第22話

文字数 3,601文字


      その二十二

 剥いていないナシも、
「冷えてないけど」
 と三つほどもらったぼくは、軽トラに乗り込むまえに念のために洋子ちゃんにメールを送ってみたのだが、昨夜も、
「あしたは一日お休みなんで」
 といっていた洋子ちゃんはやはり「家で待ってます」というメールをすぐ送り返してきてくれて、なんだか洋子ちゃんは、昨夜よりもさらに過剰にこのギッタンバッコンくんに期待をかけているみたいだった。
 洋子ちゃんの実家に向かう途中、ぼくはパンダの着ぐるみに遭遇していて、このパンダたちは、セルフのガソリンスタンドのいわゆる客寄せみたいな感じで、通りを走る車やバイクになかばやけ気味に手を振っていたのだけれど、軽トラの燃料も半分以下になっていたし、トイレにも行きたかったし、それにもしかしたらノン子と小絵ちゃんかもしれなかったのでスタンドに入っていくと、涙を拭うしぐさで感謝の気持ちを表していたパンダのひとりがこちらに近寄ってきて、
「トイレお借りします」
「はい。どうぞ」
 とこたえたパンダの声は、しかしあきらかに男性のそれだった。
 トイレからもどってくると、パンダは一枚のチラシを持って待っていて、ぼくは洗面所のわきにあったポンプ式の除菌ジェルを手に激しくなじませている最中だったので、なかなかそのチラシを受け取れなかったのだが、軽トラのタンクが満タンになるまでのあいだ時間つぶしにパンダの宣伝をきいていると、この先の廃校になった小学校の敷地で、あとまだ二日間、青空古書市が開催されているのだそうで、
「寄ってみようかな」
 とぼくがてきとうなことをつぶやいてみると、なにげに白い部分が薄汚れていたきっと苦労人のパンダは、
「お友だちにもどうぞ」
 ともう一枚チラシを寄越してきたのだった。なんでもこのチラシ一枚にたいし、一回クジが引けるらしい。
 洋子ちゃんの家は近所にMの森教習所があったので、ナビがなくても、なんとかみつけることができた。
 洋子ちゃんのお父さんは毎日クルマで通勤しているので軽トラを停めるスペースはじゅうぶんにあって、何度かハンドルを切り直しつつバックでそのがら空きのスペースに入っていくと、音で気づいた洋子ちゃんは玄関から出てきて、とんちんかんな方向を見ながら手だけでオーライオーライの動作をしていたのだけれど、エンジンを切ったのちに、
「やあ」
 と、とりあえず洋子ちゃんに手をあげると、洋子ちゃんはなによりも先に、いままで見ていたとんちんかんな方向を、
「ちょっと、あれ見てください」
 と指でしめしてきて、そういえばこのあいだ、加代さんの店ではたらいているかずみちゃんも見たとかいっていたが、とにかく丸い円盤みたいな物体が、またぞろ上空をうろうろしているみたいなのだ。
「またぞろって、以前にもうろうろしてたことあるんですか? ああいうUFOみたいなの」
「この界隈では見たっていう人、けっこういるんだよ。ぼくの親父も、一時期騒いでたんだ」
「わたしも三回くらい見てるんですよ。お母さんは、気球じゃないのって、いうんですけど」
 ギッタンバッコンくんを置くのは一階の仏壇のある部屋を予定しているとのことで、こちらは「二階だったら面倒だな」とちょっと思っていたので内心ホッとしたのだが、洋子ちゃんにも手伝ってもらって無事に譲渡したギッタンバッコンくんを置く仏壇のある八畳間には、もうすでに小さなダンベルや近年テレビショッピング等でみかける足踏み式の運動器具などが場所を取っていて、ぼくが、
「うん。ふつうのやつだな」
 とぶら下がり健康器にレバーが付いていないか念のためチェックしていると、
「どれもなかなか効果がなくて」
 と洋子ちゃんはお茶とお茶請けを出してくれながら、大げさにため息をつくのだった。
 お茶請けのお盆には落花生が入っていて、ぼくが何個か手に取ると、
「あっ、ごめんなさい。いまティッシュ持ってきます」
 と洋子ちゃんは立ち上がった。
「あっ、いいよ、洋子ちゃん」
 ぼくはポケットにてきとうに折り畳んで突っ込んでおいたさっきのチラシをテーブルの上にひろげて、そこに落花生の殻や皮をボロボロ落とし、そしてチラシのもう一枚を洋子ちゃんに手渡してあげた。
「すみません」
 洋子ちゃんも落花生の殻や皮をぼくとおなじようにチラシの上に落としていって、なんでも洋子ちゃんのお父さんは落花生が大好物で、わざわざどこかから取り寄せているとのことだったが、
「たしかにおいしいね。洋子ちゃんも好きなの?」
 とぼくがもう四つ五つ落花生を取ると、洋子ちゃんはそれには返事をしないし、目も合わせようとしなくて、だからぼくは高級落花生をハイペースで食べすぎちゃったかなとすばやく察知して、まだ割っていない落花生をすみやかにお茶請けの盆にもどしたのちに、ふたたび洋子ちゃんの顔色をうかがってみたのである。
「あっ、そうだ。ナシあったんだ」
 ぼくはそれでもずっと下を向いていた洋子ちゃんのために、軽トラからナシを持ってくることにした。バリバリ景気よく食べすぎたかな……。
「はい、ナシ」
 義姉にもらったナシの入ったレジ袋をわたすと、やっと洋子ちゃんはこちらを向いてくれて、ちなみに洋子ちゃんはナシの礼をいったのちにすぐ青空古書市のことを話題に出してきたので、いままで下を向いていたのは殻受け代わりのスタンドでもらったチラシを熟読していたためだったのだろうが、奥から古い新聞を持ってきて、ふたり分の殻と皮をそちらに移していた葉子ちゃんは、
「これからこの青空市に行きましょうよ」
 とさらに提案もしてきて、どうも洋子ちゃんは、お父さんがかつて禁煙するための教本みたいなものを読んで、じっさいにタバコをやめることに成功したこともあって、自分自身もいわゆる健康本を探しているようなのだ。
 洋子ちゃんのお父さんは教本を読んでダイエットにも成功したらしく、さらにお父さんの同僚には教本を読んでアレルギー体質を改善した人もいるとのことだったが、禁煙本もダイエット本も、そしてたぶんアレルギー改善の本も、すべて「スマイリイ・オハラ」という伝説の科学者が書いたものなのだそうで、しかしそのスマイリイ博士の著作は、現在はすべて絶版になっているという。
「たまにブックオフとかで探してるんですけど、ぜんぜんないんです。ネットで検索しても、なんかクネクネしてる指揮者しか出てこないし」
「その苦労人のパンダは掘り出し物もきっとみつかるなんていってたからね……じゃあ寄ってみようか」
 もう十一時を過ぎていたので古書市には昼食を取ってから行くことにしたのだが、洋子ちゃんちの通りのちょっと手前で見かけた中華の店を、
「知ってるかい?」
 ときいてみると、洋子ちゃんはあそこはあまり評判よくないし、チャーハンでよかったらわたしがつくってあげる、といってくれたので、ぼくはそのお言葉に、ふたたびさっきのスタンドでの除菌ジェル擦り込みのときのようにはげしく揉み手をしながらあまえて、お昼をここでごちそうになることにした。
 二十歳の女の子がつくったチャーハンをいただくというのはおもいのほか緊張するもので、それでなのか、ぼくは洋子ちゃんに指摘されるまで、いつも以上に小指を立てながらレンゲを持ってしまってもいたのだけれど、お味のほうは、こちらも緊張していてじつはよくわからなかったが、まあ素朴な味わいでなかなかたいしたもので、これには洋子ちゃん自身も、
「うん、上手にできてる。おいしい」
 と大いに賛同していたのであった。
 賛同といえば、あれは九月のはじめだったか、洋子ちゃんの元上役のあの会長といつものサウナでばったりお会いしたさい、
「ぼくは吉永小百合よりも芦川いづみのほうが、ずっと好きですよ。とくにショートカットのときの芦川いづみ」
 と、いまどき中学生でも言わないような女優の好き嫌い話を振ると、
「たしかに。芦川いづみは裕次郎と出てた『あいつとわたし』のとき、スゲーかわいかったな」
 とぼくの意見に全面的に賛同してくれていたのだけれど、洋子ちゃんにきいてみると、なんでも会長は、ここのところものすごく忙しくて、メールの返事すらろくに送ってこないのだそうで、
「創立十周年か二十周年か、わすれちゃったんですけど、このあいだ、あの会社のパーティーがあったんです。わたし、たまたま仕事が入ってて、でも二次会には間に合ったんですね。だけどそのときも、いますぐ探険に行けるような身なりの人たちと、ずっと商談していたんですよ」
「二次会でも仕事か……よっぽど忙しいのかな」
「ちがう国での栽培もかんがえてるんですかね。ゼツリン青汁のなんとかエキスっていうのは、いちおう南北ヨーロッパの小国から採ってきてることになってるんです」
 洋子ちゃんは、いつかそのカカーニエンという小国でコンサートを開きたいといっていた。
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