第8話

文字数 3,276文字


      その八

 いつだったか、大将は、
「会いたいと思ってる人とは会えるの。ボク、たまきに会いたいと思ってたの。そしたら、おまえ来た」
 とおもいのほか、高くジャンプしていたけれど、ぼくはときどき大旦那に会いたいなと、たしかに思っていたのだから、この再会はつまり、そういうことなのかもしれない。
 大旦那とはサウナで会ったわけではない。宴会ホールのバイキングコーナーで、ばったりお会いできたのである。
「旦那さん!」
「おー」
 この晩のぼくは滝湯などの苦手部門のいくつかを行ったり来たりしていて、だから最初はそれで大旦那に気づかなかったのかな、と思っていたのだけれど、宴会ホールの長テーブルで飲み出したときに、まずそのあたりをきいてみると、きょうの大旦那は、お昼ごろから、もうここに来ていらっしゃるとのことで、
「ジムでトレーニングやったあと、仮眠室で休んでたんだ」
 とまあそういうことなら、見かけないのも当たり前だった。
「あのカプセルのやつはいいな。よく眠れる」
「狭くないですか?」
「おれが寝たのはシルバーカプセルのほうだから」
「シルバーのやつは広々としていて、よさそうですよね」
「あれは合格だ。だけど、ここはダメだな」
「宴会ホールですか?」
「まず、あのバイキングっていうのが、よくない。歌謡ショーも盛り上がってないな」
「河合奈保子が、この宴会ホールのショーに出るなんてうわさも、一時期あったんですけどね」
「出てないだろ?」
「はい。でも河合奈保子ちゃんなみに素直にお返事する新人歌手は、ステージにあがったみたいです」
 大旦那はいま着ている浴衣も気に入らないようで、大旦那をみつけて、わざわざあいさつに来たどこかの紳士に、
「これムームーだっけ? ハワイのやつの。あれみたいだな」
 とバイキングコーナーより厳選してきたエビフライをむしゃむしゃ食べながら、いっていたけれど、ところでぼくのお目目がピカリと光ったのは、大旦那がこのエビフライの尻尾もバリバリ食べ、中ジョッキの生をグイーッと飲み干すと、こちらの紳士は、そのジョッキをすかさず頂戴して、
「まだビールですよね、会長」
 とバイキングコーナーのほうに早歩きで向かったからで、
「たしかに会長って呼んだな……」
 もしかしたらこの大旦那は、名実ともに真の大旦那なのかもしれない……まあそれはともかく、大旦那がさっき褒めていた“シルバーカプセル”というのは、六十歳以上の方が利用できる一種の仮眠室で、われわれがつかえる普通のカプセルルームより、おそらく三倍くらい広い。
 カプセル状の仮眠室は、会員証がないと普通のほうもシルバー用のほうもたしか使えなくて、だからこの会長は、すくなくとも六十は過ぎていることになるわけだが、顔立ちはともかく、からだつきは骨格が太く、張りがあり、しかもつやつや黒光りしていて、さらにあのサウナでの異常なスタミナや尻尾の噛み砕き様などは、とても還暦を過ぎているようには思えなかった。
 中ジョッキを持って、ふたたびこちらに来た紳士は、もう一度大旦那を「会長」と呼んでいたので、ぼくは先の印象を会長に(とうぜん揉み手をしつつ)、伝えたのだけれど、
「そうか。いくつにみえるかい?」
「五十三とかぐらい、あっ、四十、三十、二十、中学二年……」
 とよろこびそうな年齢を計りかねていると、
「それじゃあ、最年少だったスーちゃんより年下じゃねぇか! まあ『ワオ年下の男の子』がヒットしたときは、ホントに年下になりたかったけどな、あはは、あはは!」
 と会長は大物らしく豪快にわらっていて、しかしそれにしても、
「むむ、スーちゃん?」
 どうも会長は、先日の電リクのときもそういう雰囲気をかもしだしていたけれども、キャンディー隊におもいのほか精通している感じがする。
 キャンディー隊のお三方は、ランちゃんが昭和三十年生まれでミキちゃんとスーちゃんが三十一年生まれなのだが、なんにしてもあの可愛らしかったキャンディー隊もみんないい歳になっているわけで、ということは、若いとき会長がキャンディー隊のファンだったとしても、ぜんぜんおかしくない。なんとなく不思議だけれどね。
 会長にしてみれば、世代のちがうこの若輩が、
「ミキちゃんとスーちゃんは三十一年生まれですけど、ミキちゃんは一月生まれでスーちゃんは四月生まれですから、そうですね、たしかに会長のおっしゃるとおり、スーちゃんが最年少ですね」
 うんぬんとキャンディー隊のプロフィールをほとんど記憶していることが逆に不思議だったみたいで、さがっていく紳士に片手をあげていた会長は、
「しかし、なんでまた舟倉くんは――」
 とその経緯についてかなり興味をしめしてきたのだけれど、自分のビールのおかわりをするためにいったん席を立ったぼくは、バイキングコーナーへ行くまでに、これから語ることになるその経緯をどうするか、あれこれ検討していて、というのは、ここが会長に目をかけてもらうための勝負どころだと、“ビビビッ”ときたからなのである。
「よし、目をかけてもらうために、ついでにエビフライも好物にしちゃオ!」
 栗塚氏はかつて追記というかたちで、
「直感を優先させろ。サセレシア」
 というメッセージをわれわれに贈ってくれていて、そのことを肝に銘じているぼくは、バイキングコーナーで揚げ物類を物色していたぽっちゃり気味の女性に、だから検討中にもかかわらず、声をかけてみたのだけれど、
「もうエビフライなくなっちゃったのかな?」
「わかりません」
 と見た目とはうらはらにあんがい無愛想だったぽっちゃり気味の女性は、連れの男がサラダコーナーからちかづいてくると、その男に自分が飲むものを、
「グレープサワー。グレープフルーツじゃないよ。まちがえんなよ」
 と大きい声でたのんでいて、男が、
「うん」
 とトボトボ歩いていくと、仏頂面でほぼ全種類の揚げ物を均等に大皿に取っていた。
「あんなの嫁にもらったら、揚げ物ばっかり食べさせられるだろうな。また直感ハズレちゃったよ」
 運命の女性にたいする直感は、このようにまたぞろ大はずれだったが、キャンディー隊がらみの先の“ビビビッ”は当たっていた。エビフライも大当たりである。
 エビフライは、こののち見知らぬおばさまのおかげで見つけることができて、ちなみにエビフライはいなり寿司と炊き込みご飯のあいだに、どういうわけか移動していたのだけれど、テーブルにもどって、あえて尻尾からエビフライをバリバリ食べだすと、会長は子ども時代いかに洋食屋のエビフライが高級だったかをおもしろおかしく語ってくれて、語り終えたあとの会長は、たいへん満足している面持ちなのであった。つまり大当たり。しめしめ。
 キャンディー隊のほうは解散コンサートを観てビビビッときて、それ以来ずっとファンなんです、ということにしておいたのだが、コンサート当日のぼくの年齢は三歳九ヶ月ということが、その場ではじき出されていたので、こちらはむしろ、ひたすらディフェンスにまわるような展開になってしまった。
「たしかに刷り込みということもかんがえられます。しかしぼくは、活動までしてたんですよ、会長」
「活動?」
「はい。それは『キャンディー隊を再結成させる会』っていうんですけど、会員になって、豚汁とか食べてたんですよ」
 ヒットしたのはここである。会長は例の“再結成させる会”におもいのほか、かじりついてきたのだ。
「まあ俺たちは『平凡な女の子にもどりたい』っていう、彼女たちの気持ちを尊重して送り出したからな……しかし最近思うんだよ、あれはまちがっていたかもしれないって」
「会長、その俺たちっていうのは?」
「舟倉くんとはどうも縁があるようだから、おもいきって話すか」
「そうですよ、会長! 袖振り合うも他生のしめしめですよ。だってね、まずサウナじゃないですか、そしてエビフライでしょ、ねっ、あとキャンディー隊ですよね、それから……あっ、ぼくもポケットティシュー配ったとき、一回だけ大旦那って、呼ばれたことあるんですよ……」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み