第39話

文字数 3,447文字


      その三十九

 珈琲牛乳伯爵は、
「さあ早く復讐を!」
 と胸や胃のあたりを苦しそうにしながら急かしてきたけれど、ぼくはピーチパイダーとしての心の準備がまだまったくできていなかったので、掘ゴタツにもぐるのは、もう二三日待ってもらうことにした。
「相手は強敵ですからね。まずは作戦をかんがえさせてください」
「それもそうだな」
 部屋にもどってからのぼくは、いずみクンにさりげなく素敵にプレゼントしようと思っている「ノーパンを生きる」を拾い読みしたり、例の脚付きテレビを点けたり消したりしていたのだが、拾い読みしながら、いずみクンがノーパン生活を営んでいる姿をいろいろ想像していたからだろう、布団に横になると逆にいわゆるムスコのほうがむくむく起き上がってきてしまって、
「あああああああ!」
 そんなわけで、ぼくはこんなときでもやっぱり元気だったムスコのおかげで、成りきりアクターの元気くんを思いだすことができたのである。
「もしもし、あれ……」
 ところが元気くんの携帯の番号は現在使われていないことになっていて、しばしかんがえて萩原さんの携帯に電話してみると、萩原さんはきょう仕事のほうはお休みだったが、きのうは店に出ていて、
「そういえば……」
 と役作りのために〈秘密クラブ〉に通いつめている元気くんがピーチパイダーに変身する主人公になりきって、携帯電話を解約してハム無線に変えたらしいことをおしえてくれたのだけれど、
「脚本では、たしかそういうハム無線みたいなやつで連絡取ってたからな……まいったな」
 とこちらが困っていると、萩原さんはどうにか知り合いを通じて元気くんのハム無線に連絡してみるわ、とおもいがけず伝言を引き受けてくださって、だからぼくは恐縮しつつも、
「とにかく、この温泉旅館になるべく早く来るようにとだけ、いっといてください。そのあとのことはまだ未定なんで。じゃあ旅館の住所からいいますね――」
 という伝言を、萩原さんにメモしてもらうことにしたのである。
「お手数ですが、よろしくお願いいたします」
「わかりました。そういえば舟倉さんのところに、竹谷さんからの連絡ありましたか?」
「それはね、ちょっと入り組んでるんですけど、とにかく真紀さんは、いちおう無事なんです。萩原さんのことも気にしてましたよ」
「交通事故とかではないんですね?」
「ちがいます。これはなんだろうな……ビーフストロガノフ教授というのがいましてね、あっ、そのまえにビンビン怪獣の説明をしなくちゃいけないか、いや、ビンビンになってるとか、そういうことじゃないんですよ。いや、さっきまでは、たしかにビンビンだったことは、ビンビンだったんですけどね」
 つぎにぼくは栗塚氏から助言をいただくことにする。栗塚氏は携帯もパソコンも持っていないので、保護者みたいになっている山城さんにまずは電話してみる。山城さんは電話に出なかったが、すぐ折り返しの電話がかかってきた。
「もしもし」
「すいません。いそがしかったら、またあとでかけ直しますけど」
「もうだいじょうぶですよ。舟倉さん、そっちはどうですか? また露天に入りまくってるんでしょう」
 山城さんはこのようにぼくが温泉旅館にいることをすでに知っていて、なんでもそれはれい子先生から今朝方直接おしえてもらったとのことだったが、
「れい子先生は、いずみちゃんからきいたみたいですよ」
 となにかをもぐつきながらいっていた山城さんは、ぼくの問い合わせに、
「栗塚先生は今晩ウチの常連の方の家に呼ばれて外出してるんですよ」
 ともぐつくものをお口のなかにさらに補充しながらこたえていて、どうやら栗塚氏は、ゴルフのメンタル面のアドバイザーとして、謝礼のようなものをぼちぼちもらったりしているらしい。
「電話するように栗塚先生にいっときましょうか」
「またそのうちかけ直しますよ。ちょっと、わけわかんないことなんでね」
「そんなの毎度のことじゃないですか」
 そうはいっても今回の件は特別である。ぼくは、
「それじゃ、また」
 といって電話を切った。
 栗塚氏から直接お言葉はいただけなかったが、ぼくは氏がこんなとき、どんな助言をしてくれるかはだいたいわかっていた。
 栗塚氏はおそらく、
「実験をしてから事を決めなさい。サセレシア」
 といってくるはずである。
 ぼくはビーフストロガノフ教授もビンビン怪獣もまだ実物を観ていないが、お名前からしてとんでもない連中だということは明白で、しかも珈琲牛乳伯爵なんかはじっさいにビーフストロガノフ教授に必殺の電気アンマをお見舞いされたりカーシャのなかに毒を盛られたりしているのだから、できることなら、わたくしピーチパイダーは、ピーチパイダーキックとかピーチパイダーダブル回転パンチとかそういう技ではなく、話し合いで、この件は解決したいと思っている。
「出前持ち怪獣だけだったら、まずロープに振ってショルダースルーを決めて、そのあとスピニングトーホールド決めんじゃん。で、一回相手にちょっと技やらしてあげんじゃん。で、ちょっとこっちはグロッキーになんじゃん。とりあえずね。すると相手は大技きめにくるからゼッテー。オクラホマスタンピートとか。だからそんときに風車の理論で逆にスモールパッケージホールドとかでスリーカウント取んじゃん――という感じで勝てそうなんだけどなぁ」
 脚付きブラウン管テレビをまたぞろカチャカチャやってみると、こちらの地元テレビ局でもマコンドーレの青汁の宣伝番組が放送されていて、ぼくはあらためて〈芳寿司〉のお客さんを、
「左の横顔がいちばん松坂慶子に似てるな」
 とじっくり鑑賞してある種の感銘をも受けていたわけなのだが、
「この寿司屋の女房、ということは青汁のおかげで十三回も蘇生してるんだなぁ……」
 などとテレビを観ていると、やがて青汁はおわって短いニュースののちに『沼口探険隊がゆく!』に番組は変わっていて、ちなみに隊長は初代の、いちばん人気のあるときの、あの沼口はじめ隊長だったので、再放送のやつということになる。
「これは何の回かな……『神秘の生物マーシシマイ』のやつかな? いや、ちがうな、あれは島での撮影だったもんな」
 沼口探険隊はマーシシマイではなく、山奥で暮らしている伝説の兵隊さんのほうをどうやら捜しているらしく、山道の横っちょに食べ散らかしてあった果物みたいなものを隊員の一人が拾ってくると、沼口隊長は、
「これはまちがいなく、人間が食べたものだ」
 と果物にわずかに残っていた歯形を隊員たちや視聴者に例によって鬼の首を取ったように示していたわけなのだが、この伝説の兵隊さんとおなじ釜の飯を食べていたという、タツヤさんとおっしゃるスペシャルゲストの元兵隊さんは、番組の中盤で樹の幹に付いていた血糊をみつけると、
「この高さに血がついているということは、きっとあいつがデビルポーズの練習をして、この幹に血を付けたんだ!」
 とカメラに正対するかたちでお目目をうるうるさせていて、そんなタツヤさんの背中を励ますようにやさしくさすっていた沼口隊長は胸のポケットからおもむろにスマホを取り出すと、幹に付着している血液を調べてもらうよう、どこかの機関に、これ見よがしに連絡を取っていた。
 初代の沼口はじめが隊長を務めていたのはおもに八〇年代前半で、ぼくの記憶では、たしか八六年か八七年には二代目にその座をゆずっている。
「はて、それなのに初代の隊長がなぜスマホをつかってるんだろう……」
 ところで肝心の兵隊さんはどうなったかというと、偶然通りかかった自給自足の生活をされている仮名山男さんにたずねてみたことにより山の五合目あたりでたまに歌の練習をしていることがようやく判明していて、仮名山男さんがいうところのキャンディー兵は、コマーシャル開けにキャンディー隊の大ヒット曲のひとつである『ワオ年下の男の子』のコーラス部分を山の五合目付近で案の定練習していたのだけれど、やがて沼口探険隊がキャンディー兵と接触するために最後の力をふりしぼって険しい山道を登っていくと、キャンディー兵はとうとう、
「キャンディー隊が再結成するまで、オレはこの山を降りないぞ」
 という声明文を紙飛行機にして、あっちこっちに飛ばしてよこしてきて、
「あぶない!」
 そして隊員のひとりは、その紙飛行機をキャッチしようとして足を踏み外したのだろうか、なだらかな坂道を、わざとらしくゴロゴロ転がり落ちて行ったのだった。
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