第42話

文字数 3,034文字


      その四十二

 竹谷真紀の部屋に到着したのちに黒電話で元の世界への帰り方を問い合わせてみると、
「うとうと眠ってくれれば、いちばん簡単なんだ。わたしのほうでやりくりするのは」
 と珈琲牛乳伯爵はうとうとしやすいエステサロンやマッサージ院などを紹介してくれたのだが、真紀ちゃんといずみクンがエステサロンに、そして火野きよしが、
「あれをやってもらうと、すぐグーグー寝れますよ」
 とマッサージ院に行くことになったにもかかわらずぼく一人だけコインランドリーを洗濯物もないのに選択したのは、さっき通りすがりのクリーチたちが、
「いまあそこの〈泡道楽〉に、高松和貴子が居すわってるらしいぜ」
「自宅の洗濯機、壊れたのかな?」
「なんでも今度主演するドラマの役作りのためらしいよ」
「そういえばあの女優、まえも動物ショップかどこかに居すわってたことあったよな。役作りのために」
 とコインランドリーの看板を指さしながらしゃべっていたのを、たまたま聞いていたからで、和貴子さまは役作りのための勉強といっても、まさかご自身の下着等をも持参してくださったりまではしておられないだろうけれど、それでも〈泡道楽〉というところはもしかしたらコインランドリーではなく、真紀ちゃんが勤める予定だった店を指しているのかもしれなかったので、ぼくは真紀ちゃんやいずみクンに、
「うるさくて、うとうとしにくいんじゃない?」
 というような助言をされても、いっさい自分の進むべき道を変えなかったのである。
 先ほどクリーチたちが指さしていた看板であらためて確認してみると〈泡道楽〉はけっきょくただのコインランドリーで、このあたりの不満は、エステに行くさいもミス泡姫うんぬんと前向きな発言をしていた竹谷真紀のその向上心が冷めないうちにどうにか陳情して折り合いをつけることができれば、おおむね解消されるのであろうが、しかしじっさいはというと、コインランドリーには和貴子さまはおろか人当たりの良さそうなクリーチすら一人もいなかったわけだから丸椅子にすわって三段カラーボックスをてきとうに物色していたぼくはかなりたいくつしていて、だから店の自動ドアが開いたときには、けっこう期待して、入ってきた客を思わず立ち上がって見てしまったりもしていたのだった。けっきょくその客は、四十前後のぱっとしない男だったけれどね。
 和貴子さまは食事を取りに出ただけかもしれなかったし、三段カラーボックスに「戦隊ヒーロー大全集」が順列おかまいなしに入っているのも発見していたので、ぼくはもうしばらくここで待つことにした。
 全集によると、九七年くらいから戦隊シリーズは放送時間が変更されたらしく、ぼくはいまごろになって、
「いまは日曜の朝にやってるんだぁ」
 とおどろいてしまったのだが、とにかくぼくにとっての戦隊ヒーローは土曜の夕方の雰囲気と密接に結びついていて、だからバトルフィーバーもデンジマンもサンバルカンも、土曜の黄昏時や、あばれはっちゃくや、はっちゃくの親父(東野英心)らと結びついている。というか東野英心(はっちゃくの親父)とほぼイコールになっている。
 しかし土曜の夕方だけは祖父の部屋のテレビを観ることはほとんどできなかった。
 それは祖父の後妻になるかもしれないといわれていて、けっきょく最後まで後妻には納まらなかった人が、かならず土曜の午後に遊びに来ていたからなのだが、居間のほうのテレビを兄貴たちに占領されるケースが多かった当時、祖父のテレビが先のような事情で使えない場合は、親父が営んでいた商売の事務所というか休憩室みたいなところにあった14型のテレビで観たい番組をたのしむことになっていて、だから土曜の夕方に放送されていた『バトルフィーバーJ』や『デンジマン』は、たいてい職人たちでごった返していたその小屋でぼくは観ていたのだった。
 仕事が一段落して職人たちに一杯飲ませるさいには、テレビをひきつづき観ていたかったこともあって、ぼくもそこでいっしょに晩御飯も食べていたのだが、そういう習慣がそのあと何年かつづいて小学六年くらいになって小屋から漏れる明かりをたよりに庭でバットをブンブン振っていたときに、庭から足袋をはいた職人たちが飲んだり食べたりわらったりしている姿を見て、なんだかこんな習慣が永遠につづいていくようで、カッコ悪いような、うんざりするような気持ちにふとなったことがあって、しかし、その永遠につづくように思えた、いいかげんうんざりしていた習慣も、けっきょくはどこかに消えてしまったし、なにがたのしかったのか、毎日バットばかり振っていた自分自身も、いつのまにか、どこか遠くへ行ってしまった。
 いつごろからだろうか、風呂敷に包んだ黒電話が鳴っていた。
「もしもし」
「たまき、なにやってんだ。みんなもう、こっちにもどってきてるぞ」
「すみません。ちょっと本読んでて」
「早くもどってこい」
「はい。これからどうにかして、うとうとします」
「おまえの場合は眠らなくても大丈夫だよ。目の奥に宇宙的な部分を思い浮かべるだけで道はつながる。なんといっても本物のピーチパイダーだからな」
「そうなんですか」
「いまからもよりの寿司屋をおしえるよ。そのほうがイメージしやすいだろ。そうだ〈西尋〉でも、ハマグリの刺し身やってるんだっけ」
「でもそれだったら、あの料亭に行くまでもないですよ。こんなときのことを考えて、こっちにくるまえに露天風呂でみっちり鑑賞してますから」
「偉い! やっぱりおまえは真のヒーローだ! これからも宇宙の平和のためにがんばってくれよ、たのんだぞピーチパイダー、ピーチパイダー! ピーチパイダー!」
「声が大きいですよ! ちかくにいずみクンとかいるんでしょ」
 珈琲牛乳伯爵と電話を替わったいずみクンは、
「だから前座りのときも後ろ座りのときも宇宙的な部分をあんなに熟視してたんですね。でも部屋にもどった途端、わたしにも泡姫指導とかを精力的にしてきたのは、どうしてなんですか? 珈琲牛乳さんにきいたら、ピロシキ空間入場と泡姫指導との関連性はないって、いってますけど」
 とぼくの準備のよさに感銘を受けつつも、きちんとした説明を強い口調で求めていた。これは全力でディフェンスしなければ。
「あのねそれはね、ビンビン怪獣対策なの。あいつビンビンのときがいちばん強いからね。ビンビンのときは、はっきりいってビーフストロガノフ教授とおなじくらい強いから。だからね、あいつのビンビンをビンビンじゃないようにしなくちゃならないじゃん。じゃん。それでね、その具体的な方法を知っておけばだよ、まあ備えあれば憂いなしってことでね。じゃん」
「食べたいハマグリベスト50って、なんですか? わたしのハマグリが暫定三位になってますけど」
「いずみクンそれはね、休肝日で眠れなかったからね、羊を数えていたら逆に目が冴えてきちゃったからね、だからね、ね、仕方がないからね、ね、ノートに思いつくままに書いただけなの……ノートのページ破くのわすれちゃったなぁ……うっかりした」
「ピーチパイエキスは関係ないのに、どうして執拗に吟味してきたんですか? 磁場に適応するためということだったから、わたし、最後のあの体勢でも注入させてあげたんですよ」
 とりあえずぼくは料亭にもどって、ハマグリの刺し身で一杯やることにする。
「もうしばらく、こっちにいようかな……」


    (第二部 了)
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