……。
 膠着状態は続いていた。
 魔王の覇気と、リヒテルの鋭い視線。二つのオーラは室内で交差し空気を引き締める。兵はおろかマリアンナすらも立ち入ることが出来ない程、両者の緊張状態は極限にまで高まっていた。
 
 そして……。
……昼行燈、という言葉を知っているかい?
 リヒテルは徐に口を開いた。
……さあ。
まぬけな人、呑気な人。そういう意味だよ。
本来不必要な昼間に行燈を灯している様が由来になっているのだが……まさに、君のような人だ。
挑発しているつもりなの?
まさか。
確かに昼行燈は、本来相手を蔑む比喩表現だ。だが私は、こうも思う。
……昼行燈とは言え、それはれっきとした火だ。
取り扱いを間違えれば火事となる。
この程度と甘く見過ぎれば、下手をすればそれは全てを燃やし尽くす火種にもなり得るのだと……。
……。
なかなかどうして、大胆じゃないか。
自分から天界にやってきて、聖天使を引き渡せと。敵陣のど真ん中で、当然のように自らの要求を口にすると。
おまけに見るがいい。そこに並ぶ兵達は、一度も交戦していないというのに、君から放たれる覇気で既に戦意を奪われているじゃないか。
たったあれだけの言葉で場を掌握する魔王たる君……。
想像通り……いや、僕が考えていた以上に、君は恐ろしい存在だったようだ。
……お褒めの言葉と捉えておくよ。
それはそうと、どうするの?
安心したまえ。
それならば問題ない。私と君の利害は一致しているんだよ。
元々彼女は、天界を追放すると決まっていたのだからね。
……。
追放?
そう、追放。
だからその後の彼女をどう扱おうが君の勝手、というわけさ。
もし君が彼女を捉え罰しようとも、天界は既に無関係ということだよ。
……。
釈然としない……そう言いたそうな顔をしているね。
しかし、先程も言った通り、これは決定事項だ。
むしろルルリエは帰る場所を失うわけだから、君が引き取るのであればちょうどいいのかもしれない。
もっとも、捕え処罰されることが吉報なのかは分からないけどね。
……吉報、ね。
まあいいや。それならそうで話が早くて済むよ。
 そして魔王は、ふっと緊張を解いた。
彼女は地下牢に幽閉しているよ。
兵には話を通しているから、あとはお好きなように。
……まるで最初からこうなることが分かっていたかのような手際ですね。
そうでもないさ。君達が来た段階である程度は予想できてはいたけれど、魔王がここまで踏み込んだことを言い出すのは予想外だったよ。
なんか、掌で転がされていた感じ。
ヤな感じだよ。
そう思うのかい?
けれど、こう見えても冷や汗くらいはかいていたよ。
それほどまでに先ほどの君は、まるで導火線に火が付いた爆弾のようだった。いつ爆発を起こすかもわからないから、さすがに緊張はしたさ。
……。
さあ、迎えにいってくれ。出来れば伝言も頼む。
「もう二度と、天界に足を踏み入れるな」ってね。
……嫌な役を押し付けてくるんだね。
交換条件さ。
それくらい大目に見てくれないか?
まあ、いいけどさ。
 そして魔王は、出口に向かって歩き始めた。
 その時、リヒテルは思い出したかのように、魔王の背中に声をかけた。
――そういえば、魔王。
君のお父上はご健在かな?
――ッ。
 魔王は足を止める。
 だがけっしてリヒテルの方を向き直そうとしない。表情を沈め、視線だけを彼に向けた。
 その視線を横から目の当たりにしたマリアンナの全身に、瞬時に悪寒が走る。
――ッ!!
 彼の瞳は、どこまでも暗く鋭い。
 これまで一度も見たことがないほどに、その眼には確かな闇が見えていた。そしてその常闇の奥には、不気味に揺れる激情の炎も。
 怨恨、憤怒、悲哀。そのどれとも似ているが遠い……いや、おそらくそれらすべてが入り混じっているのだろうか。それらは蟲毒のように溶け合い、見る者すべてに得体の知れない恐怖を刻み込む。
 それまでとは比べ物にならない重い空気を放つ魔王。
 触れてはいけない逆鱗に触れたか――。リヒテルですらもそう悟るほどの魔王の圧力に、全ての兵達は無意識に震えていた。
……これは失敬。
どうやら聞いてはいけないことだったみたいだ。謝るよ。
どうせ全部知ってるくせに。
ほんと、ヤな感じ……。
 そして魔王は、部屋を去って行った。
……どうやら怒らせてしまったみたいだね。
リヒテル。さすがに冗談が過ぎますよ。
その件については言葉を選ぶべきです。
違いない。
さすがに肝が冷えたよ。
私もです。本当にあなたという人は……。
……マリアンナ。
立場上私がこう言っては変だが、君達が来てよかったことが二つある。
……。
一つはルルリエの引き取り手が出来たこと。不出来な妹だが、よろしく頼むよ。
そしてもう一つは……。
……君が、私を昔のように“リヒテル”と呼んでくれたことだ。
……そうですか。
願わくば、もう一度天界に戻って来てほしい。
そしてまた、私の隣に――。
――それ以上はダメですよ、リヒテル。
私は天界を去った身。堕天の使徒なのですから。
大天使長であるあなたが、それ以上のことを口にしてはなりません。
……。
……ですが、私もあなたの声を聞けて嬉しかった。
その気持ちに偽りはありませんよ。
マリアンナ……。
さよなら、リヒテル。
もう二度と、会うことはないでしょう。
ああ……そうだね。
さよなら、マリアンナ。
 最後の言葉を交わしたマリアンナは、魔王を追い部屋を去って行った。
 去りゆく彼女の背中を見つめるリヒテル。その目に、様々な感情が浮かんでは消える。そして彼の脳裏に、遠い日の想い出が甦る。
 あの日あの場所、そこに並ぶ二つの影。
 そのセピア色の情景を噛み締めながら、リヒテルは、一人静かに瞳を伏せるのだった……。
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登場人物紹介

魔王
若くして魔界を統べた英雄的新米魔王
めちゃくちゃ強いが、苦労人
ツッコむつもりもないのにツッコまざるをえない部下を多数持つ

イシリア
魔王の城のメイドさん
意外と真面目
魔王とは幼馴染

セルフィー
幼女と見せかけて単に幼児体型なだけ
ジョセフに恋する自称乙女
一度回復魔術を使えば、超絶スパルタウーマンと化す

スレイブ
戦闘&修行マニア
なんとか魔王をこっちへ引き込もうとしている
普通に強い

マリアンナ
魔界随一の魔術使い
敵であるはずの神を崇拝
いちおう味方

ジョセフ
色々謎な優男
そしてイケメン
女好き

ダンゴ
魔王の部下
一番の理解者兼一番の被害者
本名はルドル・バルト・シュバエルとかいう長ったらしい名前らしい
見た目からダンゴと呼ばれている

勇者
選ばれし者、英雄を約束されし者
そしてヤル気も既に失われし者
布団の中をこよなく愛する者

エレナ
回復術士
女神の如き優しさと寛大さを持ち合わせる聖女
単に天然なだけという噂もちらほら
ファンクラブは星の数ほどあるという

ユーン
女戦士、豪傑豪胆
勇者一行ツッコミ担当
そして勇者一行唯一の常識人

リュー
魔術師担当
おっとりとした口調が特徴
腹黒さは魔族並

ルルリエ

天界の聖天使。マジ天使。
大天使長リヒテルの実の妹
唯一とも言える良識人
魔王一派に圧倒されているが

リヒテル

天界の大天使長
なんか色々考えてるっぽい
めちゃくちゃ強い

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