第21話:良男のサッカーの低迷と復活

文字数 2,481文字

 1998年の正月、久しぶりに犬山家全員で義理の父の家を訪問し新年の挨拶に行くと義理の父、木下公彦さんがすっかり元気になり多少、左側に麻痺が残ったが元気なり本を読んだりラジオを聞いたりして過ごしていると教えてくれた。孫の幸子にアメリカに留学したんだってと話しかけて、幸子がニューヨークのウオール街の牛の像を見たと言い感激したと話した。また、西海岸をロザンゼルスからサンディエゴまで旅行した話をするとすっかり大人になったと喜んでいた。

 次に良男がサッカーのスポーツ推薦で國學院久我山高校に入った事と昨年の高校新人戦で東京都2位になった報告すると喜んでくれた。それぞれの選んだ道をしっかり歩んで行けと言い久しぶりに、お年玉だと10万円ずつ包んでくれた。幸子も良男も、また遊びに来て良いですかと聞くと時間のある時には気軽に来てくれと言ってくれた。

 その後、春が来て良男はスタミナつけるために長距離を走っていた。春の練習試合に出場しセンターフォーワードをしてバックスを抜こうと全速力で走ったがバックスに当たり負けするようになり以前の様な迫力が無くなった。体重が5kg減ったと知り、コーチが長距離よりも筋力トレーニングをするように言われて初めて見ると、以前軽々と持ち上げられて重さのベンチプレスが持ち上がらない。

 その後の練習でも昨年の様な迫力、切れ味がなくなっているのがわかった。するとスタートメンバーから外されるようになった。そこで良男は母に言って豚、牛の焼き肉を増やしてもらい体重増加と筋力トレーニングを開始した。しかし急に以前の様に戻ることはなく夏が過ぎてもベンチメンバーのままで試合に出られない日々が続いた。

 良男が監督に呼ばれ、うちは実力主義の学校で君が以前の様な迫力が無くなれば出場できなくなると伝えられた。その後もサッカー練習よりもウエイトトレーニングの日々が続きベンチで試合を見学する日が増えた。それでも8月、9月になり体重が徐々に増えて筋肉もついてきて9月10日の試合に久しぶりに最初からメンバー入りして走り出すと以前よりも当たりが強くなりバックスを抜けるようになりゴールをあげた。

 このうれしさは半端なかった。その後も活躍するようになり以前の、ただ足が早いだけでなく、相手バックスを抜けるようになり得点を重ねていき以前の様にスタメン入りが出来るようなった。今年のインターハイ予選には間に合わないが来年に向けて練習漬けの毎日を送った。一方、姉の幸子は大学4年生になって就職活動を始めてシティバンクに就職したいと考えていた。

 何回か就職担当の方に会い英語でのテストを受け、OKと言われたが株投資、債券投資の勉強が今ひとつと言われた。それでも英語の力を見込まれて11月に採用の内定をもらった。ただし海外赴任があっても赴任できるという誓約書にサインしなければならなく両親に話すと母は心配だと言ったが、父が大きくなるためには海外を経験すべきとの意見に押され了解した。

 その後12月に正式採用となった。その頃、日本の株式市場がインターネット株の強烈な上昇があり、日本株も上昇して景気が良くなった。その後1999年を迎えた。そして幸子が3月に東京都立大学経済学部を卒業してシティバンクに入社した。入社後、研修の日々が続き5月から大手町支店で銀行業務を始めた。その頃、良男は高校3年になり夏のサッカー東京都予選に参加
した。

 7月3日に初戦から出場して3点取りハットトリック、2回戦2点、3回戦2点と順調に得点を重ねていった。4回戦でも2点、5回戦・準々決勝で早稲田実業と当たり前半2対0、後半30分に2対2になり終了間際の良男のダイビングヘッドで勝ち越しの1点で勝った。準決勝は前回負けた帝京高校で前半、4対0と味方バックスが崩れて厳しい戦いとなりハーフタイムに監督からの指示でバックスは点を許さなくなった。

 良男が相手ディフェンダーをかわして1点、後半15分コーナキックに頭を会わせ2点目、残り5分で、味方のゴールキックに素早く反応してディフェンスを抜いて3点目、ハットトリックを達成したが試合が終了して4対3でベストフォーで敗退して高校生活を終えた。試合後、最初、悔しさがこみ上げたが少し冷静になってハットトリックを成し遂げた自分を誉めたいと考え直し爽やかな気持ちでグラウンドを後にした。

 その後、大学に行くか実業団に行くか考え、以前ジュニア時代に世話になった三鷹ジュニアサッカークラブのコーチ2人に相談しに行くと久しぶりと言って食事に誘われて話を聞くと大学のスポーツ推薦は全国から来るので非情に厳しいだろうと言われた。サッカーをこれからも続けたいのなら実業団に入りサッカーを続けるか、きっぱり大学に入り、サッカーを辞め大学へ行き勉強するかのどちらかだと言った。

 サッカー実業団をめざすなら本田技研、本田技研ルミノッソ狭山FC、横河電機があるといわれた。次に國學院久我山高校のコーチと監督に相談すると成績表を見せろと言われ見せると良い成績じゃないかと言い監督が私の知り合いが早稲田のサッカー部にいるから相談してみようかと言ってくれた。しかしOKかどうかは、わからないよと言われ了解し成績表のコピーも貸してくれと言われ渡した。

 その後、監督に会うと君の成績だと早稲田大学の合格は大丈夫とは言えないが順天堂、駒沢、日体大は入れると言った。それを聞いてお礼を言って失礼した。その後、祖父の木下公彦さんに意見を聞くと、お前はサッカーで食っていきたいのか、そうではないのかと聞かれ、サッカーだけで食べていくつもりはないと言うと、それなら普通に勉強して受験しろと言われた。

 まだ、9月中旬、来年まで充分時間があるから受験勉強してサッカーの強い大学を受験したらと良い、どこに入りたいと聞くので筑波大学が早稲田大学と言うと、来年まで徹底的に勉強して、その大学を受験して合格したら良いことだと言ってくれ、良男の決心は決まった。
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