第17話:幸子の大学受験と夏休み旅行

文字数 2,956文字

 そのため間違えた所をなぜ間違えたのか、どの分野が弱いのか探して、その強化を図った方が良いと言われて以前のテストの用紙の間違いについて再度、チェックしてみた。やがて夏休みになりエアコンの効いた部屋で勉強していると勉強の実力をつけるのは費やしている時間だけじゃなく集中力と時間を掛けたもの方が大切で気分転換を図ったり疲れたら昼寝をして再度、自分の集中力を高める努力した方が帰って早いのじゃないかと言われた。

 そこで疲れて勉強が進まなくなった時に散歩、眠くなったら30分から1時間、仮眠を取る様な工夫を始めた。すると確かに集中力が高まると勉強の効率が良くなると実感できた。1993年の夏休みは幸子の大学受験のことがあり夏休み遠くへ出かけずに終わり秋風が吹いて、やがて冬、初めて幸子が定期テストで初めてクラス11位になった。

 やがて1993年が終わり1994年となった。父の株の方では1994年3月5日にソニー株を3100円で1万株を売却して利益が1490万円となり残金1722万円となり預金から278万円を口座に入金して残金を2000万円にした。良男が1994年4月に三鷹中学に入学しサッカー部に入ると宣言した。

 三鷹ジュニアサッカークラブの多くのメンバーが同時、三鷹中学に入学し、三鷹中学の弱小サッカー部に入れば、かなりの成績を残せると予想された。幸子も高校三年生になり5月下旬の1学期の中間テストを迎えて52人中、9位と初めてベストテンに入り、その後のテストでも10番以内を維持し続けた。そして無理しないで集中力がきれそうになったら散歩か仮眠で集中力重視の勉強を続けた。

 その結果1994年11月中旬の期末テストで7位まで順位を上げた。受験する大学を決める時期になり先生と相談し学部は経済学部か商学部だと言うと住んでいる家から近い所と言えば一橋大学の合格可能性70%、東京都立大学80%なり国公立に絶対入りたいなら東京都立大学、リスクを承知で挑戦するなら一橋大学どちらかでしょうねと言われた。

 両親と話をすると出来たら国公立大学の方がありがたいと言われて、東京都立大学を受験することに決めた。そして1994年も12月24日のクリスマスを迎え、ささやかなクリスマスパーティーを自宅で行い、家族の前で東京都立大学を受験しますと宣言した。1994年が終わり1995年、幸子の退学受験の年となった。最終的には、東京都立大学と立教大学の経済学部を受験することなった。

 立教大学の受験申込日が1月24日で試験日が2月12日、合格発表が2月22日だった。一方の東京都立大学の受験申込日が1月28日で試験日が2月12日、合格発表が3月8日。1月24日に立教大学経済学部を受験し1月28日に東京都立大学を受験し1995年2月22日、立教大学に合格が決まり、その後、3月8日に東京都立大学も合格したことがわかった。

 迷わず八王子の東京都立大学に入る事を決めた。この受験合格を聞き、義理の父から研修費として50万円の入った祝儀袋をもらい幸子は、短期海外留学に使おうと考えた。1994年になり良男を始め8人の三鷹ジュニアサッカークラブ出身者が、三鷹中学サッカー部の中心メンバーとなりメンバーが大幅に入れ替わった。良男は、サッカー練習や毎日のランニングの日課を忠実にこなしいった。


 4月、三鷹中学に入って1年の時の新人戦で東京都大会で準決勝まで行き3位と三鷹中学では初めての快挙を成し遂げ得点の半分を自分があげたと誇らしげに語った。その後、犬山重臣がサッカーの練習を見に言った時、サッカークラブのコーチも良男の想像以上の活躍を誉めた。しかし新人で良男の情報が入っていなかったので良男の個性的なドリブルの特長など他の中学の選手が知らなかったので活躍できた。

 良男が知られることによりマークされるようになってから、どれだけ活躍できるかがキーポイントになるだろうと説明した。しかし良男は1年生から三鷹中学サッカー部のポイントゲッターとして中心選手になったことは間違いないと認めた。同じ三鷹ジュニアサッカークラブのメンバー11人に入ったので先輩の2-3年生の多くが試合に出られなくて、サッカー部をやめた。

 父の株の方では1995年3月3日にソニー株を1880円で1万株買い残金が120万となった。大学受験が終わりハーフの友人のブリジッド佐藤に電話すると仲の良かった2人のアメリカ人はアメリカの大学に入って、めったに日本に来ることはなくなると話していたと伝えてくれた。ブリジッド佐藤は上智大学に合格したと言い3月11日、新宿で食事しようと話になった。

 新宿のレストランで、その後の進路について話すと犬山幸子は商学部を出て金融関連企業か証券会社に就職したいと考えると言いブリジッド佐藤は翻訳の仕事を自分で立ち上げたいと話していて最終的には英語の同時通訳出来るようになりたいと話した。その次に女子会的な話題で彼氏いるのと両者が聞くと2人とも募集中で、まだいないと言うことで同じスタートラインになっているのを確認した。

 また、これからも宜しくねと友人の約束を交わした。一方、弟の良男は中学2年になり三鷹ジュニアサッカーチームのキャプテンに抜擢されて、チーム1、2の得点力を誇って身体も大きく170センチになりヘディングシュートの得点も増えた。食べる量も豪快で母が毎日2回、御飯を炊くようになった。学校成績も良く特に数学の計算と、お姉ちゃんから教えてもらう英語が得意になった。

 今年の夏休みはレンタカーを借りて8月3日から諏訪に1泊、白馬に1泊、松本に1泊の旅行か計画した。1995年8月3日、朝7時に三鷹を出て稲城インターチェンジから中央高速に乗って9時半に諏訪に着いてまだ早いので諏訪大社を回ろうと考え、最初に上社前宮へ行き、お参りして本宮へ行くと参道には多くのお土産屋さんがあり何軒かを覗いてみた。

 次に中に入ると大きな御神木が立っていた。これは7年に1度の御柱祭りの時に山から切り出された神木だと思われた。また諏訪大社の神様は守屋山だと父から聞かされた。絵馬堂や宝物殿などもあった。その後、諏訪湖の対岸に下社があり秋宮の強大な注連縄に驚かされ、その次に春宮を拝礼した。その帰り、開店したばかりの有名な、そば店に入り、きのこそばと天ぷらそばを注文した。

 父は天ぷらの量が多く食べきれない分を息子の良男に分けた、すると旨そうに食べた。ゆっくりそ昼食を終え鳥居平やまびこ公園に行き車を駐車場に入れて丘の上に上がり諏訪湖を眼下に見つつ広場をゆっくり散歩した。その後、喫茶店で、お茶してチェックインの15時に宿泊先のホテルに入り、まず風呂に入って運転手の犬山重臣は仮眠。しかし奥さんと幸子と良男はホテルの直ぐ近くの諏訪湖の周遊道を涼みながら散歩した。

 帰って来て風呂に入り出る頃には17時過ぎていて仮眠から起きた犬山重臣は1人で諏訪湖のほとりを散歩して18時過ぎから夕飯をとって犬山重臣は風呂に入りに行き、他の家族はテレビを見ていた。翌朝は朝食後、9時に車でホテルを出発して岡谷から塩嶺峠を抜けて塩尻へ入り葡萄畑を見て、16号線を走り、右手に松本城を見えた。
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