第4話

文字数 3,836文字


      その四

 栗塚歳三にかんする吉報をきき、
「運が向いてきましたなぁ」
 としばらくは上機嫌で飲んでいたのだけれど、きょうれい子先生にたのまれた裏奉仕の詳細をいよいよきくと、ぼくはまたぞろ眉間にシワをよせてしまった。
「しかし、そのなんとかスタジオって、何なのですかね」
「『なりきりアクターズ・スタジオ』ですよ、舟倉さん。まあ俳優の養成所みたいなところらしいんですけどね、とにかく指導法が極端なんですよ」
「なりきっちゃうって、ことですか?」
「そう。ほら、デ・ニーロも『アンタッチャブル』のときだったかなぁ、アル・カポネかなんかの役作りのために、カポネとおなじパンツをはいたりとか、おなじ食生活にしたとかって、いうじゃないですか」
 れい子先生の顧客のなかには政治家も大勢いて、今回の依頼人は参議院議員を三期だか四期務めた方らしいのだが、なんでもその代議士の甥っ子さんだかが俳優志望で先のなりきりアクターズ・スタジオなるものにかなり真剣に通っているみたいで、で、予定では「義理人情に厚い、さすらいの殺し屋」の役を、その甥は受け持つことになっていたらしい。
 先ほど、
「なにか、お持ちしましょうか」
 とこの間をのぞきにきた女将に、山城さんはひと昔前のエロ部長も真っ青になるほどの卑猥な冗談をいっていて、ぼくはそんな発言はセクハラみたいな取られ方をされると思って、女将がさがってから山城さんに注意するよう呼びかけたのだけれど、しかしここの上客の山城さんは、あの女将はむしろああいう冗談が好きで、自分でも積極的に振ってくるんですよと、ニコニコしながらさらに「百年のまばたき」をグイグイやっていて、だから注文した肴がきたときには、それを持ってきた女将に、ぼくもあっち方面の冗談をエロ部長が泡を噴くくらいの勢いで述べていた。
「やぁね、でも環さんはまだお若いから、いつでもお元気なんでしょうけど」
 代議士の甥っ子のお名前もやはり「元気」というらしく、まあ俳優の卵みたいな感じなのだろうから、こちらは芸名ということもかんがえられるわけだが、しかし名は体を表しすぎると近しい人たちは困ることもあるのか、徹底的な、それこそ職務質問されても役名でこたえちゃって連行されそうになったくらい徹底的な役作りをしてクランクインを待っている元気くんに、いま現在この親族は手を焼いているようで、れい子先生に手渡された資料には、たしかにトニー・モンタナを演じたときのアル・パチーノにそっくりな日本人が葉巻をくわえて、そしてショットガンを肩にかついで、こちらをにらみつけていたけれども(よく日焼けした顔にはナイフの傷跡のような線がきざまれている)、なるほど、こういう格好でいきなり法事なんかの席に現れたら、さぞかし伯父さんも気が動転したにちがいない。
「元気くんの人格が破綻してしまうんじゃないかと、親族は心配しているわけですか?」
「いや、そうじゃなくて、この伯父だけが、とばっちりを喰ってるらしいんです。しかしそんな肉食なのによく太らないですよね」
「いやぁ、太りやすくて、たいへんですよ」
「舟倉さんで太りやすかったら、わたしなんか、どうなるんですかぁ」
 山城さんは背はぼくより若干低いくらいなのだが、恰幅はぼくよりずっとよくて、要するに、
「ずんぐりむっくりって、いいたいんでしょ」
「いや、豆タンクとかドカベンとか」
 という感じの体型なのである。
 山城さんにはそもそも節制という概念はなくて、だからこそ、たい焼きなんかも、すでに四個も食べているわけだが、ぼくのほうは放っておくと、山城さん以上の恰幅になってしまうかもしれないので、ほぼ毎日ランニングなどをして、体重を増やさないようにしているのだ。
 元気くんは、今回の役になりきるために大がかりなダイエットも成功させたらしく、といってもこの「義理人情に厚い、さすらいの殺し屋」のまえの役柄が「相撲取りくずれの地デジ難民」というものだったらしいので、ただ単に、ほんらいの体重にもどしただけなのかもしれなかったけれど、しかし今回の映画だかドラマだかのスポンサーはマイボトルキャンペーンのさいにしたたかにそれに便乗してこの界隈である種の地位を築いたあの「マコンドーレ」ということになっているみたいなので、もしかしたら、そういう配慮もあって、殺し屋さんを必要以上にエネルギッシュにしているともかんがえられる。だってショットガンを散歩がてらにぶっ放しまくっている日本人なんて、そんなにいないもん。そしてマコンドーレのCMを観ていると、毎晩フルオートで、ぶっ放せそうな気持ちになってきちゃうもん。
「マコンドーレ」は近年“ゼツリン青汁”という商品の大ヒットで急激に大きくなったメーカーで、ローカルテレビでも、それからネットの配信みたいなものでも、かなり精力的に宣伝活動をおこなっている。
 マコンドーレというメーカーには、しかしきな臭いうわさがつねにあって、どこかの学長が地元放送局での対談番組で、ゼツリン青汁をこれ見よがしに飲んでいたものだから、いろいろな憶測がながれているのだが、元気くんの伯父にあたるこの代議士も、どうやらマコンドーレの会長や社長といろいろ付き合いがあるらしくて、そんなところから、元気くんは伯父の家などに、
「いつになったら、クランクインするのか聞いてよ、伯父さん!」
 とたびたび問い合わせに行っているようなのだ。
「映画の制作が棚上げされちゃってるってことですか?」
「脚本を読んで、会長がそう決めたようです。ワンマン会長だから」
 代議士が真に困っているのは、黒い交際疑惑を対立候補に突かれ気味なのに、こんな身なりの甥っ子がショットガンをかついで自分の選挙事務所にまでお問い合わせに来ることで、だからそれがとりあえず収まりさえすれば、れい子先生もいちおうの面目は立つのだろうけれど、しかし映画だかドラマだかの撮影がおわらないかぎり現在の役柄から元気くんは抜け出さないはずで、ちなみに前回の「相撲取りくずれの地デジ難民」のさいも、クランクアップしたあと約一年半、そのまま難民状態にかれはあったという。
「チューナーなんか、ホームセンターみたいなところでも売ってたのにね」
「そういうことに気づかないくらい、役になりきってたわけですよ、舟倉さん」
 さっきまで兄貴がけなしていた“ちっちゃいほうの兄貴”は骨董店を営んでいて、骨董といっても、壺だとか絵だとかはぜんぜん扱わなくて、レトロなおもちゃだとか、あと家具なんかを中心に、つまり実質リサイクルショップというか体のいいガラクタ屋なのだけれど、このチイアニもこういう機械関係に疎くて、ぼくに地デジ問題をかなりとんちんかんな質問も織り交ぜつつ当時相談しに来ていて、そのときはたしか、アンテナだけを取り替えて、あとテレビのほうはブラウン管のやつにチューナーをつけて、とりあえず対策を取ったのだった。
 しかしチイアニは、いまだにアンテナの工事費をぼくに支払っておらず、おそらくチイアニは、とんちんかんな質問にも良心的に対応してあげたマンツーマンの説明会のさいに差し出してきた“バトルフィーバーロボ”というレトロなおもちゃだけで相殺されていると思っていやがるのだろうが、弟がこの問題を大目にみてやっているのは、じつはおふくろにもおっきい兄貴にもチイアニのためと称して工事費を二割増しでもらっていたからで、当初の予定ではチイアニからもきっちりもらうはずだったのだけれど、チイアニとおふくろはまれにではあるが連立することがあることはあるので、重複徴収のからくりの漏洩の可能性と照らし合わせて、ぼくはこういうスタンスを現在のところ取っているのである。
 れい子先生の秘書だかマネージャーだかをしている山城さんは、もう一つの裏奉仕についてもとうぜん知っていて、元気くんの話が一段落すると、ぼくにそちらの進展具合をまたぞろきいてきたのだけれど、
「新しいデータはないんですか?」
 という質問返しに山城さんは、
「あんなの探せるわけないですよね」
 とさすがに同情してくれて、このあいだ山城さんも心配性の社長に、
「ネットにでも出してみては、どうですか」
 と身も蓋もないことをいったみたいなのだが、やはり社長はどうしても内密に事を進めたいらしい。
 いまから三十数年前、社長がまだ駆け出しのころに開発した「長寿マシーン」は、ぶら下がり健康器と青竹踏みとタワシの乾布摩擦と腹筋トレーニングをすべてこなせる優れものというふれ込みで売り出された一種の健康器具で、限定百台にしてエロ本読者をあせらせている通信販売のその紙面には、かなり小さくではあるが、豊胸や豊根、そして宇宙人とも交信できると匂わせるようなこともなにげに記されているのだけれど、しかし社長が危惧しているのは、こちらの偽文書問題ではなく、ぶら下がりながらできちゃう腹筋トレーニングをするさいに、ポコポコ下腹部を叩いてくれるそのレバーの調節を“強”のままにずっとしておくと、おなかの調子がわるくなる、あるいはこちらの機能を豊根と勘違いしてポンポンやりつづけると、男根の機能のほうに支障をきたすというもので、社長はすでに限定百台のうちの九十九台の各所有者とは水面下で折り合いをつけているようなのだが、あと一台がどうしてもみつからなくて、それでこれが明るみに出てしまう悪夢を、ときどきみているらしいのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み