第47話:木島輝彦さんの死の予感と旅立ち

文字数 2,844文字

 外来待合室に帰って葉子さんが少し落ち着いたというので入院している輝彦さんの部屋に3人で行くと輝彦さんのが葉子さんに私は以前一括して自分の死亡保障付きの医療保険には入ったと言い、詳しい資料は家の私の机の引出を見てと言った。その後、家に帰って葉子さんが犬山重臣が資料を持って来た。それによると1970年に入った日本生命の死亡保険つき医療保険の証書があった。

 犬山重臣のプリンターでコピーをとって、その他に1960年、65年、70年の100万円ずつ郵便強の定額預金が証書が3通入っていた。これもコピーした。翌日、日本生命に電話すると1970年、当時250万円の一括支払いで1000万円の死亡保険付き、医療保険で1週間以上の入院で1泊の入につき2万円で10年ごとに支払いなき場合50万円ずつ祝い金支給と書いてあり受け取った様子はなかった。

 郵便局に奥さんの葉子さんを連れて行って念のため木島輝彦さんの運転免許証を持って行った。日本生命には電話を入れると1週間以上の入院で1泊の入につき2万円、10年ごとに支払いなき場合50万円ずつ、祝い金支給の条件は間違いがなく祝い金の請求もなかったとわかり祝い金4回分200万円と1000万円の死亡保険も間違いないと言った。ついては所定の用紙に木島輝彦さんの入金口座を書いておくって下さいと言われた。

 なお支払っていない金額についても残高に組入れて運用利益率をかけて、お支払いするから200万円以上になっていると言った。その後、郵便局に行き木島輝彦さんの口座の残金を打ち出してもらうと合計866万円となっていた。存命中の支払いは基本的に本人様しかできないと言い旦那さんの郵便預金を奥さんの郵便預金に振り込むことは出来ると言った。

 ただし両方が夫婦という証明書、戸籍謄本、戸籍抄本がいると言われた。わかりましたと言って帰ってきた。木島葉子さんに、この話を旦那さんに説明しますかと聞くと、それどころじゃないからしないで、おきますと言った。緩和ケアの部屋代が1日2万円だから、その分が保証されるのは大きいと、犬山重臣が言い緩和病棟の契約は、して良いのですかと奥さんに聞くと、お願いしますと言われたので家に戻って病院の事務室に連絡した。

 その後、奥さんの木島葉子さんが戸籍謄本をとってきますと出かけていった。そうして7月1日、夕方19時に木島葉子さんが木島輝彦さんの戸籍謄本を取ってきた。7月3日に木島輝彦さんの入院してる病院へ行くと緩和病棟の部屋に移っていた。そこで何か欲しいものはありますかと聞くと懐メロのカセットか何か聞くことが出来る機械が欲しいと言うので歌手の名前や歌の名前を聞いてメモしDVDプレイヤーと音楽を録音したDVDを持参する約束をした。

 7月5日に日本生命から木島輝彦さんの郵便貯金通帳に入金したと連絡があった。7月6日、DVDに音楽を録音したDVDとポータブルDVDプレイヤーを買ってきて手の届く所におきリモコンを渡しヘッドホンも渡して、聞いてもらうと目を閉じて音楽を聴き始めて少しすると「目に涙を浮かべて、あの若い頃を思い出すと言ってハンカチで涙を拭いた」。

 お陰様で体調は変わらないが気分的に非常に楽になったと言ってくれ、犬山重臣さんには何から何までお世話になって申し訳ないと言った。 それに対して、「これは何か神様の指令かも知れませんので、気になさらないで、ゆっくりと、お過ごし下さいと言うと、突然、犬山重臣の手をぐっと握って葉子の事を宜しく頼むと、頭を下げたので大丈夫、できるだけの事はします」ときっぱり言った。

 そして部屋を後にした。7月7日に木島葉子さんが犬山重臣に郵便局に行き、輝彦さんの通帳から全額を私の郵便局の預金通帳へ振り込む手続きに行きますので、ついていっていただけますかと言われて了解した。出かけて順調に問題なく、振り込みが完了したと言われ木島葉子さんの郵便局の預金通帳を打ち出してすと、残金が40万円だったのが1132万円となっていた。この結果を見せて本当にありがとうございましたとお礼を言った。

 木島輝彦さんの銀行口座に700万円しかないので合計で2000万円は越えるので老後資金として本当にありがたいと目を潤ましていた。その後も木島葉子さんは週に2-3回、旦那さんの入院する病院をたずねた。その頃、息子の良男は毎日、朝8時半に家を出て近くの東京ガスの営業所に行き夜18時過ぎには家に帰るようになり給料もボーナスも支給されてた。

 奥さんの麗子さんは週に3回、6本のテレビとラジオの番組をもらい良男とほぼ同じくらいの収入を得ていた。膝の痛みも無いようで、普通の生活をする上で支障がないと話していた。和子さんも少ない年金でも家賃5万円で住まわせてもらって何とか不自由なく生活できてると犬山重臣に感謝の言葉を述べた。その後、涼しくなり、10,11,12月と季節は進み12月になって木島輝彦さんが以前の元気を取り戻した。

 12月24日、犬山重臣が車で迎えに行き、自宅に帰ってきた。これには、住人全員が喜んで迎えてくれクリスマスパーティーが盛り上がった。小さく切ったケーキも美味しそーに笑顔で食べてくれ早く帰ってきてねと和子さんが言うと
「木島輝彦さんと葉子さんが本当に優しい人達で良かったと涙を流した」。そして30分位、パーティーに参加して犬山重臣と葉子さんが、その後、病院に送っていった。

 そして何故か、その晩から葉子さんが旦那さんの病室のソファーベッドで寝ると言い出して家に帰ってこなくなった。そして12月29日、早朝の朝4時、犬山重臣の所に木島葉子さんから電話が入り
「今ちょっと前に木島輝彦が天に召されました」と連絡が入った。その知らせを聞いて犬山夫妻と吉田夫妻の4人が車で病院へ向かった。

 5時前に病院に到着し木島輝彦さんの亡骸に合掌し葉子さんに話を聞くと12月24日の昼、「突然、木島輝彦さんが、うちに戻ろうと言った時の異様な目のが輝きを見て」
、「死期が近いと感じクリスマスパーティーに飛び入り参加した」と言い、あの時が私の旦那にとって、優しくしていただいた、あなた方との
「今生の別れになると感じたのでしょう」と言い、うすうす、それを感じた。

 「私は三途の川を渡るまでは、一時も離れまいと心に誓って同じ病室にいた」のです。
「彼が最後に犬山重臣さんに日本でひろってもらい本当に助かった」、
「もしあれがなかったら2人で心中でも、しようと思った」と話してくれた。

 そしてなくなる直前に本当にありがとう葉子というので、
「彼を私の胸に包んであげて天に召された」のです。
「私も、本望ですと言うと4人は、たまらず泣き声を上げて病室で泣いた」。やがて2015年、悲しい別れと共に、みんなにとっての悲しい人生の1コマが幕を閉じて新しい2016年がやってきた。
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