第17話

文字数 4,016文字

      その十七

 いずみクンは、キティーちゃんの着ぐるみがないことを不安視していたけれど、そもそも社長にはいずみクンの存在を知られていないわけだから、そのまま普通の客として振る舞っていれば問題なかった。むしろ、キティーのほうがよっぽどあやしい。
「このまえの社長と同一人物だったら、メール入れてよ」
「はい」
 いずみクンを姉の嫁ぎ先の旅館前で降ろしたとき、ぼくはあたかもかわいい新米助手を元気づけているかのように彼女の白いお手手をしたたかに握ったのだが、着ぐるみがないことになぜかまだこだわっていたいずみクンは、したたかに吟味されているにもかかわらず、このお手手を逆に強く握り返してきて、いずみクンは、
「ごめんなさい。いつかは丸出し状態で、拭けるようになります」
 と先ほどのおしぼりを、まだ課題の一環だと思い込んでいるのだった。
 八神さんは運転席と助手席にカバー代わりのトレーナーをかぶせていて、そういえば、ぼくも二十代のころ、古くなったTシャツをこんなふうにカバー代わりにして元妻と大口論になったことがあったけれど、黒い生地の胸のあたりに赤っぽい色で「サンタモニカ」とプリントされてあるこのトレーナーは、たしか春先にもよくお召しになっていて、どうも八神さんは、おなじデザインのトレーナーを何枚も持っているらしい。
 さおりさんちに向かう車内で八神さんにそのことをたずねてみると、やはりこのトレーナーは代替わりしながら長年愛用されているとのことで、
「また秋に新しいのを注文するから、舟倉さんのも頼んでおいてあげるわよ」
 と八神さんはぼくの服のサイズもきいてきたのだが、スポーツクラブではたらいている八神さんはウォームアップのさいにもやはりこちらのトレーナーをよく着ているのだそうで、そんなに愛用しまくっているのなら、きっとなにかしら、すぐれたところがあるのだろう。
「何枚注文する?」
「じゃあ、六枚くらい買っておこうかな」
 さおりさんはアパートの一階に住んでいて、チャイムを押すと、すぐぼくたちを、
「どうぞ。せまいですけど」
 となかに入れてくれたのだが、この日のさおりさんは、明日は他界されたご主人さんの命日だからか、お部屋着も黒一色で統一されていて、さおりさんが台所にさがったときに八神さんに耳打ちしてみると、なんでも一年中、さおりさんは黒一色の身なりでいるとのことだった。
「冷たいの、どうぞ」
 さおりさんは、ぼくたちにカルピスを出してくれた。ひとくち飲んで、
「おいしい」
 とぼくがコップの氷をカラカラさせながらいうと、
「主人もたいへん好きだったんです。カルピス」
 とすぐさおりさんは、ご主人の思い出を語りはじめた。
「まだ交際していたころ、主人は盲腸の手術をしたのですが、術後、病院が出してくれたカルピスをたいへんよろこんでおりまして、ですから、わたくしは水筒にカルピスをつくって病室に持って行ってあげたんです。そうしましたら……」
「ご主人さんは、カルピスをグビリとやったのちに、プロポーズしてきたと」
「はい。ですから、わたくしにとって、カルピスというのは幸せの象徴なんです」
「じゃあ入籍した日なんかも、お酒じゃなくて、カルピスで?」
「いえ、それが、じつを申しますと、主人とは籍を入れる直前に……」
「えっ、亡くなられてしまったんですか?」
「はい。ですが主人は、それまでの一年間、週に一度はこのアパートに来ていましたから、わたくしはそれを、新婚期間として、カウントしているのです」
 さおりさんは、亡くなられる三日前に撮ったというご主人の写真をぼくたちにみせてくれたが、このご主人は長髪のカツラをかぶってはいたけれども、どうみてもあの火野きよしだった。
 火野きよしは八〇年代のなかばごろに地元のテレビ局が連日取り上げていた伝説のプレイボーイである。
 火野きよしはこれまでに百人以上女性を騙してきたといわれていて、その手口はおもに探険の資金にかこつけて女性からカネを借りることだったみたいだが、当時大ブームだった『沼口探険隊がゆく』のプロデューサーだと女性たちに偽っていた火野きよしは、じっさいあの番組のエキストラのようなことをしていたらしくて、だから信憑性はいまひとつなのだけれども、ネオペキン原人のうしろ姿はこの火野きよしだった、という話もあるにはあるのだ。
 ご主人が他界された年は、
「一九九二年です」
 とのことだったので、もうそのころには火野きよしはそれまでの活動を悔い改めて出家しているはずなのだが、このようにさおりさんから百万円ほど借りたまま極秘に宇宙人と司法取り引きしてかつ殉教していたということは、やはり出家は建前上のもので、水面下では地道にプレイボーイ活動をつづけていたのだろう。
 さおりさんはいまだに火野きよしのことを、お国のために死んで行った裏国防相の副将軍だと信じている。もっと年を取っているのなら、このままそっとしておいてあげてもいいかもしれないけれど、さおりさんはまだ四十二三なのだ。これからもずっと、実質結婚詐欺師の幻影にすがりついているなんて、あまりにも気の毒に思える。
 さおりさんはこのあともご主人にいかに自分が愛されていたかを一つひとつ立証していて、それを受けたぼくたちは、その一つひとつにたいし、すべて遠回しに否定するような返答をしていたのだが、
「なんで出張する直前に財布落として、さおりさんにお金借りにくるんですか? どこでもお金おろせるでしょ」
 と否定する強度を上げても、
「主人の任務はつねに極秘のものでしたので、足跡を残したくなかったんでしょう」
 とさおりさんはビクともしないし、
「クリスマスプレゼントとして、二万円分のお食事券をさおりちゃんはきよしくんからもらいました。つぎの週、ふたりでお食事に行って、きよしくんはフカヒレとかをたらふく食べて、ウイスキーのボトルもそこにキープして、支払いはお食事券を持っているさおりちゃんにさせました。代金はボトルキープも合わせると三万四千円です。しかもクリスマスプレゼントと称して、お食事券をプレゼントしてくれた当日も、きよしくんは財布を落として、さおりちゃんに八万円ほど借りています。さて、さおりちゃんはいくら損をしたでしょう?」
 と問題型式にして現実をあぶり出そうとしても、
「さおりちゃんが二万ちょっと得しています。クリスマスの“イヴイヴ”の日にきよしくんに、やさしくしてもらったからです」
「イヴの日は?」
「かれは極秘の任務に出てました」
「それ、ほかの女のところに行ってたのよ、さおりさん」
 とぼくたちには解けない数式で答えを見出すので、やはりきよしの幻影を追い払うことはできなかったのだった。
「主人はわたくしのことを、ほんとうに愛していました。天国に行ってからも、それは変わりません」
 というさおりさんにたいし、こちらがまたぞろ否定的な見解を示すと、
「最近は連日のように、わたくしを求めて天国から降りてきます。証明もできます」
 とさおりさんは強く出てきた。
 それでいよいよさおりさんは、ぼくたちに自分が天国のご主人にどれほど激しく求められているかを証明することにあいなったのだが、ご主人さんに降りてきてもらうには、そうはいっても、それなりの手順を踏まなくてはならないらしくて、そんなわけで、さおりさんは寝室のほうに、ぼくたちをまず移動させたのだった。
 寝室にはダブルベッドと三面鏡とタンスがあって、ちなみに最初洋服掛けだと思ったタンスの横にあったやつはぶら下がり健康器だったのだが、そのぶら下がり健康器に黒のタンクトップに着替えてぶら下がったさおりさんは、そのまま八神さんが考案した“がに股体操”の肩を出し入れする動きをおこなっていて、で、その無理な動きによって押されることになったボタンに反応して、先のところに白い手袋をかぶせてある謎のレバーがミシミシ音を立てはじめた。
 先のところに白い手袋をかぶせてあるレバーは、ぶら下がっているさおりさんの下腹部付近をリズミカルに刺激していて、その下腹部付近というところはじつをいうと、ここにはそうやすやすと記せない例のところだったのだけれど、
「ねえ八神さん“宇宙的な部分”という表現で、良いでしょうか?」
「いいんじゃない。でもアンドロメダ星雲とか、そういうのは注意したほうがいいわよ。なんとなく卑猥だから」
 ということで落ち着いたその宇宙的な部分にさらなる刺激を受けたさおりさんは、
「こんなところを、こんな大胆に刺激してくるのは、主人以外ありません。とくに、この黒のタンクトップを着ているときは、主人はより興奮しているように思います」
 と刺激を受けたままぼくたちに訴えていて、ぼくは最初、さおりさんのその勇姿に感動(?)というか、ご主人と同様に興奮していたのだけれど、ポケットに感じたいずみクンからのメールの着信の振動により、
「むむ! このぶら下がり健康器は、極秘に回収しなくてはならない、例の『長寿マシーン』だ」
 と気がつくことになった。
 ぼくは八神さんにことわったのちに、いったん寝室を出た。
「もしもし、いずみクン。いま電話だいじょうぶかい?」
「はい」
「やっぱり、あの社長だったんだね」
「まちがいありません」
「じゃあさ、その社長にね、例の長寿マシーンはみつかりましたって、伝えといてくれないかな。“長寿マシーン”ね。これ、はったりじゃないからね。本当だから」
「わかりました。というか、もうわたしがさっき、そういうふうに“はったり”でいっちゃいましたけど」
「えっ、いずみクンが、もうはったりを」
「はい。栗塚さんにアドバイスされて、それでおもいきって、そういっちゃったんです。いけなかったかしら?」
「いけなかないけど……あっ、さおりさんのほうも、また激しくイッちゃったみたいだ――」


(第一部 了)
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