第13話:幸子の外国人の友と重臣サッカークラブへ

文字数 2,368文字

 1989年は淑子さんが1月下旬、風邪でダウンし近くの内科医院に行って薬をもらい5日間、自宅で療養。その時に幸子が替わって一度に多めの御飯を炊き残った御飯を冷蔵庫に入れたり、淑子さんに、おかゆを作ったり面倒も見てくれ犬山重臣が長女の成長ぶりに目を細めて喜んだ。良男は相変わらず、いっぱい御飯を食べて幸子の作る卵焼きを旨そうに食べた。

 2月、犬山重臣が咳き込んで風邪の症状が出たが日曜日に熟睡し事なきを得た。そうして徐々に暖かくなり4月を迎えた。今年、1989年は長女・幸子が中学生になる年で近くの三鷹中学に入学した。ランドセルから祖父に買ってもらったソロバンを入れられるショルダーバッグに教科書を入れて中学に通い始めた。小学校から仲良しの子も多く、中学に、すぐ、なじんだ様だ。

 英語は既に日常会話が出来る程度になっていて英語の授業が終わると友人に教えるほどだった。理科の実験に興味を持って授業を聞いていた。数学も図形以外は簡単にこなした。国語も既に多くの本を読んでいたので特に問題なく理解した。そのため成績はクラスでは、タントツのトップで、学年でも1、2位を争う程だった。クラブ活動はESS「イングリッシュ・スピーキング・ソサエティ」と軟式テニス部に入部した。

 犬山重臣の株投資の方では1989年4月4日、以前、購入したトヨタ株を2400円で売却して1291万の利益が出て残金が1432万円となった。ESSでは1年生にもかかわらず、かなりの実用英会話の文章や単語を覚えていて、それを駆使し、3年生と英語でのディスカッションをした。

 しかし1人イギリス人の親を持つブリジッド佐藤というハーフの1年生の発音の素晴らしさを聞いて、彼女と仲良くなり、英会話の細かい所、イントネーションや発音の細かい違いを教えてもらい幸子の英語が本物になって来た。その後、ブリジッド佐藤の家に遊びに行くようになり、彼女の好意で英国人のお母さんサリーさんと3人で英語で話したり2年になる頃は幸子に
「パブリックスピーキング」を教えてくれた。

「パブリックスピーキング」とは英語を話す直前に、いくつかのテーマを出されて自分がテーマを選び、短時間に自分の頭で、そのテーマに沿った話や自分の考えを整理して2分間、試験官の前で英語で発表し、発表後、その内容について、試験官が質問して、その質問に的確に答えるテスト。中学に入学して英語検定3級の試験願書を手に入れて提出した。

 数日後、試験日と試験会場の通知が届いた。友人のブリジッド佐藤がついてきてくれ一緒に試験を受けた。3級は余裕で合格し試験後、近くのファミリーレストランで、お茶して帰って来て数日後、合格通知が来た。夏休みも友人のブリジッド佐藤と橫浜のアメリカンスクールの学園祭に行ってメアリーとスージーの2人と仲良く、学園祭見学を楽しんだ

 その後、メアリーの父が教会の牧師をしていて橫浜のYCACを予約してくれラグビーの試合を見に行った。試合の応援の後、YCACのレストランに連れて行ってもらい、ビーフステーキや、サンドイッチ、紅茶、ケーキをいただいた。幸子は家に帰ってきて、今日、行った橫浜YCACの話をして、将来、アメリカかイギリスに留学したいなと話した。

 それに対して、まず良い高校をめざして希望する大学を決めておく事が先決だと行った。もし経済的に許せば海外留学もさせてあげたいと犬山重臣が言った。良男の方は、そんな話を聞いても興味示すことなく夕飯を食べていた。犬山重臣が良男に、お前は何をしたいかと聞くので俺は体力があって足が速いからサッカー選手になって、きれいな奥さんをもらってがっぽりと大金
を手に入れる。

 最終的にはヨーロッパでサッカーのプロ選手になって優雅な生活がしたいと言った。夢はでかい方が良いから構わないけど英語の勉強が出来ないと駄目だなと言うと、お姉ちゃんに教えてもらうよと笑いながら言った。その後、三鷹でジュニアサッカークラブがあり友達の西藤聡君が通っていて一緒に行かないかと誘われたと言い聡君の家は、すぐ近くにあり、よく遊んでいた。

 数日後、友達の、お父さんの西藤一郎さんが、犬山重臣に家に来て、三鷹ジュニアサッカークラブに入らないかと話に来た。西藤一郎さんは、もと高校サッカー選手で、近くの広場で、小学校から帰ってきた後に、犬山良男君と、うちの息子がサッカーをしてるのも見て、良男君のサッカーセンスと、体力と、足の速さに目をつけたと話してくれた。

 それに対して犬山重臣が、うちでは車もなく送迎できな。私も日曜、祝日以外は休みを取りにくいと言うと、それなら、私が、うちの聡と一緒に送迎するから大丈夫と言った。じゃーお願いしようかと犬山重臣が奥さんに聞くと、お願いできればありがたいと言い宜しくお願いしますと西藤一郎さんに頭を下げた。承知しました聡も喜ぶし三鷹ジュニアサッカークラブのレベルアップにもなるので大歓迎しますと言ってくれた。

 その後、9月から、日曜日、祝日に良男が、三鷹ジュニアサッカークラブの練習に参加し始めた。この話を奥さんから聞いた義理の父が1989年9月18日、土曜の午後、良男が帰ってきた後に、来てサッカーシューズ2足とサッカーのウエアーを2着、買ってくれた。その後10月になると三鷹ジュニアサッカークラブのメンバーになって運動量の多さと足の速さでミッドフィルダーとして活躍するようになった。

 1989年10月16日、日曜日のサッカーの試合に、行こうと義理の父から電話が入り義理の両親と犬山夫婦の4人で車に乗せてもらいサッカー場へ応援に行った。すると良男は大喜びして、その試合でも2点を上げる大活躍で義理の父が、あいつは、体力あるなー、足が速いなーと目を細めて大喜びしていた。
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