第41話:新しい同居人とクルーズ旅行

文字数 2,625文字

 改修が終わった事を犬山良男に連絡すると明日、引っ越すと言い翌日、2011年8月26日、朝8時に良男が大きな8人乗りワゴンでに家族4人と家財道具のせてやってきた。その他、4トン車2台で引っ越して来た。次々と離れの部屋に荷物を運び込み4時間で全て完了。引越を終えると犬山良男が吉田夫妻に自分と奥さんの犬山麗子と3歳の犬山寛太と1歳半の犬山範子を紹介した。

 すると吉田和子が久しぶりに小さな子供と一緒に住むことが出来て、うれしいと言った。この話をしていると長女の犬山範子が笑顔を見せてくれた。可愛いねとの声が飛んで自己紹介を終えた。その後、離れの部屋と風呂とキッチン、トイレの説明をすると奥さんの麗子さんが全部新品じゃないのと大喜びだった。その日の夕方、和子さんが、たくさんの料理を作った。

 リビングで8人で夕食をとり2つの風呂に別れて入り早めに床についた。翌日、犬山重臣と淑子さんと吉田夫妻の4人で父の書斎の本をリビングに出して使わない備品も一緒に下ろし組み立て式の大きな書棚を器用な犬山重臣、吉田良介が分解してリビングに持って来た。本などは買い取り業者に引き取ってもらい書棚は粗大ゴミとして出し、母屋の2階の8畳6部屋が使える様にした。

 しかし、かたづけてみると木下家の巨大さに驚かされる。駐車場も、お客さん用に2台分作ってあり犬山重臣と良男の2台の車を置いても、もう1台は駐車出来る大きさで軽自動車なら2台置ける。そして8月中に不要品を全部片付け、きれいに掃除。ぞうきん掛けをして、いつでも使える様にした。そして亡き義理の父の部屋に犬山重臣が入りパソコンや自分の机、椅子、書棚を入れて自分の部屋として使う事にした。

 やがて犬山良男がサッカーの遠征に出かけるようになった。その後7人で大きなリビングのテーブルで一緒に食事をした。家賃20万円を自動振りにした。すると姉の和子が犬山重臣を呼んで私たち月3万円しか払えないが、それで良いのかいと聞くので笑いながら稼ぎの多い人には、ありがたくいただき、そうでない人は、それなりに、いただけば良いと言い、世の中そんなモンさと笑いながら姉の和子の肩をたたいた。

 すまないねーと言うので姉ちゃんのうまい料理で他の人も十分満足しているから家賃3万円のことは他の人には言うなと口止めした。和子さんが、わかったよと、ぺこりと頭を下げた。その後も和子さんの手料理で十分満足して淑子さんも麗子さんも料理は全てお任せと言う事になり、その他の洗濯、掃除を残り2人の女性が一手に引き受けてやってくれた。

 それに可愛い天使の様な1歳半の犬山範子ちゃんは家族全員のアイドルとして可愛がられて育った。そして10、11、12月になり12月24日を迎えて今年は8人で盛大にクリスマスパーティーをして和子さんが子供達にクリスマスプレゼントを買ってきて大人達も、それぞれプレゼントを持ち寄り盛大で楽しいクリスマスパーティとなり大きなクリスマスケーキを買ってきて切り分け、みんなで食べた。しばらくして2012年を迎えた。

 2011年2月に犬山重臣と淑子さんが久しぶりにシンガポールへ行きクルーズでマレーシア、タイに行こうと考えて予約を取った。2月22日に出て24日にマレーシア・ランカウイ、25,26日にタイ・プーケット、27日にマレーシア・ペナン、28日にマレーシア・クアラルンプ-ル・ポートケラン、ここで降りて2日間、滞在し3月2日に日本に帰る予定にした。

 その後、シンガポール港を確認するために出かけて見た。クルーズターミナルはシンガポールの南部のセントーサ島に渡る直ぐ手前にある所だった。泊まってるホテルも南部でタクシーで直ぐの所だとわかった。シンガポール市内観光をして寺院巡りをして2月22日17時半にホテルからタクシーで10分のクルーズターミナルへ到着し18時過ぎに乗船手続きを終え部屋へ入り、お決まりの避難訓練をしてから朝食をとりに行った。

 やがて20時になり出港した。翌日は1日、洋上クルーズでだった。3日目の朝8時にマレーシアのランカウイ島に到着し、あらかじめ以前、お世話になった、木島輝彦、葉子、夫妻に連絡しておいた所、お迎えに来てくれ再会を祝った。その後、木島輝彦、葉子のご自宅に行き、お茶して、その後の話を聞くと日本からの移住者の高齢化が進んで、お亡くなりになったり、病気療養のために日本に帰る人も増えた。

 そのため日本人会も人数が減ったと言い60歳で定年過ぎの新しい方も少なく、それがの悩みの種だと教えてくれた。昼になり町中のデパートの中のレストランへ行き昼食をとった時、淑子さんが葉子さんに寂しくありませんかと聞くと、それは自分の子供や孫に会いたいという気持ちはありますが自分達でこちらへの移住を決めて来た限り、そう簡単に帰るわけには行かないと言った。

 一度帰ると孫と離れるのが辛くてと言うと、目にいっぱいの涙を浮かべ、やがて話し終わると、その涙が1すじ、2すじと流れ落ち、慌ててハンカチを当ててぬぐった。すると木島輝彦が、実は、もう2年もすると私も75歳になるので日本に帰ろうかと思い始めているんだといい帰りたい気持ちと自分で決めてコタキナバルに来たのに、それで良いのかという2つの気持ちがぶつかり合うんですと語った。

 犬山重臣が、その気持ち良くわかりますと言った。しかし人間あまりかたくなに意地張っていて、うまくいったためしはないので自分の気持ちに素直になって行動した方が賢明かも知れませんねと言い、そっちの方が楽ですよ、諭すように言った。葉子さんが、そうようね、やっぱり日本に帰りましょう帰って孫と楽しく生きましょうよと言うと木島輝彦の目にも涙が浮かんだ。

 それに対し犬山重臣が僕たちの様な旅行で来た者には、その郷愁の気持ち、客観的には、わかりますが、主観的には、おもんばかることしか出来ませんと淡々と話した。その後、葉子さんが、やはり日本に帰りましょう、その方が子や孫にも迷惑かけないと言うと木島輝彦さんが奥さんの手をにぎり、そうしようと言った。

 犬山重臣が、もし帰って来たら電話下さい、東京で食事しましょうと告げた。その時は是非、宜しくお願いしますと木島夫妻が言った。そして15時になったので車でクルーズ船まで送ってもらい東京での再開を約束して別れた。
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