第11話

文字数 4,061文字


      その十一

 加代さんの車は空いていたので、モダン商店街には、それで行くことにした。
 この車は兄貴が加代さんにあてがってあるのだが、もともとはぼくの車で、つまりぼくの車を兄貴が買い取り、そして兄貴が、愛人さんにそれを貸しているわけだ。
 この戦術は、大成功を収めたといえる。
 ぼくはそもそも車にほとんど興味がないのだが、この車を買った当時は、たまたま自家用車を必要とする仕事をしていて、最初は家族のやつをてきとうに借りてやっていたのだけれども、あんがい勤まりそうだということで、まあ渋々ローンを組んだ。
 しかし、その後まもなくこの会社の係長といわゆる「みどり姉妹問題」で大口論となってしまって、けっきょく、予定よりもずっと早く辞表を出すこととあいなったわけなのだが、ここで面倒になってきたのは、とうぜんながら渋々組んだ車のローンで、ぼくは自転車でかなりのところまで行けちゃうから、こんないちいちお金のかかるものは、さっさと手放してしまいたかったのである。とはいえ、たまには使いたい。
 そのころ加代さんはこちらに越してきたばかりで、加代さんも車にまったく興味がないので、やはり自家用車は所有していなかったのだけれど、それを不憫に思っていた兄貴は、どうにかして加代さんに車をあたえようと作戦を練っていて、というのは、うちの実家の車の保険関係は、義姉さんの親戚がそういう仕事をしている関係で、すべて義姉さんが取り仕切っているからなのである。
「あいつに車のこときかれたら、なんていえばいいかな……」
 渋々ローンで買ったぼくの車の保険関係も、やはり義姉さん方面にまかせていた。
「『たまき、ローンきつくなってきたようだから、オレが買い取ってやる。でもまったく車がないのも、あいつの仕事の選択肢も減っちゃうだろうから、その車は貸してやることにする』って、義姉さんにいえばいいじゃん」
「ふむふむ。それで?」
「それで加代さんに貸してあげればいいんだよ。名義を兄さんのにしておけば、別れたときでも取られないじゃん」
「ああ、そうだな」
「マンションの駐車場に停めておけば、義姉さんには『たまきに貸してる』って、いえるし。万が一加代さんが乗っているところを義姉さんに見られたって、おれが、おれって、こっちな、環な、おれが加代さんに貸したって、いえばいいんだよ。そのときは、ちゃんというよ」
「おお頼む。ローン残り、どれくらいなんだ?」
「だから六十万ちょっとって、さっきいったじゃん」
「なんだ、そんなもんか。じゃあオレが買い取ってやるよ。おまえもすこしは乗っていいぞ。加代優先だけどな」
 モダン商店街までの道すがら、ぼくは先のような事情を、かなりかいつまんでいずみクンにおしえていたのだけれど、愛人さんだとか頭金はおふくろに出してもらったことだとかは完全に隠蔽していたので、結果的にそのぶんどうしても「みどり姉妹問題」の比重が多くなっていたのだった。
「係長の野郎、五月みどりと小松みどりは本当の姉妹じゃなくて、しかも、しかもだよ、小松みどりのほうが年上みたいなこと、自信ありげにいってたんだぜ!」
「本当の姉妹なんですか?」
「本当の姉妹なんだ。で、五月みどりのほうが、お姉ちゃんなんだよ。それもだいぶ年上の姉になるんだ」
 いずみクンからの、
「でも、なんでじつの姉妹なのに、両方とも名前がみどりさんなんですか?」
 という素朴な疑問には、このたびもわたくし舟倉環はまったくこたえられなくて、係長もだからあのときはこのポイントをかなり集中的に攻撃してきたわけなのだが、いわゆる「みどり問題」はネットなんかで調べても真の答えは得られるわけではなく、生きていくなかで真実を見出さないと意味がないとぼくは思っていて、つまり五月みどりさんのほうがどうやら芸名らしいのだけれども、そんなことでは、この問題を解決したことにはならないのだ、それこそ卑怯な回答なのだ。だからこういう感じのニュアンスを直感でわからない奴にあたまを下げるくらいなら辞めたほうがマシだと思って、啖呵を切ってやったのだ。それにしても、なんでじつの姉妹なのに両方ともお名前がみどりなんだ、なぜなんだなぜなんだぁ。
 ショッピングモールの駐車場に車を停めてモダン商店街まで歩いていくあいだも、ぼくはずっとこの問題の答えを探していて、だから〈クリーニング小島〉の店主が腰を抜かしていることも最初はまったく気づいていなかったのだけれど、
「ふふふ、舟倉さん」
 とふるえながらぼくの腕にしがみついてきたいずみクンの視線の先には、いずみクンいわく、
「ククク、クリーニング強盗……」
 と思われる方がショットガンを肩にかつぎながら、おそらくご自身のお召し物をカウンターに出していて、まあそれを見てぼくも一瞬大将なみに飛び上がりそうにはなったけれども、この風貌はたしかに例の元気くんだった。
「失礼ですが、元気くん、あるいは、義理人情に厚い、さすらいの殺し屋さんですか?」
「はい。自分はそうッス。旦那さんは失礼ですが、どちらの貸元さんで?」
 ぼくは自己紹介するさいに、元気くんの叔父さん(対立候補に黒い交際疑惑をつつかれている参議院議員)の知り合いみたいなことを、それとなく匂わせておいた。
「そうですか。叔父がいつもお世話になってます。あのう貸元さん、いまオレ、弱っちゃってるんですよ。このジャケットだいぶ汚れたんで、クリーニングに出しにきたら、ほら、こんなふうに、店のオヤッさん、腰ぬかしちまって……」
 誰か呼ぼうと思って、奥の部屋をのぞいてみると、お母ちゃんのほうも衣類の山に突っ伏していた。
「お母さん、だいじょうぶですか?」
「あら、舟倉さんとこのお孫さん」
「立てますか?」
「さっきの強盗どうしました?」
「まだ、ここにいます」
 お母ちゃんはふたたび衣類の山に突っ伏した。どうも死んだふりをしているらしい。
 このあと時間をかけて何度も何度も元気くんのことを説明すると、三十分後くらいにようやく店主もお母ちゃんも元気くんはクリーニング強盗の方ではないと納得してくれたのだが(すぐ事情を察したいずみクンが、ぼくの飛躍した説明の補足をしてくれた)、ところで、これに感謝した元気くんは、ぼくといずみクンにお昼をごちそうすると執拗に誘ってくれて、
「ぜひ恩返しさせてください。自分は義理人情に厚い男なんスよ。あと最近取り入れたんですけど、自分は不器用ッス」
「じゃあ、こういってくださるんだから、ごちそうになろうか、いずみクン」
「はい」
 とまあそんなわけで、こんな格好の人と、お昼を食べることになってしまった。
 いずみクンの案により、ショットガンは新聞紙に包まれることになっていたので、こちらのほうは畑で採れた大根みたいな趣になって逆に殺伐感を中和してくれたのだが、ところで、元気くんの懐に負担をかけないようにとぼくのほうから指定したショッピングモール内にある〈がぶりえるバーガー〉というファストフード店では、最近元気くんは不器用な人間に成りきって徹底的な役作りをしていたために、いつまでたってもチーズバーガーセットを注文できないで、
「お飲み物は何にいたしますか?」
「自分、よくわかんないッス」
「コーラやスプライトなどが、ございますが」
「なんつうか、自分、不器用なんで……」
 というようなやり取りを、延々とくり返していることになってしまっていた。
「元気くん、とりあえず、ここはおれがやっとくよ」
「すいません。自分が不器用なばっかりに……」
 元気くんは「自分は不器用だ」という理由で、スプライトもストローとフタを取っ払って、ゴクゴク飲んでいた。そしておなじ理由により、チーズバーガーのような洒落たものは、どう食べたらいいか自分わからないッス、といって、となりの〈たこ焼きエッちゃん〉から、たこ焼きをテイクアウトして、こっちで食べていた。なかなかたいしたものだった。
 ぼくがそういう一種の役者魂みたいなものを褒めると、元気くんはまたぞろあらたまって、さっきのクリーニング屋での助け船とそれからいまの注文のことにたいして感謝の意を慇懃に述べてきたのだが、こちらは、
「いつでもそういう特性の人間として、過ごしていらっしゃるんですか?」
 といずみクンもきいていたように、現在徹底的に成りきっている例の役どころから放出されているようで、
「あっ! 待てよ」
 ということは、あんがい“しめしめ”なのかもしれない。
 確認のためにポケットから小さい手帳を取り出すと、れい子先生から要請された裏奉仕のひとつは、
「元気くんを叔父さんの選挙事務所に立ち寄らせないこと。すくなくとも殺し屋の格好では」
 ということにやはりなっていた。
「貸元さん、このご恩は一生わすれないッス」
「元気くん。ぼくに恩を感じてますか?」
「もちろんッス」
「だったら、ひとつお願いがあるんです」
「なんスか?」
「叔父さんの選挙事務所に立ち寄らないでほしいんですよ」
「貸元、それは無理です」
「どうして?」
「どうしてって……自分、不器用ッスから」
「じゃあさ、その殺し屋ふうの格好は、よしてくれないかな」
「それも無理ッス」
「ど、どうして?」
「今回の役は『殺し屋』というのが、メインなんスよ。オレはさすらいながら、最後に恩人の仇を打つンス。殺し屋じゃなかったら、ただ、ふらふらしてる義理堅い奴になっちまうッスよ」
「元気さん、不器用が抜けてますよ」
「あっ、そうスね。ただふらふらしてる、義理人情に厚くて、不器用な男になっちまいますよ」
「まさか叔父さんの選挙戦、応援しない……よね?」
「もちろん応援するッス。義理人情に厚い男ッスから」
「でもまさか、そのときショットガンは持参しない……よね?」
「するッス」
「ななな、なんで?」
「自分、不器用ッスから。持ったり持たなかったり、そんなむずかしいこと、できないッス」
「やっぱりプロはすごいですね、舟倉さん」
 ぼくは途方に暮れながら、チーズバーガーを頬張った。
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