第39話:木下貴子さんの葬儀と長女との再会

文字数 2,621文字

 その後、葬儀案内の往復はがきを郵便局に持って行き投函した。その他、近くに住んでいる親類縁者には犬山重臣と淑子さんの2人で葬儀の案内書類をパソコンに入力してプリンターで印刷し、その案内書類を各家に渡した。合計25件に渡してきた。2月9日には義理の弟の木下重道さん以外、全員から返信はがきや電話連絡が入った。現在、出席予定36名だった。

 葬儀当日の2010年2月10日になり車で葬儀会場に9時過ぎに到着して犬山重臣と淑子さんが受付をして挨拶して回り少しして犬山重臣が喪主になっているので和子さんに受付をお願いした。11時15分して受付を閉めて葬式の儀式に乗っ取り会が始まり、お悔やみの挨拶に犬山重臣と淑子さんの2人で応対していた。

 やがて火葬となり、その時間、昼食となり木下家の近くに住む親戚が、あの木下公彦さんの大きな、お屋敷をどうするのかと言う事が話題に上がって淑子さんに聞く人が多く、旦那さんと義理に姉と4人で自分達の代は住み続けると言い、後は子供、孫の考え次第だと答え、その先の事は不明と回答した。当分は私たちが住み続けるので、ご安心下さいと話した。

 そして淑子さんの弟の木下重道さんは、どうして来ないのかねと質問されると都合がつかなかったのでしょうと言うと、あれだけ亡き御両親に心配かけておいて葬式に来ないとは親不孝者だという話しも聞こえてきた。お酒が回って、言いたい事ばかり言う連中も出て来て、だいたい、あれだけの切れ者の木下公彦さんの子供達で木下重道さんだけが大学を出て姉さんは商業高校で、その旦那は中卒じゃー、管理は難しかも知れないという辛辣な話しが出た。

 その時、冷静だが厳しい口調で犬山重臣が好き好んで中卒で世の中に出たい奴なんかいない、世の中、全員が金持ちで高校、大学といける人ばかりじゃないんだ。行きたくても行けない連中がいる事を忘れてはいけないと言った。もちろん学歴は重要だが、もっと重要なのは学力じゃないかと大きな声で言い放った。

  俺たちは
「木下重道さんみたいに予備校に通って私立大学を出た人よりも少ない給料」の中から
「少しずつ金を大事に貯めて上手く運用して億を超える金を作ったんだ」
「大学卒業した連中10倍以上、金を作ったんだ」と言うと、親戚の女性から、そうだ女は大学なんか行かなくて良いと言い、男だけ大学へ行って威張るんじゃないよ、金を貯めたものの勝ちだよと言った。

 「偉い!、よく言った、あの切れ者の木下公彦が認めた男だけの事はある」と大きな声が飛んだ。親戚の年長者が、まーまー、葬式の席で、そんな、もめんなと言って仲裁。そうしているうちに葬儀が終わり骨を拾って葬儀が終了。その後、菩提寺のお墓に30人位の人が着いていき木下家の先代の奥さん木下貴子さんを見送った。昼食時に酒を飲んだ親戚が多く、帰り際に犬山重臣と淑子さんに木下の本家をしっかり守ってと数人の男が声をかけてくれた。

 それに対し、頑張ってやっていきますと2人が答えて、葬儀は全て終了した。家に帰って海老名の老人シェアハウスに電話をして葬儀が終了したので、数日後、伺って、故人の遺品の引き取りと精算に伺いますと話した。老人シェアハウスの責任者のNPOの代表の女性が、入居してから2年の短い期間だったので入居支度金の80%を返却しますと言った。

 2010年4月に犬山重臣の所にシドニーに住む長女の幸子から電話が入り5月12日に日本に行くから会いに来たいと言うので、何しに来るのか聞くと、結婚した梅沢新一さんの埼玉県浦和市に住む、祖父の葬儀に参列するためだと言った。そして5月14、15日の2日間、泊まらせてくれるかと聞くので了解した。やがて5月14日、11時に家にやってきた。

 家に着くなり、すごい豪邸、新宿からタクシーで幡ヶ谷まで近いし、どうしたのと聞くので奥さんの実家の家なんだよと答えた。以前、住んで中野郊外の借家とは月とすっぽんと言い笑った。少しして吉田和子さんが来ると幸子さん久しぶりと挨拶し、もしかして、おめでたですかと聞くと、はい妊娠5ヶ月と答え今年の冬11月、出産予定と答えた。和子さんが、もう少しで昼食出来るからねと言うと、ご馳走になりますと言った。

 犬山重臣が旦那さんの梅沢新一さんに、この度はご愁傷様ですと言うと実は祖父には学生時代、学費の援助を受けて、お世話になったんですよと言い、おじいさんのお陰で一橋大学には入れて今の仕事に就けたので感謝しても感謝しきれない程の恩があるんですと話してくれた。子供さんはシドニーで産むのですかと聞くと、そのつもりですと答え、あちらも医療水準が高く心配ないのと日本に比べて何かと都合が良いと言った。

 昼ご飯の用意が出来たわよと和子さんの声がしてテーブルに着くと回鍋肉とワンタンスープが用意されて6人で早速、食べ始めて幸子さんが子供が出来ると食欲がまして以前では考えられないほど食べちゃうんですと笑いながら言った。だから明日と明後日は皇居、東京駅ビル、日本橋、銀座を散策するつもりですと話してくれた。

 すると食事した後、運動のために車で代々木公園と明治神宮を散歩しようかというと是非、お願いと言われ了解した。明治神宮と代々木公園を1時間ほど散策して15時半頃に家に帰ってきた。その後、梅沢夫妻が、ゆっくりと風呂に入って夕食後、母の淑子さんが幸子に今後、どうするのと聞くと当分の間、シドニーで生活すると言った。

 それに対してなぜ日本に帰ってこないのと聞くと投資中心で資産を増やしている生活を日本ですると半分以上、場合によっては75%も税金で持って行かれるので日本に帰ってくる気はないときっぱりと言った。この話を聞いていた犬山重臣が幸子も変わったなと言った。

 「金が出来ると人が変わると言うが強欲になりすぎると、しっぺ返しを食らうぞ」と言うと大丈夫だよと強く反論した。そして、旦那さんとともに部屋に入った。翌日、タクシーで新宿へ行き中央線で東京へ行き、東京駅ビル、日本橋、銀座をぶらついて、夕方5時過ぎに家に帰ってきた。そして早めに床についた。

 翌日、2010年5月16日、6時過ぎに家を出て、成田へ行き、そこからシドニーへの帰っていった。その後、6月梅雨、7月、8月の暑い夏を越えて、9,10月、涼しい秋になり、やがて冬になった。
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