第9話

文字数 3,543文字


      その九

 キャンディー隊の解散コンサートの記憶はほんとうで、あのときはまだ元気だった祖父の部屋のテレビで、兄貴たちといっしょに、たしかに観たはずなのだが、そのとき四つ上の姉が、三メートルくらいに切ったトイレットロールを、テレビに向かって何度もヒラヒラ投げていて、しかし姉は小二だったにもかかわらず、この行為をおぼえていないのだ。
「キャンディーデスク使ってたくせに、おぼえてないのかよ」
「ぜんぜん記憶にない。なんでわたし、トイレットペーパー投げてたの?」
「応援だろ。球場にいたファンたち、紙テープ、いっぱい投げてたじゃん」
 会長はあの球場の人工芝の席でじっさいに紙テープを投げていて、人工芝の席なんて、普段の巨人戦だったら売られてもいないのだから、相当値段は張っただろうが、しかし会長は、その当時まだお金はなかったが、格安の値段でいち早くチケットを入手できたのだそうで、まあ新キャン連の幹部だったのであれば、そういうコネも、おそらく持っていただろう。
「新キャン連」は新日本キャンディー隊連合の通称で、全国規模のかなり大きな組織だった。これは萩原さんとお近付きになった場合にそなえて勉強したのである。
 この猛勉強は、スケベ魂から湧き出る情熱があったからこそ継続できたのであるが、ところで、キャンディー隊というのは、最初はなかなか人気があがらなかったらしい。
「その当時俺は豆腐屋の配達やってたんだけどな、ひと息つこうと思ってスーパーみたいなところの駐車場にバン停めて休んでたんだよ。そしたら、その駐車場でいきなりコンサートみたいなのがはじまっちゃってさ。車降りて観に行ったら、キャンディー隊がうたってたんだ」
「そのときに、好きになったんですか?」
「そのとき急になったわけじゃないんだが、キャンディー隊がレコードを手売りしてたから、試しに一枚買ったんだ」
「誰から買ったんですか?」
「ランちゃん。丁寧な口調でお礼をいってくれて、握手までしてくれたんだよ」
 勉強したところによると、新キャン連の前身はどこかの大学の小さなサークルだったらしいのだが、幹部にまでなった方に直接きいてみると、やはりこれは合っていて、会長はこの時点で、もう活動に参加していたとのことだった。ただしニセ学生というかたちで。
「そのサークルでは、スーちゃんがいちばん人気あったな」
「スーちゃんが、いちばん色が白くて、ぽっちゃりしてましたからね」
『ぐるぐる土曜日』のおもいがけないヒットにより、急激にファンを増やしたキャンディー隊だが、このおもいがけないヒットの影に、新キャン連の地道な活動があったのをキャンディー当局もつかんでいた。だからこそ、キャンディーサイドのほうから新キャン連にすり寄ったのだ。結果的に新キャン連の株も上がることになる。
 ある筋から得た極秘情報によると、キャンディー隊が例の「平凡パンチに水着姿を載せない平凡な女の子にもどりたい」という旨を発表した直後、こちらの新キャン連では、かなり激しい内紛があったとされているのだが、このことを会長にうかがってみると、なんとなく会長は口ごもってしまって、で、もうぜんぶのキャンディー話を打ち切るように、
「いよいよ太平洋子が出てくるぞ!いよっ!待ってましたァ!」
 とこれまでほとんど見向きもしなかったステージのほうに、急に声援を贈りだした。これは引いたほうがいい。
 ぼくはこの宴会ホールでの歌謡ショーをけっこう観ているけれども、この歌手は見たことがなかった。新人だろうか。
 宴会ホールでのこのパッとしないショーになにげに精通しているのは、ぼくが花田家ウォッチャーなみの物好きだからとか、そういうことではなく、ここではたらいている八神さんに、ときどき無料券やお食事券をいただいているからである。
 八神さんからは、定期的にちょっと込み入った内容の用事を頼まれることになっていて、ちなみに八神さんの実家は、名古屋でどういうことをされているのかはよくわからないが、とにかく八神さんのお父さんは地元ではたいへんな名士らしいのだけれど、しかし八神さん自身は、そのお父さんをなんだか煙たがっている感じで、お父さんが持ち込んでくる見合いの話をいつもかならず断っていて、で、そのさいに、ぼくはいろいろ奔走しなければならないのである。
「舟倉さん、このまえはありがと。これ、わたしの気持ちね。今回は〈三途の川〉のお食事券のほかにオコメ券もあるから」
「おおお、オコメ券!」
「そうよ」
「オコメ、オコメ券か……カタカナで書いてあるから一瞬勘違いした」
 この衝撃のオコメ券をいただいたときは、めずらしく実家のお父さんがからんでいない用事で、ぼくは八神さんにいわれるがままに、霊能者になりきったのだった。
 スポーツクラブの会員は、やはり健康ランド内の施設だけに、ぜんたい的に高齢の方が多いようなのだが、丸椅子にがに股ですわって足でリズムをとりながら肩を出し入れする八神さんオリジナルのダンスを、かなり熱心におこなっている高橋さんという可愛らしいおばあちゃんが、ある時期から部屋にアメリカ兵が隠れているといいだして、八神さんも、直接おばあちゃんからそれをきいたのだった。
「先生、どうにかしてくれませんか」
「アメリカ兵なんかいないわよ、おばあちゃん」
「いるんですよ。押し入れに隠れているときもあるんですよ」
 家族の人もお医者さんも、このおばあちゃんには、とくに認知症の症状はないと思っていて、だから八神さんも、
「ほんとうに隠れてるのかしら」
 といよいよいいだしたわけだが、となりに住んでいるこのぼくが“ブロマイド系”の占い師だということを、ふと思い出すと、
「おんなじようなものでしょ。どっちみちインチキなんだから」
 とまたぞろ無茶なことを頼んできて、しかしぼくは八神さんの平べったい声で甘えられると、どうしても断ることができないのである。
 ステージ上では洋子ちゃんが、なにか洋楽のようなものをうたっていて、専門的なことはわからないが、おそらくこういう曲は相当な歌唱力がなくては、うたえないのだろうけれど、しかし案の定、客席はみんなかなりシラけてしまっていて、この宴会ホールでは、演歌かものまね芸みたいなもの以外は、ほとんど盛りあがらないのだ。
 洋楽をうたい終えると、つぎに洋子ちゃんは藤圭子の『京都から博多まで』をうたいだした。これもかなり上手くて、思わず聴き入ってしまった。
 しかし最初が洋楽だったからか、演歌なのにイマイチ盛りあがらない。バイキングコーナーからもどってきた客の一人が、串カツみたいなものをもぐもぐ食べながら洋子ちゃんの目の前を通りすぎる。あれ? さっきのぽっちゃり無愛想ちゃんかな?
 洋子ちゃんの持ち分は二曲だけらしく、『京都から博多まで』をうたい終えると、お辞儀をして洋子ちゃんはさがっていった。
「上手いだろ」
「上手いですねぇ。色も白いし」
「あれ、うちの新人の社員だったんだけど、忘年会であの歌のうまさに気づいて、俺が歌手になれって、背中を押してやったんだよ」
「そうなんですか!」
「そのうち、こっち来るんじゃないか。さっき指示しておいたから」
 洋子ちゃんは、ホントにこのあとこちらの席にステージ衣装のままあらわれて、まあステージ衣装といっても、落ち着いた感じの普通の花柄のワンピースだったから、このまま街を歩いていても、まったく不自然ではないのだけれど、会長に、
「なんか食べろよ」
 と食券を手渡されて、またすぐバイキングコーナーに歩いていった洋子ちゃんは、もどってくると、
「緊張したぁ」
 とお盆を置きながら大きなため息をついていて、
「おまえ、酒飲めるようになったか?」
 と会長にきかれると洋子ちゃんは、ビールはまだ苦いけど、ピーチサワーならけっこう飲める、とこたえていた。
 洋子ちゃんは、この四月に二十歳になったばかりらしい。
 会長に紹介してもらったぼくは、いちおうきかれたので自分の職業を洋子ちゃんにしぶしぶ説明して、すると洋子ちゃんは、かなりおもしろがって、例のブロマイド占いについて、いろいろ質問してきたのだけれど、
「わたしの将来は、どうですか?」
 とブロマイドを行使していると説明したのに、手のひらをみせてきた洋子ちゃんに、
「これは男で苦労するぞぉ」
 とエビフライをむしゃむしゃ食べながら、ふざけていってみると、洋子ちゃんは、
「やっぱりィ」
 と若い声でわらっていて、なんでも洋子ちゃんは、会長にも、三月まで在籍していた会社の送別会の席で、おなじことをいわれたらしい。
 会長の場合は、手相だとかそういうことではなく、一種の勘で、そのようにおっしゃったみたいだけれどね。
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