第4話:結婚式と新婚旅行

文字数 2,954文字

 結婚式は木下淑子さんの要望で神前結婚式がとなった。以前行った調布・深大寺に結婚式をしたいと言う希望があり調べて見ると近くの調布クレストンホテルのフランス料理レストランを披露宴会場にしたプランがあった。そのプランで結婚式を行う事にし40人で40万円のコースを選んだ。次に日程は日曜か祭日が良いだろうと考えた。

 そこで5月のゴールデンウイークの間で空いてる日を深大寺とホテルに聞いた。すると結婚式を1976年5月3日に昼からのコースが空いていると言うことで結婚式、披露宴の場所と日時と人数を決めた。この日は晴れ時々曇りの天気で結婚式に15人が参加して11時から始まった。深大寺の神前で結婚の儀式を終えて、境内を歩いてクレストンホテルに11時30分に着き12時から披露宴が開始された。

 木下家からは東京で近くに住んでいる人を中心に20名を選んだ。犬山家は東京にいる兄弟と会社の先輩同僚、山梨の両親が参列した。媒酌人を犬山重臣の元上司の鮫島和夫さんにお願いした。やがて司会の人が開始を宣言。次ぎ、お世話になってる方からの話や余興、歌やの披露と祝電の報告などをした。両親への感謝の言葉など型どおりの結婚式が2時間ほどで終了。帰り際に犬山重臣が義理の父の木下公彦さんに呼ばれた。

 結婚式の費用は、私が出すから請求書か明細書を送れと言われた。わかりました、ありがとうございますと、お礼を言うと、これからは、援助しないから後は、宜しく頼むと言われた。
「犬山重臣が木下淑子さんを大事にして一生懸命、彼女を幸せにしますと答えた」
「すると義理の父に握手を求められ自分の立場で精一杯頑張れと肩をたたかれた」

「孫ができたら頻繁に顔出せよと、がっちり握手をした」
 そして深大寺での結婚式と披露宴は無事に終えることができた。その後、結婚式の費用48万円の木下淑子さんの父の明細書と振込先を書いた紙を送った。数日後、犬山重臣の口座に入金された。集まった、ご祝儀50万円も、ありがたくいただいた。

 新婚旅行は媒酌人の鮫島和夫さんの車を借りて5月4日から5日間、山梨の実家からを回る計画を立てた。結婚式を終え、犬山重臣の通帳は160万円となり奥さんの90万円と合計して250万円となった。5月4日の朝、借りたカローラを運転して三鷹から中央高速を飛ばした。そして1時間半で甲府に到着して犬山重臣の実家に着いた。

 数多くの、お土産、お菓子を実家の仏壇の前に、お供えした。ちょうど昼食の時間だったので実家では、精一杯の、ご馳走として打ち立てのそばを鶏肉の汁で食べた。犬山重臣は、うめー、そばの香りもたっていて、鳥汁が、また合うと、ベタ誉めした。刻んだ長ネギを入れて食べるのを見て、奥さんも真似して食べた。実家の男達はカローラを見てスゲー格好いいなと驚いた。

 食後、以前、奥さんに話した鶏小屋と牛小屋を見せ隣の家の馬小屋も見て回った。最初、奥さんは臭いと言って鼻をつまんでいた。しかし牛をなでたり
「牛の顔を見ると可愛い目をしてるのですね」と驚いた様に言った。、続いて馬を見ると
「格好いい、たてがみも素敵と言った」。やはり可愛い目をしていると
「馬をさわって、光沢があるのねと興味深げに見ていた」。

 その後、14時頃に失礼し武田神社や武田信玄の銅像を見た。甲府の町を回り湯村温泉の近くの常磐ホテルに到着。部屋の外に温泉がある素敵な部屋で格式の高さを感じた。夕食は見た目に美しい盛り付けの美味しい料理で感動した。翌日5月5日は朝7時に起きて朝風呂に入り、ゆっくりして朝食をとり朝9時にホテルを出た。

 既に暖かくなり始め、韮崎から明野のひまわり畑とハイジの村で散策して回った。その後、お昼近く、清里に着いて、山梨県立まきば公園に行った。そして昼食を取り、牛を放牧している牧場を散策。14時頃、そこを出発し15時半頃に諏訪湖に入り、諏訪神社、前宮、本宮、秋宮、春宮を巡った。その後、紅屋にチェックインしてゆっくり、風呂に入った。

 その後夕飯をとり歩き疲れ、ぐっすり寝た。翌朝6時に起きて朝風呂に入り風呂上がり涼んで諏訪湖を見た。今日は岡谷の鳥井平やまびこ公園と諏訪湖間欠泉センターへ行く計画を立てた。結婚式と新婚旅行を終えて媒酌人の鮫島和夫さんと姉の犬山和子の家に挨拶に行った。旅行のお土産を渡した。また独身寮から家族用社宅に引っ越し、その後、イトーヨーカ堂で経理の仕事を続けた。

 やがて12月となり1976年結婚式の年が終わり1977年があけた。3月12日に食事した後、奥さんの犬山淑子さんが気持ち悪いと言いだし吐いた。そこで近くに住む姉の吉田和子さんの家に電話を入れると妊娠じゃないと言われた。そこで産婦人科へ連れて行く様に言われ犬山重臣が会社に遅刻すると連絡を入た。その後、産婦人科へ行くと、妊娠ですと告げられた。

 予定日は9月15日と言われた。その後、4、5月と時が経つにつれて淑子さんのお腹が出て来て感情の起伏も激しくなった。犬山重臣が炊事、洗濯も手伝うようになり梅雨が明ける7月には淑子さんが動くと、すぐに汗だくになって大変そうだった。8月のお盆から夏休みと産休に入り犬山重臣は会社での仕事、炊事、洗濯と大忙しの毎日が続いた。

 9月になると淑子さんは横になる日が増えた。1977年9月13日痛みが出たので診ていただいている産婦人科に入院した。そして3日目の9月15日、早朝、2.9キロの赤ちゃんを普通分娩で産んだ。長女の名前を多くの本を読んで幸子と決め、長女、犬山幸子が誕生した。犬山重臣と近くに住む、和子・姉ちゃんが来てくれ、おめでとうと言うと淑子さんが急に泣き出した。

 すると「和子・姉ちゃんが、よく頑張ったね痛かったでしょ怖かったでしょ」と淑子さんの頭をなでてくれた。その後、和子・姉ちゃんと奥さんが急に仲良くなった。淑子さんの実家の御両親、木下公彦、貴子さんに連絡すると、すぐに駆けつけてくれて、淑子、おめでとうと祝福してくれ、また、この可愛い子を連れて、遊びに来て送れと言ってくれた。

 帰り際、これを受け取ってくれと出産祝い金50万円の封筒を渡してくれた。その後、淑子さんが家に戻ってきてからは和子・姉ちゃんが何かと美味しい料理を作ってくれた。そして徒歩10分で淑子さんの家に持ってくれた。何か欲しいものは、ないのと言い、良く面倒を見てもらうようになった。

 やがて1月、12月と過ぎていき12月24日のクリスマスの日に和子・姉ちゃんが鳥の丸焼きを差し入れしてくれ、クリスマスパーティーを開いた。和子・姉ちゃんの長女の真弓ちゃん5歳が犬山重臣の長女、幸子を可愛がり良く面倒を見てくれた。その理由は和子・姉ちゃんの家では5歳の長男の一雄君、3歳の次女の真弓の2人の子がいた。

 一番下の真弓ちゃんが妹が欲しいなーと、いつも言っていた。そんな時に彼女にとって待望の妹代わりとして犬山重臣の長女、幸子という女の子ができ喜んだようだ。そのうちに、おままごとのオモチャを持ってき始め2人で遊ぶようになった。幸子が真弓ちゃんの顔を見ると喜んで笑ったりすると頭をなでたりして楽しんでいた。そうして出産騒動で何かと大忙しの1977年が去り1978年を迎えた。
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