第36話:子供達の帰宅と長女、幸子の結婚

文字数 2,972文字

 4月28日16時頃、吉田一雄さん一家が帰ってきた。皇居を散歩して、その後、池袋のサンシャイン水族館に行って多くの珍しい魚を見てきたと言い3女の明美ちゃんが人が、いっぱいと可愛い声で言うと大笑いとなった。和子さんが、お腹空いたでしょと言い豚肉と野菜の炒め物と鶏の唐揚げと、寄せ鍋を女性達と一緒によそって食べ始めた。

 俺、鳥のからあげ大好きと長男の一郎君が言い、すごい勢いで食べるので和子さんが、おかずは逃げていかないから、ゆっくり食べなさいと言うと笑い声が上がった。30分で子供達は食べ終わりテレビを見始め大人達が、ゆっくりと今日の皇居の話を聞きながら夕飯を食べた。吉田一雄さんが皇居には外人さんが多いのには驚いたと言い、あれだけ広い場所なのに狭苦しい感じがした位だと話した。

 また皇居をジョギングしてる人が多く、その光景もめずらしく東京の人って元気なんだなと笑いながら言った。池袋も駅を降りると人だらけで昼食をとるのも大変な位だったと言い大都会なんだと実感した様だ。明日、上野動物園に行って昼過ぎの列車で青森に帰りますと言った。吉田一雄さんは農機具の会社の営業マンとして青森営業所の課長として働いていて、すっかり田舎者になってしまったと笑った。

 東京の混み方には、ちょっとついて行けないので地方勤務でちょうどいいと笑いながら言った。家賃も安いし、うまいものも食べられて幸せだと話した。そして地方に勤務していると転勤命令が少ないので安心して同じ地域に人脈を作れるので仕事も着実に伸びてくると語った。また青森ねぶた、弘前城の桜を見に来て下さいと言い、良い温泉もいっぱいありますので、お待ちしてますので、是非、お越し下さいと言った。

 その話を聞いた淑子さんが可愛い、お孫さん達に、お会いできて楽しかったわ、また来て下さいねと、次女の美幸ちゃん5歳、3女の明美ちゃん3歳の頭をなでた。すると2人が美味しい、ごはんを食べさせてくれて、ありがとうと、和子おばあちゃんに、お礼を言った。
 その声を聞いて
「和子さんは、涙ぐんで、みんな良い子に育ってるねと1人ずつ抱きしめた」。

 この日も青森の吉田家の人達が風呂を出て、もう一度、風呂を沸かし残り4人が入った。翌朝、8時頃、青森の吉田家の5人が起きてきて朝食をとり、その後、和子さんが圧力鍋で再び、手早く、ごはんを炊き、朝食を素早く、食べ、おにぎりをいっぱい握って、唐揚げと卵焼きを入れて5人分のお弁当を作り9時半には全部作り終えた。

 各人が自分のバッグに入れて長男の一郎君が、みなさん、本当に、お世話になりましたと、お礼を言って、和子さんが、孫達、1人、1人を抱きしめて、これからも元気でねと、お別れをした。これをも見ていた、淑子さんは、母と別れて暮らしてる事を思い出し、涙を浮かべて、青森の吉田家の5人を送り出した。2008年も6月に入りやがて梅雨が来て空けると暑い夏。

 今年は4人で高原の避暑地巡りを計画して8月1日からドライブ旅行に出かけた。まず東名高速で御殿場へ行き高原の宿に1泊して翌日は富士五湖を巡り、みさか道を北上し笛吹川を渡り甲府を抜けて韮崎から清里高原へ到着した。その後「まきば公園」で散策して天女山駐車場の近くを散歩し近くの温泉に入り日本で一番高い駅、野辺山駅の近くの宿に泊まり満天の星を眺めた。

 翌日は佐久方面に向かい左折して望月を抜け立科、丸子町を抜け上田に入り昼食をとりながら一休みして真田神社を思い出して上田城を見学した。その後、真田の里を抜けて上り坂をひたすら上がり菅平高原に宿を取った。翌日は朝から散歩して高原の夏の清々しい空気を胸一杯に吸い込んだ。

 朝食後、今度は嬬恋村をめざして菅平ダムを見ながら下り左折して長野街道に入り、ひたすら走り田代湖に立ち寄って休憩を取り嬬恋村に入りキャベツ畑を見ながら、万座・鹿沢口駅を左折して、嬬恋高原ゴルフ場を縦断して、万座温泉方面にひたすら走り、万座温泉、白根山を通り、横手山へいき山頂のパン屋で昼食にしてボルシチと美味しいパンを食べた。

 その後、高原を散策して回り熊の湯温泉の緑の温泉に入った。志賀高原のホテルに3泊し渋温泉、角間温泉、湯田中温泉に入って8月11日に東京へ戻ったが、暑い日が続いた。やがて9月になり秋風が吹き出した頃、犬山重臣の長女の幸子から電話が入り2006年にシティバンク日本支店が閉鎖されるのを聞きシティバンクを退職しHSBC・香港上海銀行・シンガポール支店に再就職したと知らせが入った。

 更に、その職場の梅沢新一という2つ上の銀行員とシンガポールで結婚するつもりと連絡してきた。そして今年の10月に馬沢新一さんと一緒にシドニーに渡り、新しい金融事業を2人で立ち上げると言った。2008年10月2日、シンガポールの長女の幸子から電話が入り、オーストラリアのシドニーに引っ越したと連絡が入った。

 旦那さんの梅沢新一さんと幸子がシンガポールのHSBC・香港上海銀行を退職して自分達で、投資関係の会社を開いたと書いてきた。主に豪ドル建ての高金利の定期預金のサービスを日本人、中国人、その他のアジアの富裕層向けのサービスだという。つまり自分達が豪州の大手銀行に大口口座を開き、そこに富裕層から集めた投資資金を預けて運用し送金手数料や為替手数料で、お金儲けをしようと言う訳だ。

 一部、オーストラリア国債、州債、国債に準ずる債券を売買しようと考えた様だ。1口、1口座、最低100万円、または1万米ドル以上。預金は、2,3,4,5年の定期で日本人なら日本円で送金してもらい豪ドルに両替し、運用して、また日本円に替えて日本の当人宛の銀行口座に送金するというシステムだと説明した。将来的には永住ビザ取得や不動産投資の仲介もやっていくつもりだと語った。

 今仕事が忙しく日本にはなかなか帰れないと言った。そこで幸子の立ち上げた会社の銀行口座はと聞かれ、オーストラリア・ニュージーランド銀行だと言われ、口座名、番号を聞き、犬山重臣と淑子さんが自分達の新生銀行の口座から3千万円ずつ入金して数回に分け幸子の立ち上げた会社の銀行口座に1.5億円を入金した。2008年10月11日、木下貴子さんから電話が入り、同年代の女性達と仲良くやっていると電話が入った。

 今、箱根や熱海の温泉に入り泊まったりして楽しんでいると話した。シェアハウスに花壇があり多くの花が先、その水やりなども手分けしてやっり自立している高齢者ばかりで具合が良いと話した。秋から冬になりになり木下家での4人の生活が支障なく続いていた。やがて2008年が終わる頃、長女の幸子から電話がはいり豪ドルが急激に下げてると電話が入った。

 数日後、豪ドルの買い時と言われ出来るだけ安く豪ドルを買う様に指示し2009年1月4日、61円で100万豪ドルずつ犬山夫婦で200万豪ドルを1.22億円で買えたと連絡が入った。その後、幸子に豪ドル買った話をするとよかったと喜んでくれた。2009年3月3日、全額を2年定期で5%で定期預金にした。3、6、9、12月の8日に4本の定期預金を2年間で8本の定期預金で25万ドルずつ預金した。
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