第13話

文字数 4,268文字


      その十三

 新米のかわいい助手は、長寿マシーンの持ち主を夜通し捜索しそうな勢いだったけれど、ぼくは五時過ぎに、
「もう遅いから」
 といずみクンを家に帰した。
「遅いって、まだ外は明るいのに」
「だけど、もうすぐ夕飯時だし。お父さんだって帰ってくるよ」
 ぼくはべつに門限みたいなものを気にしていたわけではない。いずみクンだって、二十歳を過ぎているのだ。おそらく二十五六なのだ。よもや夕飯までに帰らなければならないなどということはないだろう。
 いずみクンを帰したのは、じつはこちらの都合なのである。
 きょうは夜の七時から地元テレビ局で『突撃みんなの食生活』が生放送されるのだ。
「生放送はやっぱり生で観ないと。録画したのをあとで観てもなんかちがうんだよ」
『突撃みんなの食生活』は、この界隈ではたぶん一番人気のある番組で、だからプライバシーをかなり侵害されているにもかかわらず、いまだかつて誰一人局を訴えた者はないのだけれど、しかしいきなり突撃訪問を受けた市民は、まあ当たり前かもしれないが、ぶち切れたり取り乱したり、なかには「カァちゃん帰ってきてくれよぉ」とカメラに呼びかける人もあって、つまり――きっと、ハプニング性があるのがいいのかもしれないね。
 この番組には山城さんも注目している。山城さんもたしか、
「なにが起こるかわからないドキドキ感がありますよ」
 というようなことをいっていた気がする。そうだ、山城さんに元気くんのことを報告しておこうかな。
 最後の乗り継ぎを待っているあいだに山城さんに電話してみると、山城さんも、
「きょう生放送ですよ。見逃しちゃダメですよ」
 とやはりこちらの番組をたのしみにしている感じだったが、駅のホームだと双方の声が聞き取りづらかったし、それに山城さんは、ぼくから電話したのに、
「これからわたしの部屋で、いっしょに飲みながら観ましょうよ」
 と誘ってくれたのちに一方的に電話を切ってしまっていたので(どうも煮物かなんかを吹きこぼしたようだった)、ぼくはそのときに落ち着いていえばいいやと思って、携帯をポケットに押し込んだのちに、またセピア色のポスターの鑑賞にもどったのである。
 山城さんはちょっと変わったところに住んでいる。山城さんちは山城さんいわく土地成り金の一家で、ボウリング場だとかゴルフの打ちっ放し練習場だとか、あと紳士服の店なんかにも土地を貸しているようなのだけれど、次男の山城さんは、お兄さんが経営しているゴルフ練習場のいわゆる社長室を無理やり守衛室に改築して住み着いていて、しかし、この公私混同問題は「無人になるよりはいいだろう」という感じで、お兄さんのほうもいちおう黙認しているらしい。
「じっさいに守衛の仕事はしてるんですか?」
「まあ夜とか見張ってるくらいですかね」
「でも、しょっちゅう夜遊びしてるじゃないですか」
「それは大丈夫なんですよ。セコムにも入ってますから」
 打ちっ放し練習場に到着したのちに山城さんの携帯に連絡すると、
「やっぱり自転車ですか。ウチの駐車場空いてるのに」
 と山城さんはすぐおもてに出てきてくれたが、受付の女の子に敬礼しながら(受付嬢たちには、ぼくのほうも守衛の人だと思わせるように心がけている)守衛室に入ると、このまえ宣言していたとおり、畳が新しくなっていて、それにしても、これじゃあまるっきり、独身寮の一室って感じだな。
 この部屋でひときわ目につくのは、たしか六十インチの大型モニター群で、名目上の守衛さんは以前何度かリモコンで各階の練習席の様子を一階、二階、三階、という感じで切り替えてぼくに見せてくれたが、しかし守衛さんは、このモニターをほとんどテレビ視聴やネット動画用としてもちいていて、もちろんこの晩も、モニターは地元テレビ局に合わせられていたのだった。
 守衛室には小さな台所もあって、ないものといえば風呂と洗濯機くらいなのだが、普段の風呂はこの練習場の貸シャワーみたいなやつで済ませているみたいだし、洗濯物のほうも、実家に持って行ったりコインランドリーでまとめて洗ったりしているようなので、わざわざ増設したりまではしないのだろう。
 その小さな台所にいったんさがった山城さんは、
「はい、どうぞ」
 とちゃぶ台にお盆を置いた。このちゃぶ台は、冬はコタツにもなる優れモノだ。
 お盆には煮物と柿ピーと漬け物とめんたいことやきとりの缶詰と缶ビールとコップが乗っていた。
「足りなかったら、オムライスでもつくりますけど」
「コンビニでおにぎり買ってきたんですよ。あとサンドイッチも」
 ぼくがコンビニのレジ袋とそれからきょうれい子先生にもらったウイスキーを肩掛けカバンから出して手渡すと、山城さんは、
「えっ、こんないいやつ、持ってきてくれたんですか」
 とそのウイスキーを受け取った。
 それで、れい子先生の話に自然と移ったので、ぼくはきょう元気くんと偶然会ったことを告げようとしたのだけれど、れい子先生の話をしだしたときには番組のほうもぼちぼちはじまっていて、山城さんは、
「モダン商店街に昔からやってるクリーニング屋があるんですけど、モダン商店街、知ってますよね?」
 ときいても、
「この住宅街どっかで見たなぁ。舟倉さん、ここ、あそこじゃないですか。あの、なんだっけ、焚き出しんとき、猫舌でスゲェーふーふーしまくってた奴の家の、あっ、ちょっとちがうかぁ……」
 とテレビに見入ってしまっていたので、とりあえず、この報告は番組が終わってからすることにした。べつに急ぐことでもないしね。
「突撃みんなの食生活」の突撃レポーターを務めているのはあの沼口探険隊である。
 いつだったか姪のノン子が、
「沼口探険隊ってメンバー二人だけなの?」
 ときいてきたことがあって、そのとき叔父は、
「いまのヤングはそんなことも知らないのか……」
 と愕然としてしまったのだが、なんにしても三十年くらい前の全盛期にはたぶん十人くらいは隊員がいたはずで、それが代替わりするたびにだんだんすくなくなって、こんにちでは、とうとう隊長と隊員の二名だけになってしまっている。
 現在レポーターに甘んじている沼口一隊長は三代目の“ぬまぐちはじめ”で、どうやら隊長だけは名跡の制度を取っているらしいのだが、初代が隊長だったころ流行っていた『沼口探険隊がゆく』というテレビ番組は、われわれの世代ではもうなんていうかウーパールーパー以上の伝説になっていて、だから、この伝説の番組に深い思い入れのある局のお偉いさんだかスポンサーだかが、すっかり没落した沼口探険隊をそれでもレポーターとして起用してあげている、という話もあるのだ。
 隊員たちは初代のころからニックネーム制度を取っている。
 いま沼口探険隊で隊員をやっているのは「ツータックパンツ」というニックネームの真面目な青年だけである。
 ノン子もぼそりといっていたが、探検隊と呼ぶには若干淋しい数である。
 そのツータックパンツがまず民家のインターホンを押したようだ。
「はーい」
「突撃みんなの食生活です」
 テレビを観ていた山城さんは、
「最近ツータックパンツが、いつもチャイム押してるな……」
 とぶつぶついっている。そういえばそうかもしれない。
 玄関口に出てきた奥さんは探険隊を見ると、案の定、自分の着ているものや化粧のことをしきりに弁明していたが、その後、
「パパー」
 と奥に呼びかけて、タタタターッと出てきたのはパパではなく、たぶん二歳か三歳の男の子で、男の子は沼口隊長に名前をきかれると、
「そら」
 と小さな声でこたえて、すぐママの足もとに隠れるようにかじりついていた。
 ママはそらくんの字を隊長に説明し、隊長は大げさに感心している。
「宇宙と書いて“そら”か。パパがガンダムでも好きなんですかね」
「山城さん、ガンダム詳しいんですか?」
「いや、ガンダムはとくに詳しいってわけじゃないですけど、でもなんか、タイトルでそういうのがあったような……」
 ぼくもガンダム方面には疎いので、タイトルうんぬんの問題はうやむやになってしまったのだがところで、沼口探険隊がいて宇宙とくれば、われわれの世代ではとうぜん初代の沼口一が猛進した「宇宙からやってきたのか? 神秘の連中カフェオレンジャー!」というタイトルのあの回を想起するわけで、あれが放送された当時はたしか小学四年生だったけれども、クラスの中はもちろんのこと、町会でもそれからPTAサイドでも、たいへん盛りあがっていたという記憶がある。
「盛りあがってたって、PTAのほうは怒り狂ってたんじゃないですか? こっちの学区でも批判されてましたよ。観るのを禁止にするべきだって」
「ぼくのところの小学校では一時期『お笑いマンガ道場』禁止令が出てたんですよ」
「またどうして?」
「たしか痩せぎすの独り者の女の教師が『富永一朗の絵を18禁にしろ』とか、そんな感じのことを主張して、そうなっちゃったのかな」
「ひどい規則ですね」
「観てましたけどね、ぼくは」
 お笑いマンガ道場の話を山城さんとしていてふと記憶がよみがえってきたのだが、先の痩せぎす独り者女教師は「神秘の連中カフェオレンジャー」をも否定していたのだ。こちらも完全否定だった。
 そして何人かの優等生タイプの子どもたちはその保証を受けてかなり勝ち誇っていたわけだが、だいたい神秘の連中カフェオレンジャーをウソだと見抜いたところで、なにが偉いのだろう。そんなことなら騒いでいたぼくたちだって、うすうす気がついていたのだ。背中のチャックとかも一瞬だけれど完璧に映っていたしね。
 しかしこのチャック疑惑は、のちのち問題になってしまう。というのは、一隊員の内縁の妻がいわゆる“やらせ”を告発して、そのさいに、もう鬼の首を取ったようにカフェオレンジャーの背中のチャックを、
「わたしが、ジーッて、上まであげてあげたんです。なかに入っていた人はスタントマンでした。そのときナンパされました。そしてお食事しました。お食事した店は〈ステーキハウス断食後に十日来い〉でした」
 と週刊誌上で訴えてしまったからである。
 一般的にはこの騒動によって、沼口探検隊は没落したといわれている。
 でもじっさいのところは、この騒動の前から探険の内容がマンネリ化していて、
「またエリマキ原人かよ」
 などと、子どもたちのあいだですらも、不満の声があがっていたのだ。
 もっとも、エリマキ原人の探険のやつは、それでもけっこう、みんな観ていたのだけれどね。
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