第40話

文字数 3,651文字

      その四十

 先の番組を観たあとのぼくは、とくにあっちの世界に移行することもなく、わりとあっさり就寝することになっていたのだけれど、翌朝いずみクンとお食事を取ったり、例の大広間で珈琲牛乳伯爵とまたぞろ親交をあたためたりしていると、旅館の女将さんが、
「ここにいらしたの」
 と去り際の伯爵に軽く会釈しながらこちらに寄ってきて、なんでも旧館のほうのロビーには、香山浩介とおっしゃる方が、あらゆる音にいちいち過剰に反応しながら、ぼくが来るのをすわりもせずに待っているらしい。
「ロビーの内線とか柱時計の鐘が鳴ると、すぐこうやって、身構えたりしてるんですって。応対した若い子がいってたわ」
「元気くんだな、きっと。あの脚本の主人公、たしか香山浩介って名前だったし」
 旧館のほうのロビーに行くと、案の定元気くんが、ズタ袋のようなものを肩にかけて待っていて、
「早かったなぁ」
 ととりあえずいうと、元気くんは、
「途中奴らに待ち伏せされました」
 と服がビリビリに破れている理由をざっと説明してきたが、こちらに宿泊できるよう手続きをすませてからまずは露天風呂に元気くんといっしょに入ると、元気くんは湯に首まで浸かったりしつつも例によってクランクインのことなんかをまたぞろ執拗にたずねてきて、だからぼくは「しめしめ」のかわいいポーズをつい出しそうになりながらもなんとか厳しい表情を保って、
「クランクインは今日だ!」
 といよいよかれに大発表してあげたのだった。
「いきなり今日ですか!」
「そうだ! これから撮影だぞ! 頼んだぞ! ピーチパイダー!」
「はい! よーし、やってやるぞぉ」
 浩介は毎日猛特訓をしているらしい、いわゆる変身ポーズをさっそくぼくにみせてきて、ちなみにこの変身の仕方は仮面ライダーV3のそれとまったくおなじと思っていただいても差し支えないということができるわけなのであるが、ところで、猛特訓してきているわりには、腰の落とし方と腕を横に振るときの独特のタメがいまいちつくれていなかった浩介に、わたくしマエストロは、
「ちがう! もっと足のスタンスをひろく取って、力感を出しながら、両腕で半円を描いていくんだ!」
 と実演も交えながら熱心に演技指導をしていることにふと気がつくとなっていて、けっきょく、この男と男の魂がぶつかり合う火花の散るような演技指導は、
「ちがう! もっと自分のムスコを太股にピシャッと打ちつけるような感じで軸足に体重を乗っけるんだ!」
「こうですか? 変身!」
「そうだ! 変身!」
 と激しくスイングし合っている現場を、
「なにやってるんですか?」
 といずみクンに押さえられてしまうまで、いっさい休憩もはさまずにおこなわれていたのである。
「いずみクン、よくここだって、わかったね」
「さっき舟倉さんの部屋に行ったら、いなかったんで、女将さんにきいてみたんです。そうしたら露天に入ってるって」
「なるほど」
「わたし腰のほうは、おかげさまですっかりよくなったんで、また改善指導をどんどん受けたいんです」
「ほほほ本当ですかぁ!」
 ぼくは香山浩介こと元気くんに、これからべつの役者の演技指導もしなくてはならないから、きみは一足早く部屋にもどって、セリフの練習でもしててくれ、と指示を出した。
 浩介は、
「わかりました、マエストロ」
 といちいち見得を切りながらこたえると、館内のほうにジャブジャブ歩いていく。
「あっ、そうだ浩介!」
「はい」
「おまえの泊まる部屋はおれの部屋だからな。部屋の番号、さっき聞いたろ」
「はい」
「それでな、その部屋に古いブラウン管のテレビがあるんだけどな、そのテレビは待ってるあいだ中途半端に点けたりしないほうがいいぞ。というか絶対スイッチ入れるな」
「了解です。マエストロ」
 いずみクンにたいしてぼくは自分が珈琲牛乳伯爵からピーチパイダーをおっつけられているということは伝えていなくて、だから浩介こと元気くんにピーチパイダーになってもらって、ビーフストロガノフ教授と対決させるという作戦を助手に説明するのも、とくに苦労することもなく、
「元気さんが戦っているあいだに真紀さんを助けちゃえばいいんですもんね」
「そうなんだよ。あとさ、ビーフストロガノフ教授と浩介が戦い終わって逆に友だちとかになっちゃっておしゃべりとかしてたらさ、おれはほら、いちおう責任者としてあっちの世界に行かなくちゃならないじゃん。だからそのおしゃべりが終わるまで、真紀さんの上達ぶりを体感してればいいのかなって思ってるんだよ。そうすれば相手も油断するじゃん。じゃん」
「でもわたし、ヌルヌルになっている人を観ながら自分もヌルヌルになって、そのヌルヌルの度合いをヌルヌルになっている人に逐一報告するなんて、まだできません」
「そんな課題はあたえてないけどな……でも、がんばってやってくれれば、よりしめしめだな」
 という感じで、むしろ作戦がより補強されることにもおかげさまであいなっていたのであるが、このあと岩だと勘違いしてぼくのひざの上にすわる、という改善指導を前座り後ろ座りそれぞれ十五分ほどおこない、さらにいずみクンの部屋であっちの世界に行くための準備も兼ねた研修(?)をおこなって、
「つかれたぁ」
 と自分の部屋にもどると、浩介は浴衣姿で持参してきた脚本の写しを真剣に読んでいて、浩介はぼくに気がつくと、
「ピーチパイダーの衣装って、ここに入ってるんですか?」
 と社長が送ってきてくれた小売商セットが入っているダンボールを指さした。
 ぼくは衣装のことまではかんがえていなかったので一瞬まごついてしまったが、ダンボールのなかにはチキンラーメンを売るためにと社長が用意してくれた“ひよこちゃん”の着ぐるみがいちおうあるわけで――まああれだったら、なんとか間に合わせ程度にはなるだろう。
 ひよこちゃんの着ぐるみとGショックみたいな例のやつを身につけた浩介は、しかしどこか釈然としない様子で三面鏡に映った自身の姿を眺めていて、それでも、
「日清さんには制作費だとか、そのあたりのことで、いろいろお世話になっててね」
「マエストロ、あんな一流企業と知り合いなんですか?」
「まあね。今度紹介しようか、おれ、あそこの偉い人、よく知ってるんだよ」
 と大いなるはったりをふたたび決めることによって、どうにかかれを説き伏せることはできたわけなのだけれど、この衣装問題よりも、もっともっと手間取るだろうと予想していた撮影現場の問題のほうは、卯祖山周辺の自然のなかで撮影するものだと完全に思い込んでいる浩介を、
「ほら、宇宙刑事ギャバンもさぁ、いつもマクー空間で戦ってたじゃん」
 などと強引に言いくるめるまえにビーフストロガノフ教授の指示でまたぞろ親子丼ともりそばを持ってきた出前持ち怪獣が、
「じゃあ、ついでだから」
 とご親切にあちらの世界の撮影現場(?)のほうに浩介を誘導してくださっていたので労せずに済んでいて、ちなみにそのさいにぼくは、
「すみません。お手数ですけど、よろしくお願いします」
 と出前持ち怪獣に出前の代金(なぜか負けてくれて千円だった)と局部ドアップの例の写真ニ枚とチキンラーメンの五個パックを渡したのだが、ビーフストロガノフ教授はやはり上司だからか、竹谷真紀のスマホ経由で、
「もしもし、あっ、なんかウチの出前持ち怪獣がお土産いただいちゃって、すみませんですぅ」
 とわざわざ電話をかけてきてくれたのだった。
「いえいえこちらこそ、竹谷がいつもお世話になっております」
「会員番号13番と15番なんて、あんな貴重なお写真、よかったんですか」
「まあ19番だけは渡せませんけどね、あはははは」
 ビーフストロガノフ教授は、おニャン子クラブのことはあまりよくわかっていないみたいで、なめ猫の免許証がどうのこうのとか、竹の子族がどうのこうのなどと、ぶつぶついっていた。
 珈琲牛乳伯爵とのいきさつを遠回しにおうかがいしてみると、ビーフストロガノフ教授は、
「あの野郎はね舟倉さん、ジャネット・ジャクソンとオーヤン・フィーフィーを混同してて、オーヤン・フィーフィーはマイケル・ジャクソンの実の妹だなんて、得意になってみんなにおしえてたんですよ」
 などとまくしたてるように訴えてきて、なるほどそういうことであれば、あの野郎はビーフストロガノフ教授に必殺の電気アンマをお見舞いされてもしかたないとぼくも思ったわけだけれど、さらに教授は、あの野郎はゴダイゴのリーダーはミッキー安川だと言い張って今でもその間違いを認めないし、あと〈ドムドムバーガー〉のポテトのLのことをチキンマックナゲットとかいって自慢げに食べてたんですよぉとも呼吸を荒らげながらいっていて、気がつくとぼくのほうも、あの野郎にたいする激しい怒りによって、ひよこちゃんの梱包に用いられていたいわゆるプチプチをぷちぷちやりまくったり、ちびっちゃいビンのコーラを、むせながらそれでもがぶ飲みしたりしていた。
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