第31話

文字数 3,287文字


      その三十一

 演歌歌手ばりのあごがくがくはともかく、哀しみの放出を抑えることはだから通常不可能なのだけれど、カウンターの前を行ったり来たりしていたカルチャーセンターの大将は、哀愁などというものは微塵もただよわせていなくて、ぼくはおもわずそんな大将にしばし見とれてしまった。
「あれ? たまき」
「ご無沙汰しています。大将」
「おまえ、なにやってんの?」
「お弁当を買いにきました」
 大将は、ぼくがどの弁当を注文するのか、どういうわけか知りたがっていて、だからぼくはこんなときに「のりタル弁当です」などと素直におしえてしまうと、逆に、
「ちがう!」
 とやり直しをさせられると思って、
「ご飯なしだときょうは困っちゃうから、ご飯がぜったいあるやつ」
 とこたえて大将の出方をうかがったのだけれど、それを受けて、
「とっても、ボクは、知りたいな!」
 と足を前後にひろげて高くジャンプしていた大将は、さらに激しくカウンターの前を行ったり来たりしながら、
「うーん、これかな?」
 と申し訳程度の軒下に賞状みたいに飾られてある各弁当のセピアいろの写真を順々に指さしていて、けっきょく全部はずれを指さしていた大将は(のりタル弁当は今世紀に入ってからメニューに加わったためなのか、あるいはいまだにのり弁の亜流あつかいなのか、写真は飾られていない)、ぼくに注文をうながしたのちに、
「すみません。のりタル弁当一つおねがいします」
「あっ。わかっちゃった。たまきがきょう食べる弁当は、のりタル!」
 と後出しの正解でもって、このやり取りをいったん終わらせていたのだった。
「大将はなにをたのむんですか? ツナ缶弁当なんてありませんよ」
「きょうボクは、なにもたのまないの。見てるだけ」
 ぼくは、またいたずらで大将はこんなことをいってるんだなぁと思って、あえてあわててのりタル弁当をもう一つ追加しようとしたのだが、
「いいよたまき、気をつかうなよ」
「そうですか。じゃあこっちのおいなりさん三個パックにしますか?」
「こっち」
「えっ、デラックス幕の内弁当!」
 とホントにデラックス幕の内弁当を注文してしまった大将は、それを待っているあいだに今度ウチでお料理教室も設けるから、その下調べをしていたんだというようなこともぼそぼそいっていて、じっさいほかのお客が来て、いよいよカウンターに注文することになると、耳をそばだてて、
「また焼き肉弁当か。さっきのサラリーマンふうの人もそうだった」
 とメモ帳になにかを書き込んでいた。
「でも料理教室って、大将が教えるんですか?」
「ちがう。ボク料理できないもん」
「じゃあなにを」
「ボクが教えるのは献立。いまの奥様たちは、旦那に弁当つくったり、子どもに弁当つくったりしてるの」
「そりゃあ、そうでしょう」
「でも毎日だから、ついおなじもんばかりになっちゃうの。で、旦那だったら、会社の同僚に弁当のぞかれて、またハンバーグか、おまえンとこの女房、大雑把だなぁって、いわれちゃうの。だからボクが、いろいろヒントを与えるの」
「なるほど」
 ぼくがたのんだのりタル弁当が、
「お待たせぇ」
 とできあがってくると、
「ボクの弁当、出来てくるまで待っててよ。どこかでいっしょに食べようよ。おまえの近況もききたいし」
 と大将はいってきた。これはたぶんまともに対応したら、
「うーん、三十点」
 前後のいわゆる不合格の点数をつけられてしまうだろう。腕のみせどころ、ということもできるのかもしれない。
「お待たせしましたぁ」
 デラックス幕の内弁当ができあがってきたので、ぼくはあとで大将が弁当代を返してくれることを見込んで料金を払っておいてあげたのだが、おつりを受け取ったさいに、
「禁煙の席で食べたいんですが、空いてますか?」
 ときいたのはもちろん大将に高得点をつけてもらうためで、しかし大将は注文ききの、たしか子どもが四人もいるご婦人をもこういう訓練に関与させてしまったので恐縮したのだろうか、おもいのほかあわてて、
「バカおまえ、こんなお弁当屋さんで食べられるわけないだろ。カウンターだけで入口すらないじゃないか。すみませんね。コイツバカなんですよ」
 とぼくのあたまを二三発軽くたたきながら腕をつかんでカウンターから下がらせようとした。
「テーブルと座敷と、どちらがいいですか?」
「は?」
「テーブルと座敷」
「大将、どっちがいいですか?」
「きいちゃダメ」
「あっ、そうだった――じゃあ、テーブルで」
 たしか子どもが四人いるご婦人は、
「ごゆっくりどうぞ」
 と紐のついた名刺みたいなやつをわれわれの首にかけてくれて、なんでもこれを首にかけていれば、となりのビルの一室をお食事ルームとして使えるとのことだったが、
「このビルのオーナーと弁当屋の経営者はおなじ人なのかもしれませんね」
「ボク、お金持ちのやってることは、ぜんぜんわからないの」
 とビルのなかに入っていくと、JALのCAとほぼおなじ格好をしていた受付の女の子が、エレベーターガールも兼任しながら、われわれをいわゆるお食事ルームに案内してくれて、しかし、
「あれ? でも、いいんですか?」
「はい。気になさらないで召し上がってください」
 その一室ではネクタイを締めた方たちが、おのおの真剣な面持ちで仕事がらみの会議を開いていた。
 会議を開いている社員さんたちは見たところ四人で、そのなかのたぶんこの部署のリーダーだと思われるちょっと淡島千景に似ている年配の婦人は、お茶の用意をわすれていたわれわれに冷たい水と温かいほうじ茶を出してくれたのだが、
「おまえのそのタルタルソースついてるやつなに?」
「きいちゃダメですよ、大将」
「じゃあ食べちゃう」
「じゃあぼくも食べちゃう」
「あっ、オレのシャケ!」
 などとお弁当を食べながらおなじテーブル、しかも丸テーブルなのでいやがうえにも耳に入ってきてしまう社員さんたちの話し合いをきいていると、どうもこの方たちは旅行会社だか旅行代理店だかをやっているみたいで、そのうち赤いネクタイを締めていた中堅どころの社員がちょっと気になる企画を披露し始めた。
「ですから卯祖山のふもとというのは立派な観光スポットになりうるのです。自給自足の生活をしている連中だって現金収入が欲しいはず。だから田舎の人たちみたいに意識的にふるまってくれるようになりますよ」
 赤いネクタイを締めた中堅どころの社員が出した企画は、だがしかしもうひとりの黒っぽいネクタイを締めたベテラン社員にすぐ弱点を指摘されていて、ベテラン社員は、
「自給自足村の企画はずいぶん前にやったことがあるんだ。だけどあの連中、なにげに電化製品とかも使ってるし、観光客に出す食事の材料も最初は自家栽培のやつを使ってるんだけど、いそがしくなってくるとそれだけじゃ間に合わなくなってきて、けっきょく町で調達してきたものを使うようになるんだ。私は当時、お客様からそういう苦情をさんざん受けてるんで、いまの三原くんの企画は、なかなかむずかしいように思えるんだ」
 と過去の経験等を織り交ぜながら冷静に赤いネクタイを締めた中堅どころの三原くんを諭していたのだが、赤ネクタイの三原くんはそれでも、
「そりゃあ、ああいう生活をしてる連中だって、いろんなのがいますからね。先輩が担当したところは、きっとやわな自給自足生活者だったんですよ」
 と黒ネクタイの先輩に反論していて、
「僕がかんがえているのは自給自足村での宿泊がメインではないんです。メインはあくまでも卯祖山なんです!」
 と椅子から立ち上がった三原氏は、
「卯祖山には、兵隊が隠れてるんです!」
「日本兵が? だとしたら、いまいくつになるんだ、終戦のとき、二十歳として……」
「先輩、ぼくは日本兵なんていってませんよ。あの山に隠れているのは、キャンディー兵です」
 という幕の内群を狙っていたお箸もおもわずピタリと止まるような発言をすると、
「そろそろヤクルトレディーの菊池さんが立ち寄る時間なんで、ちょっと買ってきます」
 とみんなにことわって、この部屋からいったん出て行ったのだった。
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